Mars&Jupiter

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ラトランド・ボートンの交響曲第2番「ディエードゥリ(デアドラ)」(ケルト交響曲)を聴き、鶴ヶ峰まで

2010-09-12 06:38:48 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日はウォーキングを休みました。
そのため、今日の朝二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
日が昇らない前のウォーキングも楽しいもので、
普段聞こえてこない川の流れるせせらぎの音などに、
はっと気づかされるところなどあり、
時間によって聞こえる音も違うんだなあと感じる。
途中聴いたのは、1878年生まれのボートンの作品である。
彼はエールズベリで生まれたが、音楽については独学であった。
短期間、王立音楽院でも学び、スタンフォードに師事し、
ロンドンの音楽事務所で勤めながら、作曲活動も行い、
バントックの後任者として1905年から1911年の間、
バーミンガムのミッドランド音楽院で教鞭を執っていたようだ。
交響曲第2番「ディエードゥリ」(ケルト交響曲)は、
1926年から1927年にかけて作曲された作品で、
ケルト神話に影響を受けているようである。

ディエードゥリという姫が主人公のようなので、
インターネットで調べてみたところ、その名前は出てこない。
CDにはディエードゥリ(DIERDRE)と書いてあるが、
ケルト神話で似た話を探すと、デアドラ(DEIRDRE)で似た話が出てくる。
デアドラ(ディアドラ)という姫が、ドルイドのもと美女として育つが、
ドルイドからその姫をめぐって争いが起こるという不吉な予言を聞き、
アルスター王のコノール・マック・ネッサが引き取り育てるが、
ある日出会ったノイシュとともに恋に落ち、
彼の兄弟とともにスコットランドに逃げようとするが、
ノイシュとその兄弟は殺され、デアドラも自殺するという悲劇である。
おかしいなと思い英語のサイトでみるとボートンの交響曲第2番は、
デアドラ(DEIRDRE)というタイトルになっている。
また、CDの解説書の表紙も裏の英文で示した第二楽章のところも、
デアドラ(DEIRDRE)となっているから、IとEを入れ間違えたのか。
とすれば、邦題は「ディエードゥリ」という表記よりも、
「デアドラ」が正しいということになるが、今まで気づかなかった。
以下ではしたがって登場人物をデアドラとし、恋人をナイシュと表記する。
今回聴いたCDはエドワード・ダウンズ指揮、
BBCフィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものである。

第一楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ(若い娘:年老いた王か、若い恋人か)は、
弦楽器によって奏される爽やかな旋律は、
主人公デアドラの若さを表現している感じで、
ワグナー風の音楽は、情熱的でドラマティックである。
輝かしい感じの音楽は威厳のある王を描写しているのであろうか。
ロマンティックで壮大な感じを思わせ、交響曲というよりは交響詩風である。
最後はこのあと起きる不安なことを一瞬感じさせながら、明るく終わる。
第二楽章アダージョ・モルト(月光の牧歌:デアドラとナイシュ)は、
冒頭の部分が美しい月の光を感じさせ、印象派風である。
ヴァイオリン・ソロが甘美な旋律を奏で、木管楽器などはおどけたように、
絡み合いながら、幻想的な感じで曲は進行する。
最後の方では不安なその先の展開を予言するかのような音楽が現れる。
第三楽章アレグロ・モデラート(青春と死)は、痛ましい感じの旋律と、
打楽器と金管楽器による勇ましく堂々とした感じの旋律が現れる。
民謡風の旋律も木管楽器などで現れ、複雑な物語の展開を思わせる。
音楽は金管楽器による盛り上がる部分と、
弦楽器や木管楽器による静かな部分を繰り返し、
恋する二人の青春の日の素晴らしさを謳歌するかのようであるが、
後半からティンパニがその結末を暗示するかのように鳴り響き、
終わりに近づくと音楽は悲劇的な感じとなり、ティンパニが連打する。
デアドラの自殺し、死ぬ場面が描写され、最後は静かに終わる。
コメント
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