土産物屋で安く売られている短冊形のヒスイ製ストラップを見るたび、これを作る2個分の原石を俺に売ってくれれば、その10倍以上の値段の勾玉が作れるのに~!と歯がゆくなる。
ラベンダーヒスイ製の超小型勾玉イヤリング
土産物屋で安く売られている短冊形のヒスイ製ストラップを見るたび、これを作る2個分の原石を俺に売ってくれれば、その10倍以上の値段の勾玉が作れるのに~!と歯がゆくなる。
ラベンダーヒスイ製の超小型勾玉イヤリング
少年時代の矢口高雄さんの家はアワ飯を常食とする貧農で、いつも腹を空かせていたそう。
個展でお買い求めになった淡い色相のロウカン質の勾玉と、天川彩さんが経営するホピ族のジュエリー店「San & Rain」のシルバーチェーンと組み合わせて欲しいと注文を受けたのでございます。
太いチェーンなのでゴツくなるのでは?と危惧しておりましたが、予想外に相性がよく安堵した次第。
チェーンの留め具が、シンプルこの上ないフックという点が好ましく、土俗的でありながらお洒落。
個展を成功裡に終えて、一切を撤収して元のガランとした空間に戻ったギャラリーは、ツワモノどもの夢の跡。
私は梱包作業、プロデューサーの天川彩さんとスタッフの恭ちゃんは売上集計作業にと、4日間の怒涛の日々にケジメを付ける。
何人の人が来て話したのか?夢の中のできごとのように感じる。
麗しき女性からお花まで頂きましたぞ・・・
「大首飾り」複製プロジェクトでお世話になった、國學院大學の内川先生が激励に来てくださいました。
私の荷物を宅急便で送り出し、売上集計が終わったら、いよ~っ!と大円団の三本締め。
打上げで中華料理屋さんに行ったら、天川彩さんの友達のWAHAHA本舗の佐藤正宏さんが偶然に隣の席におられ、合流する幸運に恵まれた。
個展の前日に新幹線で上京
ホンジツ ドンテン ナレド ナミ ヒクシ ニイタカヤマノボレ ヒトヒトヒトヒト(11月11日)・・・決戦を前にいささか緊張して、日本海海戦の電文をなぞるわたくしは昭和の男( ´艸`)
夜遅くまで作品群のデイスプレイをしたが、備品のパーテーションに布地をかけて石笛首飾りを飾ったら、プロデューサーの天川彩さんが備品のトルソーに布を巻き付けて飾るアイデアを閃いた。やってみたら大正解で「これ、ヌナカワ姫でしょ!」と一同が納得。
突如と会場に降臨したヌナカワ姫は個展を見守っているかのようだったし、記念撮影の場所として大人気だった。私と一緒に記念撮影を!という方も多く、そんな時は私では役不足だからヌナカワ姫を挟んで撮影(笑)
準備の時は、近所にアトリエのある舞台衣装デザイナーのクウちゃんが手伝いに来てくれて大助かり。彼女のアトリエはさながら梁山泊のようにクリエーターやダンサーがやってくるサロン状態になっていて、田舎では逢えないような人々とも知遇を得ることができた。
私と天川さんはモノを売りさえすればいいとは考えておらず、モノの文化的背景を発信する点で共通しているから、全8枚の「ヒトと翡翠の物語」をパネル展示した。このパネルは作品作りに疲れ切りながらも夜な夜な2週間かかって推敲した甲斐があって、来場者から「これ自分で作ったの?博物館みたい!」と驚きの声があがっておりましたぞ。
明けて11月12日、準備が整った開場の開演前に関係者が次々とやってきて内覧会。
会場は谷中よみせ通り商店街にあるギャラリー「天's CAFE」・・・昔ながらの商店街にアトリエやギャラリーが点在する谷中は実に面白い街。
右が大麻チョーカーの作者のみやざわあかねさん、左がイラストレーターのみやれいこさん。今回の個展がきっかけで天川さんとも繋がりができて友達の輪が広がっていった。
結果は千客万来の満員御礼が続き、最盛期は入場制限をしたくらい。
友人や先輩、後輩、恩師、ぬなかわヒスイ工房のお客さん、東京糸魚川会の方々が来場されて、ご祝儀やお菓子などのお供物(笑)が雨あられと降り注ぎ、ひとりひとりに満足なご挨拶もできず申し訳ない限り。
もしかしたら長崎や中国などからもお呼びがかかるかも・・・。
急展開に目が眩みそうだが、私は余計なことは考えずに目の前の仕事に邁進するだけですな。
個展の前評判が高いので入場制限をすることになり、なるべく平日のご来場をお勧めくださいとのこと。
できるだけのことはやっし、やりきった感はあるが、最後の悪あがきで時間ギリギリまで作品作りに邁進。
私の名刺を受け取って「かわいい!」と言ってくれる女性が多いのだけど、個展を機会に天才霊感イラストレーターのみやれいこさんが描いてくれた、勾玉Kidsのイラストを追加することにした。
縄文研究の一環として、先史時代の画材の実験のために作り始めたヒスイ顔料を、これまでは画家の来客限定で小分けしていたが、銀座のカフェで売ったら大人気だったので、体裁を整えて個展会場でも販売することにした。