た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 133

2009年06月17日 | 連続物語
 壁時計の秒針が一回りするほどの、長い沈黙が続いた。私にとって石臼を背中に乗せられたような沈黙だったことは言うまでもない。私が耐え切れなくなる前に、警部が口を開いてくれた。
 「いずれにせよ、君はそう信じたわけだ」
 真直ぐな志穂の背筋が、さらに伸びた。「はい」
 「それで復讐を誓ったわけだ」
 こわばった笑みがそれに答える。「誘導尋問ですか?」
 「もちろん、誘導尋問ではない。誘導などしておらん。では・・・君は、さっき言った通り、宇津木家の居間で宇津木邦広を待つ間、戸棚のウィスキーの瓶に風邪薬を溶かし込んだことは否定するのだな」
 なぜか志穂は壁時計をちらりと見遣った。
 「はい」
 「うむ。なるほど。では、と重ねて訊いていいかな。ではなんのために、二月十六日の木曜日、君は女子学生と騙ってまで宇津木家を訪問したのだ」
 この問いには力があった。二人は息もせず睨み合った。笛森志穂は────ああ! と私は叫ばなかったろうか?────初めて、殺人者に相応しい不敵な笑みを浮かべた。目は爛々と輝いている。唇は震えている。音高く椅子を引き摺らせて、彼女は立ち上がった。
 「殺してやりたいほど憎らしい男の顔をひと目見たかったからです。言わせてもらっていいですか」
 警部は気圧されている。「ああ」
 「誰が犯人か知りません。そんなことは知りません。でも、風邪薬を瓶に混ぜ入れるって、それ自体、人を殺すのにはあんまりにも効果的じゃないとは思いませんか? ただの悪酔いで終わる可能性だって高いんでしょう? 誰がそんないたずらをしたか知りません。私は────知りません。でも、あの男が急性アルコール中毒で死んだことは、天命です。天罰です。そう思います。確かに、ええ、私はあの悪魔のように厚顔無恥な男の顔を見るために、彼の家を訪ねました。私はあの男を憎んでいました。母を殺したあの男を心から憎んでいました。母が死んだんだから、あの男にも死んで欲しいと、思っていたのは事実です。でも思うこと自体は犯罪じゃないですよね? 警部さん、私を逮捕するのでなかったら、もう帰らせて下さい」
 警部の頬が少しだけ高潮したように見えた。戸口の若い警官が、音の漏れないように咳をする。
 五岐警部は唸りながら椅子の背もたれをきしらせた。
 「わかった。よかろう。今日はここまでだ」

(つづく)
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