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神田のニコライ堂は高田屋嘉兵衛が関係していた!・・・「菜の花の沖」読書日記

2022年06月01日 07時32分37秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
ロシア正教のニコライ司祭が日本に布教に来たのは、神学生時代にゴローニンの著作「日本幽囚記」を読み、高田屋嘉兵衛のファンになったからだそうで、ニコライ司祭は嘉兵衛の子孫に逢いにまで行っている。
神田のランドマーク「ニコライ堂」は嘉兵衛に繋がっていた!
 
ロシア側から嘉兵衛は、「どういう状況下でも言葉に嘘がなく、快活で度量が大きく、聡明な人物」と評価されていたようだ。
「菜の花の沖」の後半には、欧州の後進地帯に住むスラブ人がいかにして帝政ロシアを作っていったのか?コサックの成立ち、シベリア・樺太・千島列島に支配を広げていった様子が仔細に描かれていて、時節柄、たいへんに勉強になる。
 
幕末の千島列島の北側はロシアが千島アイヌを極めて不平等な、というよりロシア本国の農奴と同じ扱いの恐怖支配をしていた。
 
エトロフ以南は幕命を受けた嘉兵衛が千島アイヌと対等の立場で漁場を開拓した結果、3年で人口が倍増して、後に嘉兵衛が囚われることになるロシア軍艦の乗員たちと同じく、千島アイヌからもタイショー(大将)と慕われた。
 
またロシア領で収奪の限りを受けていた千島アイヌが、エトロフではきちんとした家に住んで米の飯が食えて酒まで飲めると噂を聞いて、嘉兵衛を慕って逃げてきたそうだ。
 
武力を背景にした恫喝外交、支配地での強姦略奪は、「貴族が農奴を支配する国家」帝政ロシア時代、ソ連時代、そして今日まで変わらぬお家芸なのか?
 
この点は、松前藩のやってきた蝦夷地の統治システムとアイヌ民族の扱いもロシアと同じで、どちらもアイヌ民族の人口減と文化の衰退を起こしている。
 
個人的に接するロシア人は朴訥とした好人物でも、集団になると残虐な無法者・火事場泥棒になる・・・これはロシア人と接したことのある戦前戦中の日本人がよく口にする言葉。
その一方でゴローニンやリコルド、ニコライのように色メガネ抜きで日本人ならびに日本文化に敬意を示す知識人もいた。
 
個人と国家は別・・・どこの国でも同じですわね。