2018年3月14日(水)、一関市一高通り沿いにある「一関シネプラザ」で、3/10(土)封切りの映画『北の桜守』を観ました。主演の吉永小百合さんの120本目の出演映画とのことで、期待していた映画でした。『北の零年』(2005年)、『北のカナリアたち』(2012年)に続く”北の三部作”最終章とのことです。
多くの名作が生まれた北海道の雄大な風景の中で、今回描かれるのは第二次世界大戦末期から高度経済成長期という激動の時代を生き抜いたある”親子の物語”である。
物語は、1945年(終戦の年)5月、南樺太に住む江蓮(えづれ)家の庭に待望の桜が花開いた場面から始まりました。8月、本土が終戦に向かう中、樺太にはソ連軍が迫っており、樺太に残る夫(徳次郎・阿部寛)との再会を約束し、主人公(てつ・吉永小百合)は2人の息子を連れて網走へと逃げ延びます。
この2人の息子は、昭和14年(1939)生まれの私と同じぐらいに見えたので、現在の年齢は80歳前後ではないかと思われます。因みに私の両親は大正生まれですから、てつと徳次郎も大正生まれではないかななどと思いながら、見せていただきました。
戦後貧しさと飢えに苦しみながら極寒の北海道・網走で闇米屋の仕事を手伝って懸命に生き抜くてつの一場面が描かれていましたが、昭和20~25年頃のことではないかと思われます。
大正元年生まれの父が、戦場から帰って来てから、食うのに困って闇米に手を出し、警察に没収されそうになった話をしてくれたことがありました。福島県郡山市郊外の阿武隈川に近い農村部に住んでいたのですが、物々交換で1斗ほどの米を手に入れた父が、自転車に乗せて走っていて警察の取り締まりに出会ってしまったそうです。橋を渡れば捕まってしまい、米を没収されてしまうので、濡れるのを承知で川を渡って逃げたそうです。その時は、川の水がそれほど多くなかったのでしょうが、自転車諸共かなり流されたものと思われ、その必死な行為が目に浮かびます。
http://www.kitanosakuramori.jp/ [映画『北の桜守』公式サイト]