昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1911年生まれのペッタション(ペッテション)の作品である。
スウェーデンの作曲家である彼の略歴は以前触れたので省略する。
交響曲第5番は、1960年から62年にかけて作曲された。
聴いたCDはアラン・フランシス指揮、
ザール・ブリュッケン放送交響楽団の演奏によるもの。
この作品は単一楽章制(マエストーソ)となっている。
最初は、2つの部分からなる導入部からなる。
22小節からなるこの部分はゆったりとしたテンポで始まり、
荒涼とした感じ、寂しさを思わせる音楽である。
それが過ぎると主題が現れ、動きのある音楽になり、
いったん盛り上がるが、そのあと静まり、木管楽器が活躍する。
そのあとも盛り上がりと静まった感じが繰り返され、
リズミックな部分もみられるが、内容的には内省的である。
この交響曲はCDの解説によれば、手稿による最後の作品で、
スウェーデンに帰国した1953年から始まった進行性の身体機能の障害が、
1960年代から現れるようになった時期にあたる。
1970年には9ヶ月の間病院で闘病生活を続けるようになる。
だから、ここにはその病に苦しみながらも、闘おうとする
彼自身の内面の世界を見ることができるのかもしれない。
34分あたりの小太鼓の鳴り響くところでクライマックスに達し、
いったん静かになるが、このあたりも彼の病と関係するのだろう。
死の影を意識していた彼が書いたこの作品は、
何ら解決のないまま最後は静かに消え入るように終わる。
途中聴いたのは、1911年生まれのペッタション(ペッテション)の作品である。
スウェーデンの作曲家である彼の略歴は以前触れたので省略する。
交響曲第5番は、1960年から62年にかけて作曲された。
聴いたCDはアラン・フランシス指揮、
ザール・ブリュッケン放送交響楽団の演奏によるもの。
この作品は単一楽章制(マエストーソ)となっている。
最初は、2つの部分からなる導入部からなる。
22小節からなるこの部分はゆったりとしたテンポで始まり、
荒涼とした感じ、寂しさを思わせる音楽である。
それが過ぎると主題が現れ、動きのある音楽になり、
いったん盛り上がるが、そのあと静まり、木管楽器が活躍する。
そのあとも盛り上がりと静まった感じが繰り返され、
リズミックな部分もみられるが、内容的には内省的である。
この交響曲はCDの解説によれば、手稿による最後の作品で、
スウェーデンに帰国した1953年から始まった進行性の身体機能の障害が、
1960年代から現れるようになった時期にあたる。
1970年には9ヶ月の間病院で闘病生活を続けるようになる。
だから、ここにはその病に苦しみながらも、闘おうとする
彼自身の内面の世界を見ることができるのかもしれない。
34分あたりの小太鼓の鳴り響くところでクライマックスに達し、
いったん静かになるが、このあたりも彼の病と関係するのだろう。
死の影を意識していた彼が書いたこの作品は、
何ら解決のないまま最後は静かに消え入るように終わる。