先日から、Ds.INODA先生のお宅の防音室でLIVEの練習をしています。
INODA先生は、私の出身高校の地理の先生で、今年の春、定年退職されました。
地理の先生だけれど、むちゃくちゃ方向音痴なのだそうです(^_^;)
在学中は、先生とのコンタクトは全くありませんでしたが、当時は、ジーンズに確か長髪?で、いつもドラムのスティックを持っていらして、軽音楽部の顧問の先生で、1学年13クラス、生徒数たぶん1500人以上のマンモス高校の中でもひときわ目立つ存在の先生でした。
INODA先生との、ミュージシャンとしての繋がりは、Piano:SYOさんのご紹介がきっかけでした。
SYOさんは、地元のビッグバンドなどで、INODA先生と一緒に活動をされていて、TAKAMIサウンドのドラマー候補として繋がりをつくってくださったのです。
私は、SYOさん率いるピアノトリオのLIVEにゲストヴォーカルとしてお誘いいただいたときに、勇気を出して、INODA先生にtelをして、ライブにお招きしました。
先生にしてみたら、私は一介の卒業生で、全く面識もなかったのですが、突然のtelで、
息子と二人で出戻ってきた?私の話を聞いて
「何か困ったことはないですか?」と仰いました。
困ったことがあれば、どこまでも奔走してくださるんだ…
高校時代の、INODA先生のちょっと変わった風貌から、私は、ノリのいい、気さくで軽い感じのお人柄を想像していいましたが、実際は「実直、清廉潔白、几帳面」…という方でした。
INODA先生の防音室は、壁が全面レコード、カセットテープ、CDなどで埋まっていて、資料やデモとして人から貰ったような音源の背にも、きちんとタイトルが貼られていました。
私が今回のLIVEのためにお渡しした譜面と音源も、最初のリハまでに、全部聞かれて、全曲ご自分の演奏用に、五線紙にキッチリと書き直されていて、リハのときには、
「この曲は、練習番号○番の○小節のところは、音源はこうだけれど、譜面はこーなっているけれど、どうしたらいいのか」
…と、完璧に予習をして、、まるで、ノートにまとめて授業で疑問点を的確に質問をする、超優等生のようです(^_^;)
一方私は、「まっ、そのあたりは、ノリで、てきと~に~~~」という、超絶いい加減オンナで、これでメンバーに迷惑をかけまくりつつやってきました。
「適当に」という融通も私は重要だと思っています。
音楽をつくって、譜面を書くときに、ある程度頭にイメージがあっても、それは完成形ではないし、メンバーにもよるし、その時どきで変化していくのです。
音を出してみて、初めて、次へ進められることもあるのです。
それでもやっぱり、私の説明があまりにもヘタクソで、
「TAKAMIのゆーことはさっぱりわからん! なんとかしてくれ~~!!」
…と、メンバーをイライラさせたことも、何度もあったと思います。ごめんなさい…
INODA先生のような方と一緒にやっていると、やっぱりこんないい加減なことではイカン、ちゃんとしなくちゃ!って特別反省。
やっぱり、共同作業ですから、そりゃ当然なんですけれど、、
そんな攻防を繰り返しながらも、それぞれのミュージシャンが、「自分の思いを、音楽という媒体を通して人に伝えたい」という点では、全く性格、世代、種類?の異なるミュージシャン同士でも、同じ思い、同じ方向性で、音楽にかかわっている。
それは、強力な磁力、そして、ベクトルのような気がします。
INODA先生は、私の出身高校の地理の先生で、今年の春、定年退職されました。
地理の先生だけれど、むちゃくちゃ方向音痴なのだそうです(^_^;)
在学中は、先生とのコンタクトは全くありませんでしたが、当時は、ジーンズに確か長髪?で、いつもドラムのスティックを持っていらして、軽音楽部の顧問の先生で、1学年13クラス、生徒数たぶん1500人以上のマンモス高校の中でもひときわ目立つ存在の先生でした。
INODA先生との、ミュージシャンとしての繋がりは、Piano:SYOさんのご紹介がきっかけでした。
SYOさんは、地元のビッグバンドなどで、INODA先生と一緒に活動をされていて、TAKAMIサウンドのドラマー候補として繋がりをつくってくださったのです。
私は、SYOさん率いるピアノトリオのLIVEにゲストヴォーカルとしてお誘いいただいたときに、勇気を出して、INODA先生にtelをして、ライブにお招きしました。
先生にしてみたら、私は一介の卒業生で、全く面識もなかったのですが、突然のtelで、
息子と二人で出戻ってきた?私の話を聞いて
「何か困ったことはないですか?」と仰いました。
困ったことがあれば、どこまでも奔走してくださるんだ…
高校時代の、INODA先生のちょっと変わった風貌から、私は、ノリのいい、気さくで軽い感じのお人柄を想像していいましたが、実際は「実直、清廉潔白、几帳面」…という方でした。
INODA先生の防音室は、壁が全面レコード、カセットテープ、CDなどで埋まっていて、資料やデモとして人から貰ったような音源の背にも、きちんとタイトルが貼られていました。
私が今回のLIVEのためにお渡しした譜面と音源も、最初のリハまでに、全部聞かれて、全曲ご自分の演奏用に、五線紙にキッチリと書き直されていて、リハのときには、
「この曲は、練習番号○番の○小節のところは、音源はこうだけれど、譜面はこーなっているけれど、どうしたらいいのか」
…と、完璧に予習をして、、まるで、ノートにまとめて授業で疑問点を的確に質問をする、超優等生のようです(^_^;)
一方私は、「まっ、そのあたりは、ノリで、てきと~に~~~」という、超絶いい加減オンナで、これでメンバーに迷惑をかけまくりつつやってきました。
「適当に」という融通も私は重要だと思っています。
音楽をつくって、譜面を書くときに、ある程度頭にイメージがあっても、それは完成形ではないし、メンバーにもよるし、その時どきで変化していくのです。
音を出してみて、初めて、次へ進められることもあるのです。
それでもやっぱり、私の説明があまりにもヘタクソで、
「TAKAMIのゆーことはさっぱりわからん! なんとかしてくれ~~!!」
…と、メンバーをイライラさせたことも、何度もあったと思います。ごめんなさい…
INODA先生のような方と一緒にやっていると、やっぱりこんないい加減なことではイカン、ちゃんとしなくちゃ!って特別反省。
やっぱり、共同作業ですから、そりゃ当然なんですけれど、、
そんな攻防を繰り返しながらも、それぞれのミュージシャンが、「自分の思いを、音楽という媒体を通して人に伝えたい」という点では、全く性格、世代、種類?の異なるミュージシャン同士でも、同じ思い、同じ方向性で、音楽にかかわっている。
それは、強力な磁力、そして、ベクトルのような気がします。