縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

荒海育ちでけんか祭りで磨きをかけた新町気質・・・叔父の武勇伝

2014年04月30日 23時40分34秒 | 田舎暮らし



寺町区の中でも、私が生まれ育った寺町四町目と五町目は新町(シンマチ)といって特別な地域とされる。

何故なら新町には、けんか祭りの発端となった人物がいて、今も代々とその家系が続いているからである。
以下はその由来の一節。

或る時、甚兵衛・甚之丞の兄弟の漁師が、押上の浜で神様を助けた。
以来、甚兵衛・甚之丞を助けた神様の守りとして、けんか祭りが始まったのが室町時代の頃・・・。

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新町の人々が眠る地蔵堂。通称「じぞさん」。
海が見える新町らしい墓地で、地区の集会所でもあり、子供たちの遊び場だ。
新町の浜っこは、ご先祖達に見守られて大きくなる。
まるで縄文時代中期(五千~四千年前)の環状集落みたいだと思う。
環状集落とは、長者ケ原遺跡もそうだけどドーナツ型に住居を並べて、中央の広場を墓域とする集落のこと。
新町の男ショ(衆)は、けんか祭りの前後に三々五々、ここで墓参りする。
誰に教えられることなく、自然にそうしたくなるのが素晴らしい。
我々は
先祖と共に人生を歩んでいる。



つまり新町の
男たちには、神様を守る地区という自負心があるのだ。
私の子供の頃は、野球大会や運動会、水泳大会でリレー選手に選ばれて当然、個人優勝しても当り前。だって
新町の男だろ?って感じだった。
昔は漁師村だったこの地域には、浜育ち特有の潮っ気のある男も多い。
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新町のけんか祭り仲間(新友会)の寄合も「じぞさん」の広間で行う。
老いから若きまで世代を繋いで継承されていく祭り・・・これぞ文化。
男同士で和気藹々と宴が続く。


新町気質・・・説明するには私の叔父の武勇伝が好例だ。

戦後まもないまだ寒い二月の頃、新町の漁師がエビの手繰り漁に出た。
漁師が3~4名が乗った四隻の小型漁船が漁を終えて浜に戻るころ、それまで穏やかだった海にジモン(地者・・・陸から吹く南風)が回って時化だした。


糸魚川の海は海岸段丘が発達しているので、海が時化ると波打ち際で叩き付けるような大きな波が巻いてとても危険・・・サーフィン用語でダンパーな波というやつ。

浅瀬からいきなり深くなる寺町の浜では、スクリューの回転を落として惰性で上陸しようとすると、強い引き波に翻弄されて更に危険になる。
浅瀬に乗り上げたら一気に浜に引き上げないと、追い波に巻かれて沖に持っていかれてしまうのだ。


漁師達は浜に帰りたくても波が高すぎて帰れず、途方に暮れていた。
途方に暮れていたのは、漁師たちの帰りを待つ家族達も同様。
尋常ではない浜の騒ぎに人々が集まってきた。

こんな場合の救助方法は一つ。
それは「手引き」といって、泳ぎの達者な者が沖の漁船まで泳いで綱を持って行き、浜から大勢で漁船を引っ張りあげるというもの。

しかし「誰か助けてくんない!」という漁師の家族達の切ない願いも空しく、人助けといえども真冬の時化た海に飛び込む愚か者はいない・・・そのうちに漁船はジモンの風で沖に流されていく・・・。

ところが命知らずのお人好しが一人いた。

私の叔父の秦誠逸(ハタセイイツ・故人)その人である。
叔父は軍隊相撲で鳴らした偉丈夫だ。
もちろん荒海育ちの生っ粋の新町の男。

叔父は引きとめる親族を振り払って褌裸になり、酒を含んで酒シブキのお浄めを体に吹きかけた。
長兄の逸郎(イツロウ・存命)に、「オラが見えんなったら綱を引っ張り上げてくんないや!」と託し、体に綱を巻き付けて颯爽と海に飛び込んだそうだ。

抜き手を切って波間に見え隠れしながら沖に向かう叔父を見守る群衆・・・ついに波間に姿が消えた・・・逸郎は「せいっちゃ、見えんやんなった!ええかぁ、綱ぁ引くわんぞう!」と、浜に集まった新町のショウ(衆)に大声を掛けた刹那・・・沖の漁船に叔父がすっくと仁王立ちして浜に手を振る姿が見えた。


固唾を飲んで見守っていた人々から歓声が上がる。
「せいっちゃ、やった!やった!やったわい!胆の太い男なもんじゃないか!」

あとは漁船に綱を結わえて、波の寄せるタイミングに合わせてみんなで引っ張り上げるだけだ。

漁船を浜に引揚げる際、叔父は再び海に飛び込み船首を肩に担いで段差になった段丘を走って越えた・・・本人談(笑)


この武勇伝は、子供の頃から親族が集まる席で何度も聞かされた。

叔父はその話がでると照れ臭そうに、「次の朝のまだ暗いうちに玄関をば叩く音してさ、せいっちゃおるかぁ、って言うわんだわ。玄関出てみたら助けた漁師のジイチャおってさ、酒一升やん出して、『われダボてダボて・・・われ死んだらわれのカアチャになんて言やぁいんだや!ダボてダボて・・・』って怒られたんだわ。命がけで人助けして酒一升だけ貰ってさ、なんでダボ呼ばわりされんならんだいなぁ・・・?」と訥々と話にオチを付けた。

ダボとは糸魚川方言でアホとかバカの意味である。


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現在の寺町区の氏子総代は、新町のKさん。
けんか祭りのフィナーレを飾る「お走り」は、氏子総代が榊を振ることが合図。
名誉で重要な役だから、祭りでこの装束の人を見たら一礼して下さいな。
「総代!1+1は?」とカメラを向けると「にぃ!」と応えてくれる気さくな人だが、豪放磊落を絵に描いたような典型的な新町の男。
Kさんにも叔父に似た凄い武勇伝があって、Kさん会う度に叔父を想い出す。



親父に言わせると若い頃の叔父は「無法松みたいだった」そうだ。
けんか祭りの時は
ベロベロに酔っぱらって、押上区の神輿に喧嘩を仕掛けたりとやりたい放題だったらしい。

けんか祭りに出て、叔父の武勇伝に切実なメッセージを感じるようになった。

わりゃ、四の五の言わんと、冬の二月の海に飛び込めるわんか?
想ったことは口だけじゃなあて、やってみさっしゃい。
叔父が何時も私に問いかけている。

そして、けんか祭りに出るということは、一朝事あった時に勇敢に行動する訓練にもなっているのだと痛感している。

それが祭りであり、祭りは人を育てるのだ。




けんか祭りで、使った草鞋は縁起物

2014年04月29日 21時08分30秒 | 糸魚川自慢
けんか祭りで履いた草鞋を、ぬなかわヒスイ工房の軒先に吊している。


祭りで使った草鞋はゴミ扱いできず、来年の祭りまで軒先に吊しているのだけど、昔から縁起物として同じことをする習慣があったという事を最近知った。

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神様と共に天津神社の土を踏みしめ、境内を暴れまわった泥だらけの草鞋である。

誰に教えられるともなく、特別な力が宿っていると自然に想えるのだ。
あの祭りに出た男ならば、粗末には扱えない気持ちになるのは昔も今も変わらないようだ。


軒先に吊されたボロボロの草鞋を見るたびに祭りに想い馳せ、仲間達を想う。
これすなわち郷土愛というもの。


来年の祭りが終わったら、今年使った草鞋は家庭菜園で土に環すのだ。

来年まで達者でおらんといけん。










海からみたトットコ岩・・・正面から見たら恐竜みたいだった

2014年04月28日 21時37分15秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト

シーカヤックで能生方面に遠征。

能生の海の玄関は、ジオサイトの一つ、フォッサマグナの火山活動でできたという弁天岩である。

弁天岩の南側には白山神社(中世以前は奴奈川神社)があり、その後ろには禁足地の叢林が聳える。
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弁天岩; 北緯37・108 東経137・990
恐らく縄文の昔から弁天岩と白山神社の叢林は信仰の対象になっていたのではと思わせる雰囲気がある。

今回は弁天岩から東に向かい、筒石漁港までのショートトリップ。

出航して1.5キロくらいでトットコ岩に出会う。
トットコとは糸魚川方言でニワトリのことである。
誰が観てもニワトリというよりヒヨコに見えるが、それは南側の陸上からの話し。
北側の海から見たらどう見えるのだろう?

トットコ岩の付近は浅瀬で暗礁だらけなので、スクリューのある船は近づくと危険。
喫水の浅い手漕ぎの小型船なら近寄れるので、シーカヤックはうってつけだ。
透明な海面から暗礁がクッキリ見えるので、空を飛んでる感じがした。

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北西から近づくと、首長竜が鎌首を持ち上げてこっちを見ているみたいでちょっと不気味な感じ。

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トットコ岩;北緯37・109 東経138・000
東から観た横顔。

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南東からからは下唇が出っ張って見えて、ドナルドダックを連想した。


トットコ岩から東に向かうと岩場がなくなって、サーフィンポイントで有名な百川、籐崎の砂浜が続くが、延々と風景が変わらないのでシーカヤックでは面白くない。

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百川・籐崎海岸沖


腰と尻がが痛くなって・・・つまり退屈してやっと筒石漁港。
漁港手前1キロほどから、風にのって祭り囃子が聞こえてみた。

漁港を見下ろす高台の神社で祭りをしているらしい。

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筒石漁港;
北緯37・136 東経138・060

このさらに東に昔の筒石漁港が残っていて、風情があって好きな場所。
しかし再び暗礁が続くので危険な海域だ。

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今は遊漁船が何隻かあるだけの古い筒石漁港。
素潜りすると岩と海藻、魚がワンサカいて、まるで竜宮城だ。


今回は筒石から弁天岩までの往復14キロ・約3時間のミニ航海。
行きは上り潮(北から南へ向かう潮)で時間がかかったが、帰りは楽勝。

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翌日は名立漁港で浜祭りをしていた・・・大漁旗を見ると血が騒ぐ。




キティーちゃんを日本のゆるキャラ代表に!・・・(続)かわいい?

2014年04月25日 20時05分55秒 | こんなモノ作った!

「かわいい」って何だろう?
お客さんから「ヒスイで可愛い感じのハート型のピンバッチを作って下さい」という注文に応えてから、「かわいい感じ」について色々考えてみた。
いまや「かわいい」は世界共通語になったそうだ。
キュートでもプリティーでもない「かわいい」って何???
そして「かわいい」の後に「って感じ」という部分にもヒミツがありそうだ。


わたしはネコ好きなので、自分なりに「かわいい」フォルムを追及していったら、キティーちゃんやジブリアニメの「魔女の宅急便」に出てくる黒猫ジジに似たピンバッチを作ってしまった。

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左から蛇紋岩、ヒスイ、ネフライト(軟玉ヒスイ)で作ったピンバッチ
かわいい???
因みに眼には漆が塗られている。

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「かわいいって感じ」のナゾは、丸みと厚みに鍵がありそうだ。
リアルな口があると、途端に能弁になって「感じ」という曖昧模糊さがなくなるようである。
文字通り無口な所に、人はあどけなさ、いたいたけ、そして「もののあはれ」を感じて、感情移入してしまうのかな?と思う。



けっしてデザインを真似した訳ではなく、「かわいいい感じ」という曖昧模糊としたイメージを具現化したらこうなったという話し。
つまりキティーちゃんのデザイナーや宮崎駿は、「かわいいって感じ」の本質を掴んでいるということだろう。


それにしてもキティーの国際的な人気たるや凄まじい。
日本の国はゆるキャラ流行りだけど、いっそのこと、キティーちゃんをゆるキャラ日本代表にしてはどうか?

キティーちゃんを日本の親善大使に任命して、反日感情の高い国に派遣するのだ。

尖閣問題だってキティーちゃんの「ヨロシクネ!」という一言で丸く収まったりして(笑)

国際法や歴史認識を理路整然と並べたてるより、「かわいい感じ」がこれからの日本のイメージ戦略なのでR!











シーカヤック親不知探訪記・・・12キロの冒険ごっこ

2014年04月24日 01時22分12秒 | 日本海縄文カヌープロジェクト




糸魚川市の名所の一つ、親不知はここ数十年で急激に進んだ海岸浸食により砂浜が分断されて、現在は陸地を通り抜けることができなくなっている。


正確にいえば
新潟県西端の市振から歌集落、つまり親不知駅周辺、もっと解り易くいえば親不知ピアパークまでが親不知だ。
歌から東端の勝山(資料によるとさらに東の青海川)までを子不知と呼ぶ。
この区間が
15キロも断崖絶壁が続く親不知子不知の難所である。

親不知子不知は北陸道(別名加賀街道。現在の国道8号線)最大の難所とされ、
波の高い時には幾多の人々が波にさらわれて海の藻屑と消えた所。
最盛期で四千人もの行列を連ねた加賀百万石の参勤交代が通る時には、歌の男ショ(衆)たちが波打ち際で人間バリケードを作って行列を守ったそうだ。

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親不知には大懐、小懐、大穴、小穴という避難場所の名前や、弁慶の力水、波除観音、浄土、駒返しといった旧跡もあると聞いていた。
何やら文学的な地名の数々ではないか。
歩いて観ることができないなら、海から観てきてやろうじゃないの!と、シーカヤックで訪れてみた。

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シーカヤックとは、北極圏からアリューシャン列島にかけた伝統的な狩猟用カヌーをベースにした海用のカヌーだ。
コックピットに体をスッポリと入れる方式なので荒海の航海に向いている。
写真は頂きものの古い
シーカヤックを自分で長距離航海用にカスタムとペイントし直した「縄文人(見習い)号」。


次に続く人のためにスマホのGPSで計測した北緯と東経を記録したので、ご参考のほどを。

今回のレポート作成にあたって何度か海から調べたのだが、各名所旧跡に案内看板があるわけでもなく、位置が特定できない所は市振在住の郷土史家、蛭子建治先生に教えて頂いた。
蛭子先生はかって糸魚川高校で古典と漢文を教えておられたが、私も赤点しかとったことのない不肖の教え子(笑)

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30年ぶり以上もご無沙汰していたが、蛭子先生は相変わらずお達者。
話しに興が乗ると身振り手振り、声の抑揚が大きくなるエビチャン節は健在!
何故か鉢巻をされていた(笑)



以下レポート
子不知
 (ピアパーク~勝山)

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「二つ岩」・・・北緯37.00東経137.44
親不知ピアパークの東側にある絶交の素潜りポイント。
地元の歌地区では雄岩(おいわ)と呼んでいたそうだ。


途中に「駒返し」という地名があるそうだが、現在はコンクリート護岸されていて特定不明

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「亀岩」・・・亀っぽい岩がいくつかと海面下に沢山の暗礁が観えた。
潮の流れが速くて、写真撮影だけで精一杯でGPS記録を取ることができなかった。

亀岩の向こうに観えるのが駒返し???

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「落り水(おちりみず)」・・・北緯37.019 東経137.78  
二つ岩からの距離4.315キロ

崖の上がドライブイン勝山で、ここはまだドライブイン横の階段を降りれば行くことができる。

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落り水は昔と変わらず冷たい水が落ちていた。
高校生の頃、ここでキャンプしたのだ。
芭蕉、高杉晋作等々、有名無名のあまたの旅人達が喉を潤したに違いない。



親不知 (ピアパーク~市振)

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「鵜の家」 ・・・北緯36.996 東経137.71  
ピアパークからの距離2.89キロ

展望台のすぐ下。
この日も岩の上に鵜がいたが、周辺は暗礁が多い。


「弁慶の力水」・・・現在は消滅

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「波除観音」「ひげそり岩」・・・北緯36.994 東経137.70
ピアパークからの距離3.8キロ  
鵜の岩の西側。
右側の崖上に親不知観光ホテルがあり、ホテル東側の階段を降りてから海岸を東に歩いた突き当りがひげそり岩で、ひげそり岩の北側の断崖に波除観音がある。

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ひげそり岩の西側・・・残念ながら観光ホテルの断崖を降りて歩いてもすぐに行き止まりになるが、東に10mも泳げば反対側に回り込んで波除観音を観ることができる。

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「波除観音」は具体的な場所を教えて貰わないと気付かない位置にある。
何度か探しても分からなかったので、蛭子先生に教えてもらったのだ。
先生が何十年か前に計測した所、断崖
の地上10mにあったそうだ。
この写真は沖から望遠で撮影したので正面を向いているが、真下から見上げると

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よく観ると岩の頭から少し下がったところに二つの丸いものがある・・・
絶対わからん!
蛭子先生によると、子供が波にさらわれ観音様に祈ったら、次の波で子供が戻ってきた親が観音像を奉納したそうだ。
ちょうど北を向いている。


「大懐・小懐」・・・潮の流れとウネリが出てきて位置測定できなかったが、かみそり岩の西100m内外に「大穴・小穴」と続く。

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左が大懐、右が小懐
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大懐・・・二百人が避難できたと伝えられているが、現状では三十人くらいがやっとだろう。
撮影のために漕ぐのを休むと暗礁だらけの岸にドンドンと寄せられて危険だった。

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「大穴・小穴」・・・大懐の10mくらい西にある。
深い洞穴をイメージしていたが、現在はほんの申し訳程度の岩穴。


ここから西側の長走りは消滅し、南無大師遍照金剛と線刻された断崖もあったそうだが、数十年前に崩落して今は痕跡すら見いだせない。

波除不動という石の祠もあったそうだが、これも不明。
このあたりからコンクリート護岸が市振まで4キロほど続き、正直いって退屈。

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今回のレポートを作るために親不知往復二回、子不知一回の合計三日間かけた。確かに親不知は風光明媚だ。
しかしシーカヤックで二度も同じ場所を漕ぐと、面白いのは鵜の岩~大穴・小穴の500mくらいに尽きるといっていい。

しかしだ・・・
ただ漕いで親不知の断崖を眺めるだけでは勿体ない。
親不知の魅力は海の中にも沢山あるのだ。

今回の探訪でもイルカらしき背中、フグの子供の群れ、暗礁に折り重なって群生する岩牡蠣が透けて観えた。
断崖が10キロ以上も続くということは、生活排水の流れ込みがないということで、海水は綺麗ということ。
航路途中で簡単なボルダリング(道具を使わない岩登り)もやった。
親不知はアウトドア遊びの宝庫なのだ。


ピアパークから市振海岸まで約7.6キロ
子不知も合計すると約12キロといったところ。
しかしこの間で車でアクセスしてシーカヤックを海に降ろせるのは、親不知ピアパークと市振海岸に限られる。

だから親不知と子不知、シーカヤックやサップでトリップするなら、どちらに行くにもピアパークをベースにするしかないだろう。
親不知は断崖が続くので、海況の変化や転覆などしても自力でなんとかするしかないから危険でもある。
当り前だが、体力や技術より、海況も含めての状況判断の的確さが重要だ。




世界初!彩色石笛・・・餃子のヒミツ

2014年04月20日 11時48分58秒 | こんなモノ作った!



アイデアが次々と湧き出てきて困っている・・・形にする時間が足りないのだ。
今回は、蛇紋岩作った御物石器型の石笛に色漆で彩色してみた。
世界初の彩色石笛である。


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赤く彩色された木の葉状の石笛は、宝貝(子安貝)を模した石笛で実際に縄文遺跡からは土器で作った宝貝が出土している。

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左がモデルにした宝貝で、沖縄の海で拾ったもの。
南の暖かい海に生息する貝でも、古くから中央アジアの砂漠地帯でも珍重されてきたまさしく宝の貝だ。


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裏側・・・宝貝にも模様のバリエーションが沢山ある。


なぜ宝貝かというと、この貝は原始時代のアジアやアフリカ、オセアニアなどで富の象徴とされてきたからだろう。

では何故、宝貝が富の象徴なのか?
ズバリそれは女性器に似ているからでR・・・恥ずかしい(笑)

原始人たちは、男性器たる縄文ファルスには旺盛な生命力、女性器には新たに生み出される生命力を感じていたらしい。
だから宝貝は
富の象徴として、各地で財産や貨幣に使われてきた歴史があるのだ。

前にも書いたが、経済に関連した漢字に貝が付くのはこのためであり、餃子は宝貝を模して子孫繁栄を願った食物なのである。

因みにインドにはサモサという餃子に似た食い物があるが、これは三角形をしており、インド文化圏では女性器の象徴だそうだ。
サモサはカレー味の潰したジャガイモをチャナ豆の粉で練った皮で包んで油で揚げた食い物で、インドではおやつや弁当として日常的に食われている。



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左の大きい彩色石笛。
これと同じ模様の土器や御物石器、土器製の笛も出土している。


渦巻き状の模様は、始まりも終りもない永遠に続く時の流れを顕しているのではないだろうか?
この模様も世界中にバリエーションがある。

朝から夜になりまた朝が来る・・・ただ同じことを繰り返しているだけなら、それは円で表現できる。

しかし時の流れを円運動に加えると、それは即ち螺旋だ。
螺旋は宇宙であり、神的存在を表現しているのではないだろうか?

私は縄文土器に施文された縄文や渦巻き文様には、そんな意味が籠められているのではないかと感じている。









女たちのけんか祭り・・・糸魚川の隠れた郷土料理

2014年04月17日 22時03分48秒 | 民俗学ごっこ


糸魚川のけんか祭りはこれまで書いてきたように、大変に男らしい祭りである。

糸魚川市に生まれても、一の宮の氏子である寺町区、押上区、大町区、一の宮区の男にだけ参加が許され、実際に神輿を担げるのは寺町区と押上区の男に限るから、この二つの町の男たちはことさらに郷土愛が強いのではないだろうか。

しかし典型的な男祭りといえども、実のところ女たちが支えている事を忘れてはいけない。

祭りの当日の早朝に禊に行く男たちよりずっと早く、女たちは起きて祭りの支度をしている。

もち米を蒸して自家製のアンコロ餅を作るのだ。
中にコシアンを入れて俵型に整えたヨモギ餅に、黄粉をまぶした餅である。
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透き漆が塗られた細長い蓋付きの箱は、餅を搗いた時に並べるハレの日の道具で、かって糸魚川の家ならどこの家にでもあった。



禊を終えた男たちは、出来立てのアンコロ餅で腹ごしらえをしてから祭りに赴くのである。

アンコロ餅に供されるのは温かいオボロ汁。
乾し椎茸で出汁をとった薄い醤油味の汁で、具材はオボロ豆腐のみ。
トロミを付けた後に刻んだ柚子皮を香味に散らしたシンプルな汁物だが、温かいオボロ豆腐が腹を温めてくれて元気がでる。

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オボロ汁は
糸魚川で冠婚葬祭の時に出される郷土料理。
糸魚川市にIターンして何年も経った人でも、けんか祭り関係者が友人知人にいないと食ったことがない料理だが、地元の人も郷土料理という自覚はないほどの隠れた郷土料理なのだ。



男たちを祭りに見送った後は、ごっつお(御馳走)を重箱に詰めて一の宮に応援に行くのが女たちの仕事・・・といっても今時は珍しい光景となった。


女たちが観ているからこそ男たちは頑張る。
無様な姿は見せたくないし、例え婆ちゃんや子供でも女の声援が男を奮い立たせる。

女たちには祭りの後、泥だらけになった祭り装束の洗濯が待っている。
クタクタになった男たちの世話だってある。


さて、来年は新幹線が開通する。
どうだろう?
けんか祭り当日は、糸魚川駅と一の宮でアンコロ餅とオボロ汁を振舞っては?
糸魚川市の郷土料理というと海産物と山菜を思い浮かべる人が多いと思うが、この二つは誰も郷土料理
・・・厳密に言えばけんか祭りの・・・と思っていないほどに身近なハレの日の食い物なのだ。

どこでもありそうだけど、どこにもないけんか祭り。
どこでも食えそうだけど、けんか祭りの時にしか食べられない郷土料理。

けんか祭りは、女しょ(女の衆)が支えている。










ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!・・・アルカリ角閃石編

2014年04月16日 07時08分28秒 | こんなモノ作った!




鉱物好きの友人が青っぽい石を持ってきてくれた。

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同じ石なら姫川でたまに見たことはあり、青っぽい砂岩くらいに考えていたのだけど、苔土リーベック閃石らしいとのこと。

友人によると見た目は地味だけど、研磨するとピカピカになるとのことだったので縄文ファルスブラザースの仲間入りさせてみたのがこれ!

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どうでしょう?

ガンダム世代ならランバ・ラル大尉搭乗機「青い巨星」を連想しないだろうか?

知らない人のために説明しておくと、80年代に流行ったガンダムというSFアニメに登場する青く塗装された戦闘ロボットのこと(笑)

私はガンダム世代だけど小学生の時に流行ったマジンガーZのほうが好きなので、実の所ガンダムは詳しくないから突っ込まないで欲しい!

この石を拾った友人がガンダムファンで色々と教えてくれたのだ(笑)。

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アニメでは有り得ない「赤い彗星」と「青い巨星」の夢の競演!
「赤い彗星」とは同じくガンダムに出てくるシャーというライバルのロボットのこと。
最近どうよ?バチボチでんなぁ・・・なにやら相談している。


他の人に観て貰ったら、広義な意味でアルカリ角閃石といったほうが無難とのことで、とりあえずアルカリ角閃石ということにしておく。

さてこの石、確かに加工すると原石の状態とは想像もできない発色と光沢が出た。

群青色の地に白い霞模様が入り、赤い粒が散見する・・・。

あたかも宇宙空間に広がる星雲と赤い妖星の景色!

面白い石だけど異常に柔らかい部分と硬い部分が混在するために、非常に形が取りにくい石であり、加工には泣かされた。

しかし面白い石であることに変わりはない。

ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!



「けんか祭り」徹底解剖大図鑑!・・・鶏爺の竹編

2014年04月13日 21時26分08秒 | 糸魚川自慢



けんか祭りが終わって二日目・・・生欠伸が出て眠くて仕方なく、誰とも話したくない・・・ひとり静かに余韻に浸っていたい感じ。

この時期の私は借りてきた猫のように大人しいとよく言われるけど、今はギリギリと引かれた心の張りが少しづつ解れていく状態で、一週間くらいかけて日常モードに戻っていく。

今日は鶏爺の青竹で箸を作った。

鶏爺(トリジ)と運営委員長に記念としてプレゼントするのだ。
二人とも私が生まれ育った新町(寺町4・5丁目)の人で、特に運営委員長は幼馴染の従弟であり、今年の祭りは私にとって特別だったのである。

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箸はそれぞれの家族分の七膳作るので結構な仕事量だ。
竹を割って、削って、ヤスリを掛けて、焙って油抜き、天日乾燥の手順。


鶏爺はけんか祭り
において神様を迎える大役で、神の憑代である青竹を自宅に立て、祭りの間は招魂した神と共に過ごす接待役のようなものだ。

生涯に一度しか経験できない名誉であり、誰でも希望すればなれる役ではない。

鶏は神の使いという思想から鶏爺という役が出来たのだと思うし、伐り取ったばかりの青竹は新鮮な霊力を持つという考えから憑代に選ばれたのだと思う。

今でも東南アジアに残っている風習だが、かって日本の出産では伐り取ったばかりの青竹で作った片刃ナイフで臍の緒を切る風習があった・・・青竹は魔を祓うのだ。

クリスマスツリーのルーツは、キリスト教以前から西洋においては冬至の神の憑代であり、春の神の憑代のメイポール、ネパールのインドラ神(帝釈天)の憑代となるインドラジャトラ、そして諏訪の御柱や糸魚川市の寺地遺跡の四本の列柱などなど、鶏爺の竹の類例は見ることが出来る。


さて、鶏爺の自宅に立て、祭りの最中には踏ん張り桟敷に立てられる憑代の青竹だが、何時・誰が・何所で伐り取って・祭りが終わったらどうするのか?

私も詳しく知らなかっので、今回の祭りで調べた。
ここに一気に公開!
題して「けんか祭り」徹底解剖図鑑!・・・鶏爺の竹編(笑)

ただし今回は押上区の竹伐りも見学したら手順や作法など違いがあったので、ここで紹介するのはあくまでも寺町区の方法。


①4月6日・・・竹を見立てて晒しを巻いて目印を付けておく。

 伐採場所は一の宮(天津神社・奴奈川神社)東側の竹林。

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②4月8日夕方5時・・・一の宮(天津神社・奴奈川神社)に集合して祭りの準備。

③目星の竹にお神酒でお浄め後、最初に鶏爺が竹に土下座してから鋸を入れる。

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神妙にノコギリを入れる鶏爺の世木さん。

④鶏爺の親戚2名、竹伐り名人1名の合計4名が同様の礼拝をして伐採。

⑤竹を鶏爺の7.5尋(両手に紐を持って広げた長さを1尋とする)に切り落とす。

⑥青竹を有志がワッショイと囃しながら歩いて鶏爺の自宅まで運び、立てる。


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⑦4月10日朝、禊の後に青竹を鶏爺の自宅から寺町区公民館、一の宮へとワッショイと囃しながら歩いて移動し、踏ん張り桟敷に立てる。

⑧祭りが終わったら再び鶏爺の家に立て、12日早朝に倒して解体。
 解体された竹は縁起物として鶏爺の親戚や祭り関係者に配る。

以上が鶏爺の竹の全貌!


どうですか?
けんか祭り好きの皆さん。(特に消防士のIさん!)
竹の長さは鶏爺の7.5尋に切り落とすということまでご存じでしたか?(笑)

これまでのけんか祭りの記録は見物者の立場の人が、祭り当日に一の宮境内の中で起こっている事だけを民俗例を引きながら解説するというパターンが目につく。

当事者が祭りの前後を当事者のために記録し、後世に伝えていくことも大事だと思うのだ。



イルカが跳んだ!男たちが奔った!・・・ドキュメントけんか祭り2014年

2014年04月11日 09時23分36秒 | 民俗学ごっこ


けんか祭りの朝は朝凪の静かな海。
数日の暑い日は続いていたのに海水は冷たかった。

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禊が終わる頃、イルカの群れが現れた

沖合で観たことはあっても、海岸では初めて・・・瑞兆!


各自帰宅して身支度を整えて公民館に集合。
2キロ先の天津神社まで行進する。
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若手に草鞋の履き方を教えるベテラン。
男たちが履く草鞋は、根知区の根小屋で作って貰うそうだ。
元漁師町の寺町と押上の男だけに参加が許された祭りだが、山の衆(ショウ)の協力なくして祭りが成り立たないのが面白い。


登社する時分には小雨が降りだし、けんか祭りが始まるころには本降りとなった。
祭りの火蓋は、ジョウバと露払いが先導を務めて最初の激走から切って落とされる。

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上はフェイスブック仲間のペンションクルー若旦那の岩崎さん、下段は五十嵐哲夫さん撮影でどちらも迫力のあるいい写真だ。



押しつ押されつつ、がっぷり四つ相撲のいい祭り。
寒くなっていたので、神輿周辺には熱気で湯気が立って凄惨な雰囲を高めた。
男たちはずぶ濡れ、泥だらけになり、境内狭しと暴れ、奔ったので、「七人の侍」のクライマックスシーンみたいで迫力があったと思う。

装束が破れるほどの喧嘩もあったが、この日だけは「やれやれ~!」って声援が飛ぶ。

「お走り」・・・男の意地をかけて最後の激走!
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一の神輿を担ぐ押上は、二の神輿を担ぐ寺町に神輿を収める後ろ姿を見られたら敗けとなるので必死に奔る。押上が勝てば豊漁が約束されている。

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二の神輿を担ぐ寺町は、半周のハンデがあって勝てない仕組みになっていても全力で押上を追う。お走りの写真は二枚ともペンションクルー若旦那。


神輿を収めたあとは東西の踏ん張り桟敷に戻って「ワッショイ!ワッショイ!」と勝鬨を挙げ続ける。
ある民俗学者はこの様子を「集団憑依のよう」と評したが、我々は「神サンが乗っとる」と表現する。


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東の踏ん張り桟敷で勝鬨を挙げる寺町区

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西の踏ん張り桟敷で勝鬨を挙げる押上区

参加者の言う神サンとは、天津神社の主祭神のニニギノ命?それとも奴奈川神社の奴奈川姫命?・・・天津神と国津神のどちら?なんて質問は野暮というもの。

我々は祖霊と共に在るという歓喜に満たされているのである。
ご先祖達が喜んでどる・・・それだけでいい。

今年もええ祭りになった。