昨日は、鶴ヶ峰から二俣川まで歩いた。
途中聴いた曲は、1910年生まれのサミュエル・バーバーの作品。
ペンシルバニア州で生まれた彼は、カーティス音楽院で学び、
優秀な成績で卒業したが、その作風は全般的には保守的で、
ヨーロッパの伝統的な作曲法に基づいているため、
「最後のロマンティスト」とも評されるようだ。
有名な曲は弦楽のためのアダージョである。
昨日聴いた曲は、序曲「悪口学校」、
管弦楽のためのエッセイ第1番と、
シェリーによる一場面のための音楽である。
どれも1930年代に作曲された初期の作品である。
序曲「悪口学校」は、学生時代に作曲された作品。
18世紀のイギリス劇作家シェリダンによって書かれた喜劇が、
この作品の素材になっているようだが、その内容は知らない。
中間部のオーボエ・クラリネット・弦楽器を中心に奏される旋律がいい。
最後は、華麗に全合奏で締めくくられる。
管弦楽のためのエッセイ第1番は、
最初弦楽器を中心に静かに、そして穏やかに始まる。
やがて、金管が加わり、ファンファーレ風の音楽を奏す。
中間部はスケルツォ風の軽快な音楽で、
木管と弦楽器による幻想的な音楽が繰り広げられる。
冒頭の主題も時々顔を出しながらも、
音楽は激しさを増し、劇的な音楽になっていくが、
最後はまた弦楽器中心に静かな音楽に戻り、終わる。
シェリーによる一場面のための音楽は、映画音楽のようで、
最初は幻想的に始まるが、劇的な音楽となり、
最後はまた静かな音楽にもどり、神秘的に終わる。
シェリーの詩劇「鎖を解かれたプロメテウス」から
インスピレーションを得て書いた作品のようだ。
シェリー(バーシー・ビッシュ・シェリー)は、
1792年生まれのイギリスのロマン派詩人。
裕福な貴族の長男として生まれ、
若い頃からギリシアやラテンの古典や
啓蒙思想に興味を持ったようである。
「鎖を解かれたプロメテウス」は、
岩波文庫で翻訳本が出ているが、
ジュピターの怒りをかったプロメテウスが、
地の果てにある高い山の頂に鎖でつながれるが、
最後は解放されるようだが、
要約された本の内容をみてもよくわらん。
読んでみるしかないかなとも思う。
掘り下げると奥が深い話だ。
途中聴いた曲は、1910年生まれのサミュエル・バーバーの作品。
ペンシルバニア州で生まれた彼は、カーティス音楽院で学び、
優秀な成績で卒業したが、その作風は全般的には保守的で、
ヨーロッパの伝統的な作曲法に基づいているため、
「最後のロマンティスト」とも評されるようだ。
有名な曲は弦楽のためのアダージョである。
昨日聴いた曲は、序曲「悪口学校」、
管弦楽のためのエッセイ第1番と、
シェリーによる一場面のための音楽である。
どれも1930年代に作曲された初期の作品である。
序曲「悪口学校」は、学生時代に作曲された作品。
18世紀のイギリス劇作家シェリダンによって書かれた喜劇が、
この作品の素材になっているようだが、その内容は知らない。
中間部のオーボエ・クラリネット・弦楽器を中心に奏される旋律がいい。
最後は、華麗に全合奏で締めくくられる。
管弦楽のためのエッセイ第1番は、
最初弦楽器を中心に静かに、そして穏やかに始まる。
やがて、金管が加わり、ファンファーレ風の音楽を奏す。
中間部はスケルツォ風の軽快な音楽で、
木管と弦楽器による幻想的な音楽が繰り広げられる。
冒頭の主題も時々顔を出しながらも、
音楽は激しさを増し、劇的な音楽になっていくが、
最後はまた弦楽器中心に静かな音楽に戻り、終わる。
シェリーによる一場面のための音楽は、映画音楽のようで、
最初は幻想的に始まるが、劇的な音楽となり、
最後はまた静かな音楽にもどり、神秘的に終わる。
シェリーの詩劇「鎖を解かれたプロメテウス」から
インスピレーションを得て書いた作品のようだ。
シェリー(バーシー・ビッシュ・シェリー)は、
1792年生まれのイギリスのロマン派詩人。
裕福な貴族の長男として生まれ、
若い頃からギリシアやラテンの古典や
啓蒙思想に興味を持ったようである。
「鎖を解かれたプロメテウス」は、
岩波文庫で翻訳本が出ているが、
ジュピターの怒りをかったプロメテウスが、
地の果てにある高い山の頂に鎖でつながれるが、
最後は解放されるようだが、
要約された本の内容をみてもよくわらん。
読んでみるしかないかなとも思う。
掘り下げると奥が深い話だ。