寺町区の中でも、私が生まれ育った寺町四町目と五町目は新町(シンマチ)といって特別な地域とされる。
何故なら新町には、けんか祭りの発端となった人物がいて、今も代々とその家系が続いているからである。
以下はその由来の一節。
或る時、甚兵衛・甚之丞の兄弟の漁師が、押上の浜で神様を助けた。
以来、甚兵衛・甚之丞を助けた神様の守りとして、けんか祭りが始まったのが室町時代の頃・・・。
新町の人々が眠る地蔵堂。通称「じぞさん」。
海が見える新町らしい墓地で、地区の集会所でもあり、子供たちの遊び場だ。
新町の浜っこは、ご先祖達に見守られて大きくなる。
まるで縄文時代中期(五千~四千年前)の環状集落みたいだと思う。
環状集落とは、長者ケ原遺跡もそうだけどドーナツ型に住居を並べて、中央の広場を墓域とする集落のこと。
新町の男ショ(衆)は、けんか祭りの前後に三々五々、ここで墓参りする。
誰に教えられることなく、自然にそうしたくなるのが素晴らしい。
我々は先祖と共に人生を歩んでいる。
つまり新町の男たちには、神様を守る地区という自負心があるのだ。
私の子供の頃は、野球大会や運動会、水泳大会でリレー選手に選ばれて当然、個人優勝しても当り前。だって新町の男だろ?って感じだった。
昔は漁師村だったこの地域には、浜育ち特有の潮っ気のある男も多い。
新町のけんか祭り仲間(新友会)の寄合も「じぞさん」の広間で行う。
老いから若きまで世代を繋いで継承されていく祭り・・・これぞ文化。
男同士で和気藹々と宴が続く。
新町気質・・・説明するには私の叔父の武勇伝が好例だ。
戦後まもないまだ寒い二月の頃、新町の漁師がエビの手繰り漁に出た。
漁師が3~4名が乗った四隻の小型漁船が漁を終えて浜に戻るころ、それまで穏やかだった海にジモン(地者・・・陸から吹く南風)が回って時化だした。
糸魚川の海は海岸段丘が発達しているので、海が時化ると波打ち際で叩き付けるような大きな波が巻いてとても危険・・・サーフィン用語でダンパーな波というやつ。
浅瀬からいきなり深くなる寺町の浜では、スクリューの回転を落として惰性で上陸しようとすると、強い引き波に翻弄されて更に危険になる。
浅瀬に乗り上げたら一気に浜に引き上げないと、追い波に巻かれて沖に持っていかれてしまうのだ。
漁師達は浜に帰りたくても波が高すぎて帰れず、途方に暮れていた。
途方に暮れていたのは、漁師たちの帰りを待つ家族達も同様。
尋常ではない浜の騒ぎに人々が集まってきた。
こんな場合の救助方法は一つ。
それは「手引き」といって、泳ぎの達者な者が沖の漁船まで泳いで綱を持って行き、浜から大勢で漁船を引っ張りあげるというもの。
しかし「誰か助けてくんない!」という漁師の家族達の切ない願いも空しく、人助けといえども真冬の時化た海に飛び込む愚か者はいない・・・そのうちに漁船はジモンの風で沖に流されていく・・・。
ところが命知らずのお人好しが一人いた。
私の叔父の秦誠逸(ハタセイイツ・故人)その人である。
叔父は軍隊相撲で鳴らした偉丈夫だ。
もちろん荒海育ちの生っ粋の新町の男。
叔父は引きとめる親族を振り払って褌裸になり、酒を含んで酒シブキのお浄めを体に吹きかけた。
長兄の逸郎(イツロウ・存命)に、「オラが見えんなったら綱を引っ張り上げてくんないや!」と託し、体に綱を巻き付けて颯爽と海に飛び込んだそうだ。
抜き手を切って波間に見え隠れしながら沖に向かう叔父を見守る群衆・・・ついに波間に姿が消えた・・・逸郎は「せいっちゃ、見えんやんなった!ええかぁ、綱ぁ引くわんぞう!」と、浜に集まった新町のショウ(衆)に大声を掛けた刹那・・・沖の漁船に叔父がすっくと仁王立ちして浜に手を振る姿が見えた。
固唾を飲んで見守っていた人々から歓声が上がる。
「せいっちゃ、やった!やった!やったわい!胆の太い男なもんじゃないか!」
あとは漁船に綱を結わえて、波の寄せるタイミングに合わせてみんなで引っ張り上げるだけだ。
漁船を浜に引揚げる際、叔父は再び海に飛び込み船首を肩に担いで段差になった段丘を走って越えた・・・本人談(笑)
この武勇伝は、子供の頃から親族が集まる席で何度も聞かされた。
叔父はその話がでると照れ臭そうに、「次の朝のまだ暗いうちに玄関をば叩く音してさ、せいっちゃおるかぁ、って言うわんだわ。玄関出てみたら助けた漁師のジイチャおってさ、酒一升やん出して、『われダボてダボて・・・われ死んだらわれのカアチャになんて言やぁいんだや!ダボてダボて・・・』って怒られたんだわ。命がけで人助けして酒一升だけ貰ってさ、なんでダボ呼ばわりされんならんだいなぁ・・・?」と訥々と話にオチを付けた。
ダボとは糸魚川方言でアホとかバカの意味である。
現在の寺町区の氏子総代は、新町のKさん。
けんか祭りのフィナーレを飾る「お走り」は、氏子総代が榊を振ることが合図。
名誉で重要な役だから、祭りでこの装束の人を見たら一礼して下さいな。
「総代!1+1は?」とカメラを向けると「にぃ!」と応えてくれる気さくな人だが、豪放磊落を絵に描いたような典型的な新町の男。
Kさんにも叔父に似た凄い武勇伝があって、Kさん会う度に叔父を想い出す。
親父に言わせると若い頃の叔父は「無法松みたいだった」そうだ。
けんか祭りの時はベロベロに酔っぱらって、押上区の神輿に喧嘩を仕掛けたりとやりたい放題だったらしい。
けんか祭りに出て、叔父の武勇伝に切実なメッセージを感じるようになった。
わりゃ、四の五の言わんと、冬の二月の海に飛び込めるわんか?
想ったことは口だけじゃなあて、やってみさっしゃい。
叔父が何時も私に問いかけている。
そして、けんか祭りに出るということは、一朝事あった時に勇敢に行動する訓練にもなっているのだと痛感している。
それが祭りであり、祭りは人を育てるのだ。