2014(平成26)年1月3日(金)、埼玉県に居住している娘が、大学生になった娘(孫娘)を連れて帰郷したので、この日マイカーを運転して2011年6月に「世界遺産」に登録された「平泉」を案内しました。雪化粧した平泉を観るのは、6~7年も前に東山町の「若水送り」に妻と参加して以来のこと。「月見坂」では滑って転びそうになりましたが、雪を被った木々がとてもきれいで感動しました。こんなことでもないとわざわざ真冬に出かけることもないので、行って良かったと思いました。
(下)「順路」に従って「金堂円隆寺跡」から「遣水(やりみず)」や「常行堂(じょうぎょうどう)」の方へ進みます。
(上)毛越寺~遣水(やりみず)の美と類なき一大伽藍:(前略)当時の庭造りの基本書『作庭記』(平安時代末)に、「水は青龍(東)から白虎(西)へと流す」という記載があるが、北東から遣水(やりみず)、南西から池尻を検出している。排水路や中島が造り替えられていたことから、庭園がより大きく造り直されていたことが判明した。復元整備された遣水は美しく、借景たる塔山を映し込む大泉ケ池は、例を見ない雄大な景観をつくり出している。[朝日新聞社発行「週刊・日本遺産NO.27 (2003年5月4日号)平泉」より]
(上)「常行堂」の左隣に復元整備された「遣水(やりみず)」がありました。
遣水(やりみず):山水を池に取り入れるための水路であるが、谷川を流れ下り更に蛇行しながらゆったりと平野を流れる川の姿を表現している。水底には玉石を敷きつめ、流れに水切り、水越し、横石などの石を配していて、「作庭記」に記されているこれらの技法を目の当たりに出来る貴重な遺構である。
(下)曲水の宴(ごくすいのえん):遣水を舞台にした平安時代の朝廷の儀式。衣冠、狩衣、袿(うちかけ)、十二単(じゅうにひとえ)など平安貴族さながらの装束を身にまとった歌人たちが遣水のほとりに座し、上流から流れてくる盃(さかずき)が自分の前にくるまでに歌を詠むこの優雅な平安の歌遊びは、毎年5月の第4日曜日に多くの参観者を集めて行われる。
(上と下全部)常行堂(じょうぎょうどう):平安時代から伝わる修法の道場である常行堂は、仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願い享保17年(1732)に再建された建物で、本尊は宝冠の阿弥陀如来、脇士は四菩薩、奥殿に摩多羅神をまつる。祭礼「二十日夜祭(はつかやさい)」は1月20日で、古式の法要の後「延年の舞」が神仏に奉納される。
二十日夜祭(はつかやさい):毛越寺では元日から8日までの修正会(しゅしょうえ)に続いて、14日より常行堂の修正会が執り行われ、20日に結願の日を迎える。20日夜、切り紙等で荘厳された堂内では、慈覚大師伝来の常行三昧供が修され、厄男たちの裸参りのあと、法楽として「延年の舞」が神仏に奉納される。(下)延年の舞(老女)
(上2つ)川嶋印刷株式会社発行、内海隆一郎・編集「藤島亥治郎・監修 平泉~中尊寺・毛越寺の全容」より