た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

春・一番

2016年03月31日 | 短編

   怒りと憎しみは違う。憎しみと悪意はもっと違う。だんだん下等になるのだろうが、気がついて見れば、世間一般その辺の機微を一緒くたにごった煮にして、悪臭をまき散らし、わりかし平気である。

   ただこれらに連続性があるのも事実である。怒りは憎しみを呼び、憎しみは悪意を喚起させずにいられない。順次、正義感は薄まっていくが、欲得打算の気配は次第に濃くなっていく。そんなことを考え始めると、ひょっとして資本主義の根幹は悪意ではないかとまで勘ぐってしまうが、もちろんそれは勘ぐり過ぎであろう。

   桜が咲き始めた。桜はあくまで、あくまで美しい。たとえ人類が滅んでも、桜の木一本残れば、それは春に確かな花を咲かせよう。可笑しなことを言うようだが、逆を考えてみられたい。花が滅んで、人が独り地上に生き残ったとして、その人物は果たして幸せを咲かせようか。

   人間の営みなど所詮その程度である。憎しみは執念く居場所を探し、花は潔く咲いて散る。

   三月が終わった。四月である。

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