た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

御嶽山

2005年05月14日 | 写真とことば
 車を運転していてあんなに叫び声を上げたのは初めてだったと思う。
 坂道を登ったところで突如空に現れた大きな白い山に、私は馬鹿みたいに叫んだのだ。
 「うおーっ」と。
 そしてハンドルを切り損ねかけた。
私は開田高原を目指していた。十年前貧乏旅行で訪れたところに再び立ち寄ろうと思い立ったからだ。
 この春から立ち上げた新しい仕事がなかなか軌道に乗らず、私は思い切った気分転換を必要としていた。正午過ぎに松本を発って中山道を南下し、途中奈良井の宿で緊縮財政を省みず結構な買い物をした。さらに南下して開田高原までたどり着いたときには、午後も3時を回っていた。
 しかし私は、愚かにも、そこから御嶽山が望めることすら忘れていたのだ。
 私は心底びっくりした。
 名峰は、初夏の暑さにうだる下界からまったく隔絶された高みで、白銀の雪をかぶり燦然と輝いていた。
 圧倒的な大きさであった。

 これを求めていたのだ。これを求めていたのだ。

 よろけるように車を道路の脇に止めると、私は慌てて車を降り、口をあんぐり開けて山に見入った。
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使われなくなった古い橋

2005年05月14日 | 写真とことば
 その橋は山の中へと私を導いた。

 彼はすでに自然に侵されていたのだ。
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仮定法的思考の能力と限界

2005年05月14日 | essay
仮定を考えてみるのは楽しい。

もし百万円手に入ったら?
もし死後の世界があったら?
もし総理大臣になったら?
もし無人島に一人でたどり着いたら?
もし異性に生まれていたら?
もし地球が明日にも爆発する運命とわかったら?

それは一定の想像力・推理力・予測能力・話の構成力等を身につける訓練になる。
しかし
仮定で物事を考えることになれると、ふと

現実から逃避している自分に気づかされる。
「もし」と語ることで、「今は」と観察する努力を怠ってしまうのだ。

加えて

可能性を卑下し諦めてしまう癖までついてしまうのだ。
もし、と繰り返し語るのに飽きたとき
「しょせん可能性に過ぎないから」という言葉が口をついてくる。
可能性は
可能性に過ぎないものと
空想の産物におとしめてしまうのである。

もし。

この言葉で語ることが過ぎていないか
わが身を振り返ろうと思う。
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