昨日は、鶴ヶ峰から二俣川まで雨降る中歩いた。
途中聴いた曲は、スティルの「サージ」である。
ウィリアム・グラント・スティルは、
1895年ミシシッピ州生まれの黒人作曲家である。
代表作の一つに「アフロ・アメリカン交響曲」があり、
黒人意識に目覚めて、作曲活動を進めたようだ。
CDの解説によると、高校時代にはヴァイオリンを演奏し、
大学に入ってからはクラリネットを演奏したということである。
W.C.ハンディの楽団で編曲者としても活躍したようである。
2部から構成されるバレエ音楽「サージ」は、
イーストマン音楽学校にいた1931年に
ハワード・ハンソンの指導のもと作曲された作品のようだ。
この合唱を伴った作品の特徴は絶えず聴こえてくる打楽器の音だ。
このころ彼は、アフリカ音楽やアフリカの伝説を学んでいたようで、
そこからの影響が、この作品に出ているのだろう。
原始的で野性的な感じを伝えてくれるこの作品は、
アフリカ的であり、その一方で西洋的な響きもあり、
かと思うとネイティヴ・アメリカンの音楽の要素も
ある程度感じとることができ、聴いていてその点がおもしろい。
音楽は彼の師エドガー・ヴァレーズの影響を
受けている部分があるという指摘もあるが、
どちらかというと聴いていると私には
ストラヴィンスキーの音楽からの影響を感じたりもする。
この作品は、中央アフリカのアザンデ族の
狩の祭りを描いている。
サージとは、そのアザンデ族の酋長
コノブジュの愛妻の名である。
とはいえ、サージはコノブジュの甥で
後継者であるムラボーに夢中である。
酋長コノブジュが、狩の遠征に出かける間、
サージとムラボーは酋長を裏切る。
数週間して狩人たちは日没に
亡骸となった酋長を運んで帰ってくる。
部族の慣習に従うと、酋長の愛妻は夫が亡くなった時に
自分の命をいけにえとして捧げなければいけない。
そこで彼女は死の誓いへの忠誠を果たすのか、
生への希求・ムラボーへの愛という間で選択に迷い、
酋長コノブジュの棺の前で踊りを続けるのだが、
最終的には死を選択し、いけにえの短剣を
自分自身の胸に突き刺すのである。
音楽は最後おおきな人々のため息で終わる。
アメリカの黒人作曲家スティルは、
自分のルーツをその物語の世界に求めたのだろう。
やはり、アメリカという国の作曲家らしい気がする。
途中聴いた曲は、スティルの「サージ」である。
ウィリアム・グラント・スティルは、
1895年ミシシッピ州生まれの黒人作曲家である。
代表作の一つに「アフロ・アメリカン交響曲」があり、
黒人意識に目覚めて、作曲活動を進めたようだ。
CDの解説によると、高校時代にはヴァイオリンを演奏し、
大学に入ってからはクラリネットを演奏したということである。
W.C.ハンディの楽団で編曲者としても活躍したようである。
2部から構成されるバレエ音楽「サージ」は、
イーストマン音楽学校にいた1931年に
ハワード・ハンソンの指導のもと作曲された作品のようだ。
この合唱を伴った作品の特徴は絶えず聴こえてくる打楽器の音だ。
このころ彼は、アフリカ音楽やアフリカの伝説を学んでいたようで、
そこからの影響が、この作品に出ているのだろう。
原始的で野性的な感じを伝えてくれるこの作品は、
アフリカ的であり、その一方で西洋的な響きもあり、
かと思うとネイティヴ・アメリカンの音楽の要素も
ある程度感じとることができ、聴いていてその点がおもしろい。
音楽は彼の師エドガー・ヴァレーズの影響を
受けている部分があるという指摘もあるが、
どちらかというと聴いていると私には
ストラヴィンスキーの音楽からの影響を感じたりもする。
この作品は、中央アフリカのアザンデ族の
狩の祭りを描いている。
サージとは、そのアザンデ族の酋長
コノブジュの愛妻の名である。
とはいえ、サージはコノブジュの甥で
後継者であるムラボーに夢中である。
酋長コノブジュが、狩の遠征に出かける間、
サージとムラボーは酋長を裏切る。
数週間して狩人たちは日没に
亡骸となった酋長を運んで帰ってくる。
部族の慣習に従うと、酋長の愛妻は夫が亡くなった時に
自分の命をいけにえとして捧げなければいけない。
そこで彼女は死の誓いへの忠誠を果たすのか、
生への希求・ムラボーへの愛という間で選択に迷い、
酋長コノブジュの棺の前で踊りを続けるのだが、
最終的には死を選択し、いけにえの短剣を
自分自身の胸に突き刺すのである。
音楽は最後おおきな人々のため息で終わる。
アメリカの黒人作曲家スティルは、
自分のルーツをその物語の世界に求めたのだろう。
やはり、アメリカという国の作曲家らしい気がする。