縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

わたしは面倒くさいガイド・・・糸魚川駅北大火で黒焦げになったヒスイ

2023年01月05日 07時03分47秒 | ヒスイ
6年前は大晦日まで、開けた正月は3日から、糸魚川駅北大火の被災者支援ボランティアをしていた。
焼け跡から貴重品や思い出の品を掘り出すボランティアである。
重機の解体工事が始まるまでに、人力で瓦礫をどかし、証券、仏具、貴重品などを探し出す。
黒焦げの結婚指輪に「よかったぁ!」と涙ぐむ、被災した老婦人。
それが床の間に飾られたヒスイ原石であったりしても、被災者にとっては家族の記憶を宿す記念の品。
亡くなったご主人が若い頃に拾ったヒスイは変色しているので、むろん市場価値はないが・・・。
 
モノの価値は市場価値にだけあるのではない。
 
ヒスイ拾いのガイドで「これは幾らくらいの価値がありますか?」と聞いてくる人に、大火で黒焦げになった結婚指輪やヒスイの物語りをする、わたしは面倒くさいガイドだ。
 
ヒスイが拾えなくても、一喜一憂しながらヒスイ拾いに興じたこと自体が旅の思い出。
 
現在のヒスイ人気に「ヒスイ海岸で一攫千金お宝ゲット!」といったノリを感じているが、ヒスイがかわいそうで情けなくなる。
 
この場合のヒスイとは金の価値で評価される希少鉱物としてではなく、万葉歌人が「拾いて得し玉かも」と詠み、縄文から古墳時代まで装身具が作られていた「ヒトとヒスイの物語」のことだ。
 
上杉謙信が甲斐におくった「義の塩」は、この海岸で作られた!この辺りが私の先祖の塩田だった!「けんか祭り」の朝に禊をする海!蛇紋岩は石斧の素材!と、ヒスイを抜きにしてもヒスイ海岸の物語はたくさんある。
 
 
 
 

 


アクセサリーのはじめ物語・・・国立民族博物館出版「ビーズ」

2023年01月02日 22時57分43秒 | ぬなかわヒスイ工房
ビーズ研究者の遠藤仁さんから頂いた、国立民族博物館出版「ビーズ」を正月休みに精読。
勾玉もビーズの一種なのだが、そもそも、なんでヒトは身を飾るのだろう?本書を読みながら考える。
「ライオンキング」の衣装デザインのアイデアは、、南スーダンのナイロート系部族の民族衣装だそう。
 
魔除け、お守り、帰属社会での身分やライフステージの表明、オシャレなど、時代や文化圏でビーズの持つ意味合いは多種多様。
人生の節目、つまりはライフステージの変化でアクセサリーが変わる文化もある。
 
しかしながら私は、より原初的な「愛着」を第一義と考えている。
 
類感呪術や威信材と認識する以前に、愛着あるモノと共にありたいという切実さが、貝殻や牙、骨、やがて石材に孔を穿ち、紐を通して首にかけたくなる欲求となる。
 
この考え方をするようになったのは、民俗学の石塚正英先生からフェティシズムの話を伺ってからだ。
 
一方で、台湾のタイヤル族には、山間地の農作業に乳児をともなう際、スズメバチの頭を連ねた紐を乳児の首にかけて魔除けとする風習があるそうだ。
愛着とはいえないが、こちらも切実な願いの現れ。
 
いまいちど勾玉とは?と問い直す。