縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

インドの鬼とジョウバ(除魔)

2016年01月31日 09時21分30秒 | 民俗学ごっこ

節分が近くなると俄かに脚光を浴びるのが鬼。

以前のブログでインドの鬼について書いた事があるが、今回はその続き。

オートリクシャーに飾られた鬼

チャンナイの商店に飾られた鬼

 

鬼の姿は牛の角を生やして虎皮のパンツを纏い、金棒を手にするのが一般的で、これは平安時代に道教の影響によって生まれたものであるらしい。

当初のオニは目に見えないモノノケ(モノの気配)という意味で隠(オヌ)と呼ばれ、その後に中国語の鬼(キ)が当て字されたという。

モノノケのモノとは、魑魅魍魎や後年の怨霊などの人に禍する実体無き気配のことだろう。

牛の角と虎皮は、鬼門である丑寅の方角を象徴しているとの事だが、日本人に馴染みのある鬼の姿そっくりの魔除けキャラクターがインドにもいるのだ。

主に南インドのチェンナイ(旧マドラス)からケラーラ州にかけての商店の軒先や、三輪タクシーのオートリクシャーのテールに飾られており、地元の人に名前を聞いても「デビル」と英語名しか答えてくれないので、古い魔除けではないのかも知れない。

もしかしたら日本の鬼が輸入された?

インド人の誰に聞いても詳しい事が分からないが、インドでテレビを観ていたら新型テレビノコマーシャルに鬼のCGが出てきた事があり、最後に「ONIX」とメーカー名が出てきたのだ。

チェンナイの自動車修理工場に飾られた鬼の横に、椰子の実製のオニモドキが(笑)椰子の実は硬く、内部には滋養が蓄えられているという特質が強さを象徴しているのだろう・・・強いモノには魔が取り付けないのだ。

 

想像を逞しくすると、海外輸出向けの日本の家電メーカーONIXのマスコットキャラクターが鬼で、インド進出を機会に鬼の本場の一つである南インドに広まった?(笑)

モノの語源は、南インドの言語であるタミル語であるという説もあるのだ。

いずれにしても鬼は赤い口を大きくあけて、目を見開く顔付きをしている。本来はバイオカラーを象徴する赤鬼が基本だろうと思う。

日常は隠されている赤い身体内部を曝け出すような異様な面相は、怒りの表情であると共に生物にとって最も無防備な姿と言える。

内なるチカラの誇示・・・弱点を曝け出す事ができるのは強さの証拠で、顔付きだけで魔除けにはなるだろう。

鬼の面相は、糸魚川市の春の風物詩「けんか祭り」の魔除けであるジョウバの赤い顔、大きく見開いたギョロ目と口に良く似ている。

ジョウバは除魔と漢字表記するのである。

鬼もジョウバであり、魔除けなのだ。

 

 

 


「月刊ミネラ」増刊号は糸魚川ヒスイ特集!

2016年01月27日 16時08分26秒 | ヒスイ

月刊ミネラという鉱物マニアの雑誌の39号は、糸魚川ヒスイ特集。

まだ読んでいないが、取材協力したヒスイ仲間の坪さんから1冊頂いた。

ヒスイ原石のカットや販売をしている坪さん。

大型書店でも売っているが、糸魚川市大野区の国道148号線沿いにある「まちの駅・ひめかわ」でも売っている。

 

営業時間は不定期ながら、午前10時くらいから夕方4時くらいまでなら開いている可能性は大。

ヒスイ原石も沢山売っており鑑定もしてくれるので、自宅にヒスイがある人は鑑定と目の保養がてら遊びに行ってあげてくださいな。

 

 

 

 


奇跡の晴天後、猛吹雪・・・あんこう祭り

2016年01月25日 18時34分11秒 | 糸魚川自慢

1月24日は「糸魚川荒波あんこう祭り」。

前日からの雪景色が、あんこうを吊るし切りする時だけ奇跡的に晴天となった。

現在は閑散としたシャッター街になってしまった本町通りが賑わったし、大勢の友人知人達もボランティア参加していた。

富山湾の中でも糸魚川沖だけが、何故かあんこうの漁場だそう。

日頃は魚市場でセリをしているKさんは包丁を持たないそうだが、各地のイベントであんこう吊るし切りの実演をしている。インカムを付けてのMCも「あんこうは鮟鱇と書きますが、安くて健康にいい魚という事なんです!」と堂に入っていた。

 

小学校の帰り道、駅前の食堂の裏であんこうの吊るし切りしている場面に出くわして、しゃがみ込んで見学してたっけ。

第1回目の吊るし切り実演が終わった後くらいから曇り出し、やがて猛吹雪になってしまったけど、熱い仲間たちに声援を送りつつ帰路についた。

一の宮も雪の中・・・熱い男たちの「けんか祭り」まであと三ケ月だ。

 

あんこう自慢より、吹雪に敗けず糸魚川を盛り立てたいと集う仲間たちが自慢・・・。

 


温石はサバイバルに使える!・・・ジオパーク糸魚川の隠れた特産品

2016年01月23日 07時44分02秒 | サバイバル

温石(onjyaku)とは、温めた石を使った平安時代頃からある懐炉である。

または患部に当てる温熱治療法でもある。

具体的な使用法は、小穴を開けた石を囲炉裏の灰の中に埋め、石の内部まで温まった頃合いに小穴に火箸を差し入れて引き出し、ボロ布に包んで携帯したらしいが、小穴に通した針金で輪を作って取り出しやすくしていたとの説もある。

なんでも加賀の前田公が参勤交代の途上で糸魚川宿に到着した際に腹痛を訴え、地元の人の勧めで温石を腹部に当てた処たちどころに快癒して、その効能に感動した前田公が温石を将軍家に献上したという文献記録があるのだ。

江戸時代の糸魚川では温石が特産品であったという事だが、鉱物が豊富なジオパーク糸魚川ならではである。

ところが専門家に聞いて周っても、どんな鉱物が温石に使われていたのか不明で、現物が残っていないのだという。

それがついに温石の現物を発見した。

根知区の「塩の道資料館」で、塩を担いで信州まで運んでいた歩荷(ぼっか)の携行品として、蛇紋岩製の温石が展示されていたのだ。

小穴に植物繊維で作った紐が通されていたが、灰に入れて紐が炭化したり、燃えたりしないのかが疑問ではある???

 

蛇紋岩なら糸魚川の海岸や河川にゴロゴロ転がっているわ・・・。

いざという時、覚えておきたい知識ですな。

ただネット検索すると温石の実験と称して、焚火に石を直接放り込んでいる人がいたが、石が割れたり弾けたりする危険があるし、取り出し難かろう。

灰の中で間接的に温めるほういが本式だし、石の内部まで熱が浸透して温かさが持続すると思う。

また温熱療法は、頭の異常と盲腸には厳禁だ。これは私の学ぶ整体協会の常識!

 


戦国の傾奇者に学ぶ・・・北斗七星彩色石笛

2016年01月20日 18時09分17秒 | ぬなかわヒスイ工房

過去に作った北斗七星を彩色した石笛をみてのご注文。

星の色を単色ではなく、七個の星ごとに変えて欲しいとのことだが、小さな石笛の中に七色も使っていいものか・・・。

取敢えずネットで実際の北斗七星の色を調べてみたら、柄の先端から緑・黄色・白っぽい赤二個・青が二個、最後が赤であるようだ。

忠実に作るとなると全部で四色・・・それにしても色数が多すぎる。

彩色問題は保留して、取敢えず石笛を作っていく内に閃いたのが、戦国武将の伊達正宗所用と伝えられる「紫地羅背板五色乱星」という胴服だ。

正宗の「紫地羅背板五色乱星」。初めて観た時にはあまりにものアバンギャルドさにぶっとんだ。

胴服とは寒い時用の袖のある陣羽織の事で、くだんの胴服は、茄子紺地に五色の水玉を散らした奇抜な意匠なのだ。

戦国屈指の傾奇者として知られ、伊達男の語源とも伝えられる(正宗以前から伊達者という言葉はあった)正宗らしい陣羽織である。

火焔土器にしても、傾奇者の甲冑や陣羽織にしても、日本文化に代表される侘び・寂びとどう繋がっているのだろう・・・面白い。

という訳で正宗の先例もある事だし、勇気を持って四色に彩色したのがこれ!パステル調のラベンダーヒスイ様である。

光を透過させると浅黄の夜空に北斗七星が浮かび上がった。色調を合せるために、赤で下塗りしてから仕上げてある。

友達に見せて周ってもカワイイとかキュートとの評価で取敢えず安心。

注文主も喜んでくれたようだ。

こんな突飛もない石笛が世に出たのも、お客さんからの「無理難題」のお蔭。

つい守りのスタンダードに奔ってしまい勝ちなのだけど、自己完結せずにこんな冒険は大いに刺激になる。

常識に捉われてはいけませんですな!


ものの哀れを感じるヒスイで作った「最後の涙」

2016年01月16日 07時18分18秒 | ぬなかわヒスイ工房

質と透明感、発色が極めていいけど、ヒビが多いので加工するとザクロのようにボロボロと崩れていくタイプのヒスイがある。

加工に向かないので愛眼用に流通するヒスイである。

完成した「最後の涙」こんなに透光性があって綺麗。

 

極上の美人ヒスイなのに細かいヒビが沢山入っているこのタイプのヒスイに、ものの哀れを感じて個人的には好きだ。

一か八か超小型勾玉を作ったら、なんとか形になってくれた。

このタイプのヒスイでも形になってくれるのは超小型勾玉ならでは。

量産された勾玉には真似できない微妙なカーブと研磨に拘っているので、普通の勾玉より神経が張りつめる仕事。

 

ボロボロに崩れて残った、最後の欠片から作った勾玉・・・自分の作品に銘を付けるという事はおこがましくてした事はなかったが、初めて「最後の涙」と銘を付けた。

因みに自動で研磨に磨きを増すバレル研磨機は使わず、鏡面仕上げ。

簡単に研磨した後でバレル研磨すればそれなりに光沢は出るが、ヒスイ表面は荒れて凸凹した状態のままなので、光が乱反射してあまり綺麗に見えないのだ。

ヒスイ表面が平滑になるまで手間暇を惜しまず研磨していくと、なにかのチカラが宿ったかのように発光する感じで鏡面になっていく。

その作業の集注感は祈りと等価の作業。

 

サージカルステンレス製チェーンで仕立てた。

ヒスイの神に感謝!

 


糸魚川の正月飾り・・・繭玉

2016年01月11日 22時06分25秒 | 民俗学ごっこ

糸魚川市本町通りの「糸魚川の町屋文化を守りつたえる会」主催のカルタ取り大会の設営準備にボランティア参加して、懐かしいものに再会した。

 

久し振りに雪が降って冬景色になった。本町通りに並ぶ雁木通りは上越市が発祥とされる江戸時代からある木製のアーケード。雪が似合う。

糸魚川の正月飾りの「繭玉」を作ったのだが、懐かしいものとは繭に模したカラフルなモナカである。

 

因みに我が家の繭玉は昔ながらに枝の先端に搗きたてのモチをくっつける。

繭玉は恐らく養蚕をしていた時代に生まれた予祝の縁起物・・・めでたい出来事を予め祝って既成事実とする事で現実化させる呪術・・・なのかとも思う。

話を元に戻すと、モナカの繭玉は私の子供時代に飾った記憶がある・・・まだ売ってるんだあ・・・懐かしい。

中空になった半球状のモナカ同士の小口を水に浸し、枝の先に挟んでくっ付けるのだ。

主役は繭玉を模したモナカだが、紙製の恵比寿様・大黒様・宝船・打出の小槌・千両箱といった縁起物をニギニギしく飾りたてる。

 

充分に水に濡らした上で、モナカを潰さないように接着しないとモナカが乾いて落ちてしまうので、この作業をする時は誰でも神妙な顔になる。

モチの繭玉も古風でいいが、色とりどりの繭玉も景気がよくていいもんですな。


想いが伝わった!・・・勾玉は雄弁

2016年01月09日 20時48分22秒 | ぬなかわヒスイ工房

こんな嬉しい事は滅多に無い!

私の勾玉ピアスを買ってくれた女性のお客様から、「・・・神社の樹々に似た気配・・・身が引き締まる・・・」という内容のメールを頂いた。

フックとワイヤー部分はチタン製。チタンは硬いので、ワイヤーワークする内に指にタコが出来てしまいましたとさ。

ツートンカラーで可愛らしいけど、ちっちゃいために削っていく途中で綺麗な色の部分が消えていく事もある。売り物にならない勾玉になる事もある歩留まりの悪い作品だが、作っていて面白い。

チタンのワイヤーワークも難しく、失敗の連続の末にやっと売り物になるレベルまでになった。今でも成功率七割くらい。

 

清冽な匂いを感じて頂けたなら、それこそ私の目指す方向の勾玉。

1時間に1個位の割合で作られた勾玉を工業製品と断じ、及ばずながら本来の祭器としてのヒスイ製品に挑み続けたいという私の願いは、昨今のヒスイ業界にあってはマイノリティ。

それでもネットサイトにアップした写真だけでただごとならぬ雰囲気を感じ、実際に手にしたお客様が言外に私の想いに共感して頂けるのが嬉しいし、非常に励みになる。

書は人なりと言うけれど、物言わぬ作品は実に雄弁ですなあ。

 


磁石にくっついてもステンレス?

2016年01月08日 11時57分21秒 | ぬなかわヒスイ工房

暮れに某販売店さんから購入したステンレス製のピアスフック・・・なんか気になってネオジューム磁石に寄せたらビッタリとくっついた。

試しに手直に置いてある百均製品のステンレス表記の商品に寄せても磁石は反応しなかった。

ステンレスも種類によっては磁性を持つのだけど、このフック、ホンマもんのステンレスなのかい?

これまで金属アレルギーを心配するお客さんにピアスに仕立てて売っていた商品なので、下手をすりゃ信用問題になりかねん。

最近は勾玉ピアスのワイヤー部分とフック部分はチタンに統一しつつある。ただチタンは硬いので加工が大変で指先が痛くなるのが難点。写真は青ヒスイ製の勾玉ピアス最新作

 

販売店さんに電話したらすぐに調べてくれて、メーカーさんはステンレス表面のメッキと反応して磁石にくっついたらしいが、耐アレルギー製品として売っている訳ではないと返事が来たらしい。

ヘンな事をいうメーカーですなあ。

わざわざユーザーがステンレス製のアクセサリーを選ぶという事は、耐金属アレルギーや耐腐食性に優れているという購入目的が前提であるハズ。

医療用に使用されるサージカルステンレスであっても金属アレルギーは出る人は出るが、そのメーカーさんは何でまた真鍮製のフックとステンレス製のフックを分けて売っているんだろう?

仮にお客さんの手に渡った後に金属アレルギーが出なくても、磁石がくっついたらステンレスだと思わないのでは??

ステンレスだとどう証明するのだ???

ほとんどのアクセサリー用のステンレスは中国製らしいが、成分が記載されているミルシートが曖昧な事が多いと聞く。

つまり輸入販売している業者もホンマもんのステンレスかどうか、または成分の解らないステンレスのまま流通しているのが実態なのだ。

中国の工場と口約束だけで取引している・・・大丈夫かあ(笑)

その旨を販売店さんにしたら、ごもっとも!という事で在庫分も含めて返金を快諾してくれた。

証明のしようもないけど、本物のステンレスだとしても磁石にくっつく段階でアウトだろう。

お互いの信用問題ですからなあ。

ヒスイもそうなのだけど、由来の詳細がわからない素材は売らない・買わないというという事を改めて勉強した一幕。


失われつつある正月の風景

2016年01月04日 07時22分38秒 | 失われゆく風景

クールジャパンやインバウンドと、最近は外国に日本の良さを知って貰おうという気運が高まってきている。

でもなあ・・・肝心の日本人が日本の文化や伝統を外国人に語れるのかな?

私の子供の頃からある正月飾り。

 

英語が堪能でも、日本の文化を語れる日本人がどれだけいるのか?

例えば年中行事の花形といえる正月。

初詣やお年玉の慣習は残っていても、門松や正月飾り、お節料理を作って歳神様を迎える準備をする家がどれだけ残っているのか?

糸魚川の伝統的なお節料理も残していきたいが、自宅でお節料理を作る家も少なくなってきているようだ。

 

私の子供の頃は正月二日には年始客が次々と訪ねてきて賑やかだったが、最近は嫁いだ姉家族以外は親戚も来なくなった。

次世代に節目の行事や慣習を継承していかないと、「かってはこんな行事があった」という過去形になってしまうし、なりつつある。

そこで今年の正月は友人家族を招いて、総勢十人で賑わった正月。笑う門には福来る!

レンジでチンしたモチをモチと言えるのか?モチを火鉢で焼いて、膨らんでいく様を目の当たりにしないとモチ体験とは言えないと思うのだ。

 

今時の子供でも、宝引きやカルタ遊びといった昔の遊びに歓声を挙げる。

こんな昔ながらの正月の風景に癒される。