縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

人はパンのみにて生きるに非ず!・・・被災者にビール券を贈って心の栄養補給にする作戦

2024年06月29日 07時57分30秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
不用のビール券を被災者へ!
ある被災者がタバコを吸っていたら、「支援物資や支援金をもらってるクセに!」と嫌味をいわれたと聞いて、わたしの闘争心に火がついた。人はパンのみにて生きるに非ず!
 
家も仕事も失った避難生活をおくるものにとって、わずかな息抜きも許されないのか?わたしはそうは思わないし、支援物資は仮設住宅に入居するともらえなくなる。
 
日常に遊びや無駄があるのが人間というもので、アルコールやタバコは心に潤いをあたえる栄養となる。
 
ビール券は1本のビールを買えば、残金分でジュースでも食品でも、もちろんお菓子やタバコだって買えるから、酒飲みがひとりでもいれば家族も喜ぶ。もちろん換金ショップで現金に換えることもできる。
 
そこで講演の謝礼や暑い時にビールでも飲んでくださいと頂いたビール券がかなりの量になってきたので、「生活に潤いをあたえる心の栄養補給支援物資」として被災者にわたすことにした。
 
知遇をえた被災者の何人かに、換金して渡すのとビール券そのまま渡すののどちらがいいか聞いたら、そのままもらった方がありがたいとの返事。ご家庭内の不用なビール券をください!被災者の生活に潤いを!
 
 
 

災害に備える現金・・・能登半島地震の被災者から聞いたリアル

2024年06月27日 06時13分57秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
輪島の早瀬千春さんが力説した災害の備えはなんと現金!こんなことは防災関連の本には紹介されていない被災地のリアル。
 
長期にわたる停電で銀行のATMから現金をひきだすことができず、スマホ支払いやクレジット支払いもできなかったので、現金は不可欠で特に500円玉が重宝したらしい。店舗でもレジが使えず、懐中電灯の灯りで手計算して販売していた。
 
能登島の被災者からは、金融機関すらも全壊して最寄りの銀行まで車で1時間もかけて預金を引き出したとも聞いた。
だいぶ前に姉からもらった寅さんの500円貯金の缶は、「災害預金」としてとっておこうと思う。1,000円札10枚、10,000札5枚も少しずつ加えていこう。
 
 

防災トイレ問題を考える・・・能登半島地震ボランティア

2024年06月26日 07時06分18秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
防災用のトイレの選択肢が多すぎて、何を買えばいいのか?どれだけ備蓄すればいいのかわからず、結局は保留している人が多いと思う。
現在の糸魚川市のマンホールトイレは市役所前など限定的だから、ガス水道局と防災用品販売店に聞いてみた。
 
①まずやるべきは自宅周辺のマンホール、あるいは浄化槽が液状化などで浮き上がっていないかを目視確認!
 
②浮き上がってなければ、試しに便器にバケツの水を流してみて、異音や異臭なくスムーズに流れていけば使って差し支えないそうだ。
もしマンホールや浄化槽に損壊の疑いがあれば、この時から使い捨ての凝固剤(ビニール袋付き)の出番になる。
 
③安全な状態の公衆トイレや自宅の便器にビニール袋をかぶせて使用。
 
一回分で100~200円の単価で、100均にも売っており保存期間は10~15年。使用後のビニール袋は燃えるゴミに出してよし。ゴミ収集は来ないから、保管用にでかいビニール袋やペール缶は用意しておこう。
 
能登半島のように3ケ月以上も断水が続くのは特殊事例と割り切って、まずはひとりが一日に4回つかうとして家族分×1週間分を目安にしてはどうだろう?仮に一個150円として4人家族なら16,800円の試算になる。
段ボール箱などの簡易便器付きセットもあるが、凝固剤セットさえあればバケツでもゴミ箱で代用できる。
 
早瀬さんは携帯ウオシュレットが活躍したといっていたが、昔から売っているtotoの電池式の市況価格は8,000円くらい。
使い捨てタイプや、ペットボトルにつけるノズルタイプもあり、後者は100均でも売っていた。
 
西アジアや東南アジアをバックパック旅行した人なら、ペットボトルさえあれば困らないし、わたしはインド土産のトイレ専用の容器を飾っているけど、来客は用途を知らずにアラジンの魔法のランプみたい!素敵!と触っているw
 
当然ながらトイレットペーパーも必要となるが、わたしは防災用品にポンチョ式の雨具を推奨している。トイレ使用時に上からかければいいし、避難所やワンルームの仮設住宅で着替える時にプライバシー確保できるのだ。
 
 

防災用品に手袋を!震災サバイバルに手袋を!・・・能登半島地震ボランティア

2024年06月25日 06時55分05秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
能登半島地震で倒壊家屋から素手で人命救助する際に、掌が傷だらけになったと何度も聞いた。では震災サバイバルに適した手袋は?
 
以前から自衛隊員やレスキュー隊員にあうと聞いていたのだが、状況によって素材のちがう複数を使い分けているというのが共通だった。
糸魚川市の消防隊員は市況価格5,000円ほどのミドリ安全の「トンボレックス」シリーズ耐切創・難燃素材のアラミド繊維の手袋を貸与されていて、人によってはワンランク上の防水機能付き(9,000円くらい)を自前で買っているそう。
 
わたしは消火活動で使うわけではないので同じシリーズの耐切創性のある薄手の4,000円弱の手袋と、綿100%の軍手、ゴムライニングされた手袋の冬用と夏用の二種類を車に積んでいるが、工房には縄文土器を焼く時のために革製の耐熱手袋を常備している。
 
ケガの防止と防寒のためにも防災バッグに手袋を入れておいてほしい。軍手でもないよりマシ。
 
自分で情報を集めて考える。防災の基本は自助であることを忘れてはならない。
 
元日の地震で高台にあるフォッサマグナミュージアムに避難した糸魚川市民が多かったそうだが、乳飲み子を抱えた若い母親が「オシメはありませんか!」とパニックになっていたそうだ。
 
フォッサマグナミュージアムは指定避難所ではないし、たとえ指定避難所であっても防災用の備蓄はなく自前が基本。
 
発災後に「手袋はありませんか!」と聞いてまわっても、支援物資が届くのは1週間はかかるだろうし、支援物資のなかに手袋がはいっていることはないと思う。
 
 
 
 

縄文遺跡で防災シンポジュウム・・・能登半島地震ボランティア

2024年06月24日 05時49分46秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
3ケ月の紆余曲折を経て県議や市議も巻き込んで、長者ヶ原遺跡に早瀬さんを迎えた縄文キャンプ終了。参加したみなさん、スタッフのみなさんに感謝。
糸魚川タイムスの記事がMSNのwebニュースにも転載されていた。現役議員が5人も参加してくれたのは嬉しい。
調味料なしで縄文時代にあった食材だけの縄文土器の鍋は縄文キャンプの定番。焚火料理も日頃から慣れておくのは大事。
 
早瀬さんの教訓とわたしが被災地で見聞した教訓は要約すると下記のようになる。
 
①広域激甚災害は想定外だらけで避難行動に正解はない!
②救助と支援物資は数日間は来ないと最悪の事態を想定して、自力で命を守る覚悟と備えは必要!
③過去の教訓は参考になっても、地域特性で被災状況は大きくかわる!
④防災用品は車や屋内・ガレージなどに分散して、枕元には衣類とヘッドランプを!
 
寝袋に慣れておくのも大事だから、アウトドア遊びをどんどんやったらいい。
 
6月は防災意識の啓発活動に力点を置いたが、今後は「輪島漆器販売義援金プロジェクト」に軸足をもどす。帰宅してから猛烈な睡魔と下痢で寝込み、今朝も14時間寝てだいぶスッキリ。
砕いたコーヒー豆を薬缶の熱湯に投入→5分沈殿させて上澄みを飲むカウボーイコーヒーは「スゲー美味い」と評判だった。固定観念を壊すことも大事。
 
死んだフリは今日まで。休んでいられない。漆器販売の順番待ちをしている被災者がいっぱいいるのだ。
 
 
 

海女の失われた日常に共感する筒石の同業者たち・・・能登半島地震ボランティア

2024年06月22日 06時20分04秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
海女の早瀬さんを糸魚川に招いたのは、想定外だらけで正解のない震災のリアルを多くの人に聴いてほしかったからだ。
糸魚川到着の晩は拙宅に泊まってもらい、お隣りの昭和レトロ居酒屋「夢路」さんで夕食。早瀬さんに持っていった米は「夢路」さんから託されたものだから、早瀬家の至宝「大正時代の巨大片口漆器(マジックで名前いり)」を贈呈w
早瀬さんは石好きだからヒスイ峡などヒスイ方面の名所にも案内。ずっといられると気に入ってもらえたようだ。
もう一つ、緊張がつづく早瀬さんに息抜きをしてもらいたかったこともあり、どうしても60年ほど前まで海女がいた筒石区を案内したかった。
この付近の風景は能登半島の北海岸に似ていて、山が急激に海におちこむ狭隘地に密集する典型的な漁師集落で、水平線には能登半島が浮かんでいる。また「先祖が能登の須崎から渡ってきた」と伝説があり、わたしはよく似た風景の珠洲市狼煙区の珠崎を比定していている。
 
折よく布団を干していた80歳のご婦人に話しかけてみたら、若いころは海女をしていたとのことで早瀬さんと意気投合。
筒石漁港でも女衆(おんなしょ)と意気投合して話し込む。仕事ができなくなった早瀬さんと深く共感できるのはやはり同業者で、「家を無くしても船さえあれば生きていける」との励ましの言葉が沁みたようだ。
 
漁船のエンジン音、潮風、市場の活気などなど、筒石の日常は早瀬さんが最も取り戻したいものだろう。懐かしいはチカラ!
 
海はいい。沖へ!
 
 
 

防災に重ねるハザードマップを!・・・能登半島地震ボランティア

2024年06月19日 07時23分54秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
縄文キャンプに参加できないからと、土田竜吾県議が能登半島ボランティアで見聞した問題点を聞きにきた。
土田県議は新潟県の防災計画委員会に所属しているので渡りに船!
 
と思いきや、スマホで自宅や避難経路の災害リスクを調べられる国土地理院の「重ねるハザードマップ」を知らなかったw
 
職務怠慢ですぞ!と、県議になる前からの年下の友人だから、わたしも容赦ない( ´艸`)
国土地理院の「重ねるハザードマップ」はアプリのダウンロードなしで、ピンポイントで自宅の浸水・津波・土砂崩れなどの災害リスクが検索できる便利なサイト。避難所までのルートの危険度も確認できるから活用しないのはもったいない。
 
緻密なようでいて防災計画には見落としや盲点がある。たとえば能登半島地震ではスマホは通ぜず、道路が寸断されるので救助は呼べず、倒壊家屋のなかで凍死した人もいた。
珠洲市の畠田さんは父親だけでは救出できず、様子を見にきた近所が倒壊家屋の中から救出してくれた。チェーンソウ・油圧ジャッキ・バ-ルが活躍したそうだ。
 
たとえば関東大震災の時は、各町会毎に鳶職や大工といった職人衆が必ずいて、災害時には自発的に防災リーダーとなる社会構成だったから復興は早かった。
 
現在のような上意下達型の防災組織の他に、建築・建設業者をリーダーにした横社会型の地域防災組織が必要ではないか?
 
復興支援策にせよ、高度経済成長期と、経済低迷期の現在では被災者の懐事情もちがいすぎる。特に能登半島地震では14年前から地震が多発して、その都度に修繕していたので経済的にも精神的にも厳しい事情がある。
 
また阪神淡路地震を経験した神戸市の行政マンが石川県に派遣されて、交通網が寸断されて地域ごとに孤立化した能登半島地震では全く経験が活かせなかったと無念のコメントしたように、広域激甚災害は地形による特殊性をもつ。それは陸の孤島化しやすい糸魚川市の地形に当てはまる。
 
激甚災害特例法の法整備の必要性なども説明したが、オレを県防災委員会の特別顧問にしろ!県知事に説教してやっから!との暴言の数々に「勉強になりました~!」と爽やかに帰っていった。
縄文キャンプの準備に大わらわでございます。
 
肝心なのは災害への危機感をいだいた市民が市議に相談して、ボトムアップ式に行政を動かすムーブメント。発災から5分で最大10.6mもの津波がおしよせ、全壊家屋5万棟が想定されている上越・糸魚川沖活断層(f41)が本震では・・・悲惨なことになるのは間違いない。
 
 
 

能登から鎮守の杜の神社と祭りが消える危機・・・文化財レスキュー

2024年06月17日 06時42分04秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)

被災した歴史的資料や美術工芸品を保護する、文化財レスキューという制度があるが、残念ながら民具は後回しになっていて処分されている。

では自治体の民俗資料館に寄贈してはどうかというと、どこも収蔵庫は満杯だ。

写真は珠洲市の羽黒神社の御輿庫だが、お気の毒にも宮司さんの自宅も神社も全壊した。各地で御輿やキリコの収蔵庫が被災して野ざらしになっているのを見るのだが・・・。

能登の神社仏閣は軒並み損壊した・・・それらを支えていた氏子や門徒の家も損壊している・・・「再建の見通しはたたないが、今できることをやるしかない」と、みなさん仰る。

先日、全壊した寺院の住職から、大量の輪島漆器があるが「輪島漆器販売義援金プロジェクト」で売ってもらえないかと問合せがあった。

すでに順番待ちしてもらっているので、販路の開拓を宗教系ネットワークに相談をもちかけている。
新潟県西部も輪島漆器の文化圏で、以前から捨てられてきた地域だからハードルは高く、県外の宗教者に相談するしかない。

祈りは通ぜず、願いは叶わないのが世の常だが、だからこそ心の拠り所として宗教施設を含めた文化がある。
鎮守の杜と祭りがなくなってしまう危機・・・わたしも「できることをやるしかない」と溜息をつく。
何とかならんもんか?

#輪島漆器販売義援金プロジェクト #能登半島地震 #災害ボランティア #ぬなかわヒスイ工房 #ヒスイ #翡翠 #勾玉
#文化財レスキュー #能登から鎮守の杜の神社がなくなる危機


夜泣きする乳飲み子もおっけいぼくじょう!・・・能登半島地震ボランティア

2024年06月16日 06時58分19秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
20日の縄文キャンプの夜は、こんな感じで早瀬さんと質疑応答してもらうので、オフィシャルな会とはちがった雰囲気で話に参加しやすいと思う。
 
 
参加する糸魚川市議も2名に増えたのはいいこと。防災計画の想定をこえた震度7を経験した早瀬さんの話を聞いて、地域の防災にフィードバックしてほしい。
また高耐久性住宅をてがける工務店社長や、地震の専門家も参加するので、自宅が全壊した早瀬さんも聞きたいことがあると思う。
乳飲み子を連れて参加できるか?夜泣きで迷惑かけないか?と問合せをしてきた主婦もいた。
 
長者ヶ原遺跡の東端には、乳飲み子を連れて宿泊するに絶好の小型の竪穴住居もあるし、一次避難所でおこりうる事態としてリアルな防災訓練ができるからウエルカムだ。夜間の頻尿や子供が迷惑をかける恐れがあると、自主避難を選択した被災者も実際にいた。
現時点では晴れ時々曇りの予報だが、雨が降ったら体験学習棟でお話し会をします!
 
 

震度7では消防が呼べなくなる問題にとりくむ・・・能登半島地震

2024年06月15日 06時59分02秒 | 災害サバイバル(地震・津波・水害)
6月20日夜の震災お話し会参加を地元に呼びかけたら、若手の市議や県議、高耐久住宅をてがける工務店社長、重機会社の社長が参加表明してくれ、糸魚川市消防本部もSNSで情報発信してくれる願ったりの展開になってきた。
能登半島地震では発災直後からスマホは不通となり、道路も寸断されたので倒壊家屋の中の人を助けたくとも救助を呼べなかったことを見逃してはならない。これは防災計画の想定外だろう。
孤立化した集落で人命救助をしていたのが、近所の建築・建設関係者や農家の人々だった。
発災時にこの倒壊家屋の中で身動きがとれなくなった畠田和美さんは、1時間後にお父さんと近所の農家が救助した。圧死してもおかしくない状況だったし、凍死や焼死しなかったのも僥倖だった。
畠田さんのお父さんは14町もの田んぼを娘婿とふたりで米作りしているすごい人で、なんでも自分でやってしまう方。それでも家がぺっしゃんこになった状態では悪戦苦闘していたが、近所の農家が様子を見にきてくれて救助に成功したそうだ。
 
珠洲市でビニールハウスで暮らす畠田和美さんは近所の農家たちに助け出されたし、輪島市の早瀬さんのご主人(建設業)は救助した側。
 
わたしが狭い範囲で聴き取り調査で得た教訓でしかないが、行政にその問題意識があるのだろうか?
 
防災計画では避難計画ばかりが議論されるが、震度7クラスの広域激甚災害が想定される地域では行政が機能しなくなる事態を前提とし、市井の人々が活躍できる仕組みつくりの必要を感じている。
 
スキルのある民間人を地域防災にどう組み込むか?県議や市議に考えてもらいたい課題だし、意欲的に取り組んでくれる人にこそ投票したいもの。