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真脇遺跡探訪記・・・「海のヒスイ・ロード」西周り航路

2014年11月12日 08時03分19秒 | 民俗学ごっこ

晩秋の能登を訪れた。

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山の紅葉ではなく、海辺の納屋に絡み付いた紅葉写真を撮るのが俺流(笑)


能登には真脇遺跡というヒスイ出土地があるのだ。
個人的には「海のヒスイ・ロード」西周り航路の前線基地的な遺跡ではないかと考えている。
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真脇の出土品。人形ペンダントは糸魚川産の蛇紋岩かネフライト、それとも透閃石?・・・暗い室内のガラス越しでは何とも言えないけど、角閃石類に見える。

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この石棒も、長者ケ原遺跡出土品に似ている。男鹿半島の大畑台遺跡からも、そっくりな石棒が出土している。


真脇遺跡は低湿地のために木製品の保存状態が良く、金沢のチカモリ遺跡と並んでウッドサークルも出土している。

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ウッドサークルには玄関のように開いた場所があって、コンパスで確認したら南に開いていた。
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金沢市のチカモリ遺跡でウッドサークルの玄関?を確認した時には、霊峰白山の方向に開いていたようだが、真脇の場合は海に開かれているようだ。

海からのマレビトか、祖霊を迎え入れる為の玄関なのだろうか?
それともアイヌの熊送りの儀礼のような意味があるのか?

真脇遺跡からはイルカの骨が大量に出土しており、頭骨や石槍が突き刺さったものもあるので、どうやらイルカを喰っていたらしい。
してみるとイルカ送りの遺構なのかもしれない。


能登には大小の入り江や島が点在しており、富山湾側は波もなくとても静か。
静かな入り江と沢山の島、なだらかな山容を持つ能登半島は、どこか女性的な優しさがあるし、海の幸山の幸に恵まれた見るからに縄文人が住んでいそうな土地だ。

同じ日本海側の半島でも、外海のような波が押し寄せて険しい断崖が続く男性的な男鹿半島とは対照的な風景である。

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ある入り江では、季節外れのイルカの群れが飛び跳ねていた。
静かな入り江と大小の島・・・縄文人居住地に最適な土地は、アウトドア遊びに最適なフィールドでもある。


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能登の海岸には、能登瓦の欠片が落ちている。
北陸地方の瓦と言えば、珠洲地方で作っていた艶光する黒い能登瓦だ。
残念ながら最近になって廃業してしまったらしい。

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能登名物の見附島の別名は軍艦島。
綺麗な黄色い岩肌の正体は珪藻土で、能登半島には珪藻土が露頭した綺麗な島が沢山ある。
能登の地場産業のひとつ、七輪コンロも珪藻土が原料だ。

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能登の鎮守は気多大社の
拝殿裏の「入らずの森」の結界には、珍しい黒木鳥居があった。

樹皮が付いたままの丸太が黒木、樹皮を?いた丸太は白木ですな。


出雲族の北陸前線基地だったのでは?と考えております。
もしや出雲に拉致された奴奈川姫様がお住まいになっていたのでは???
根拠はないけど、そう思うのだ・・・。

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千里浜海岸は、観光バスも走れる砂浜。真冬は有名なサーフポイント。
糸魚川から日帰りできる有名なデートスポットでもある・・・懐かしい(笑)


能登を周っていたら、「海のヒスイ・ロード」西周り実験航海がしたくなってきた。
能登までなら糸魚川から近いので、友達と遊びながら・・・。