昨日は片倉町から和田町まで歩きました。
またもや炭やに寄って、ちょっと飲んでいく。
途中聴いたのは1857年生まれのエルガーの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
ヴァイオリン協奏曲ロ短調作品61は、1910年に作曲された。
クライスラーのために作曲された作品のようである。
聴いたCDは、ナイジェル・ケネディのヴァイオリン、
サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏による。
第一楽章アレグロは、古典的なソナタ形式で書かれている。
オーストラのみによる哀愁を漂わせた最初の部分で主題が提示され、
ヴァイオリンが入り、その二つの主題が扱われていく。
展開部では独奏ヴァイオリンの活躍ももちろんみられるのだが、
管弦楽のみによる展開の部分は交響曲風であるなとも感じる。
ケネディによる独奏ヴァイオリンの音色は甘美で心地いい。
再現部以降独奏ヴァイオリンと管弦楽との華麗な競演が続き、
独奏ヴァイオリンの高度な技巧をみせる部分も用意され、
盛り上がりをみせたところで、最後堂々とした感じで終わる。
第二楽章アンダンテは、冒頭管弦楽のみで始まり、
しばらくして独奏ヴァイオリンが入り、
ゆったりとした牧歌的な旋律を奏でる。
ブラームスのようにロマンティックな音楽であり、
独奏ヴァイオリンが雄弁に甘美な旋律を奏でていく。
最後は、穏やかに独奏ヴァイオリンの音と
やわらかな管楽器の音を中心に消えるように終わる。
第三楽章は冒頭アレグロ・モルトで始まる長い楽章である。
独奏ヴァイオリンが高度な技巧を示しながら、
速く軽快な旋律を奏で、管弦楽との競演が続いていく。
ゆったりとしたレントによるカデンツァの部分に入るが、
弦楽器のトレモロなどで伴奏するアコンパニャータであり、
その上で独奏ヴァイオリンが自由な感じでカデンツォを展開し、
やがて独奏ヴァイオリンのみといったんなるが、再び伴奏が入り、
そこで第一楽章の第一主題が回想風に顔を現し、カデンツァが終わる。
そしてテンポは再びアレグロ・モルトの部分となり、
最後は管弦楽とともに盛り上がって、壮麗な感じで終わる。
それにしても長いヴァイオリン協奏曲である。
またもや炭やに寄って、ちょっと飲んでいく。
途中聴いたのは1857年生まれのエルガーの作品。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
ヴァイオリン協奏曲ロ短調作品61は、1910年に作曲された。
クライスラーのために作曲された作品のようである。
聴いたCDは、ナイジェル・ケネディのヴァイオリン、
サイモン・ラトル指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏による。
第一楽章アレグロは、古典的なソナタ形式で書かれている。
オーストラのみによる哀愁を漂わせた最初の部分で主題が提示され、
ヴァイオリンが入り、その二つの主題が扱われていく。
展開部では独奏ヴァイオリンの活躍ももちろんみられるのだが、
管弦楽のみによる展開の部分は交響曲風であるなとも感じる。
ケネディによる独奏ヴァイオリンの音色は甘美で心地いい。
再現部以降独奏ヴァイオリンと管弦楽との華麗な競演が続き、
独奏ヴァイオリンの高度な技巧をみせる部分も用意され、
盛り上がりをみせたところで、最後堂々とした感じで終わる。
第二楽章アンダンテは、冒頭管弦楽のみで始まり、
しばらくして独奏ヴァイオリンが入り、
ゆったりとした牧歌的な旋律を奏でる。
ブラームスのようにロマンティックな音楽であり、
独奏ヴァイオリンが雄弁に甘美な旋律を奏でていく。
最後は、穏やかに独奏ヴァイオリンの音と
やわらかな管楽器の音を中心に消えるように終わる。
第三楽章は冒頭アレグロ・モルトで始まる長い楽章である。
独奏ヴァイオリンが高度な技巧を示しながら、
速く軽快な旋律を奏で、管弦楽との競演が続いていく。
ゆったりとしたレントによるカデンツァの部分に入るが、
弦楽器のトレモロなどで伴奏するアコンパニャータであり、
その上で独奏ヴァイオリンが自由な感じでカデンツォを展開し、
やがて独奏ヴァイオリンのみといったんなるが、再び伴奏が入り、
そこで第一楽章の第一主題が回想風に顔を現し、カデンツァが終わる。
そしてテンポは再びアレグロ・モルトの部分となり、
最後は管弦楽とともに盛り上がって、壮麗な感じで終わる。
それにしても長いヴァイオリン協奏曲である。