WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

瀬戸芸2022 大島

2022-10-27 | 瀬戸内国際芸術祭

大島からの瀬戸内海


これで今季の瀬戸芸探訪はおわり。寂し~~~
まだ会期は11/6まで続きますが…

とにかく、この寂しさを振り切って、大島、書きます。



これまで、毎回大島には訪れているのに、なぜか記事が漏れている。
しかも、瀬戸芸に行ったのに、教会にお籠りしてオルガン弾いたりしてるし、、、


でも、大島って、そういうところ…と私は感じます。

大島には、「大島青松園」という療養施設があります。

1907年(明治40)、日本でハンセン病患者を療養所に入所させるための法律ができた。
1909年に大島にハンセン病療養所が開設、中国・四国8県から患者が集められた。
1996年(平成8)の「らい予防法」廃止まで国による隔離政策は約90年に及んだ。
(2022瀬戸芸オフィシャルガイドブックより)

「らい病」に対する差別がどれほどだったかの知識に関しては、なんとなく、ある程度、かなり…と人それぞれと思います。

「大島」は町村合併される前の庵治町に属する島です。私はその庵治町に2年ほど住んでいたことがあります。
庵治は、高松から峠を越えなくてはいけないところで、とても閉鎖的な漁村でした。
庵治の子供たちはみんな地元の小、中学校に通っていて、高松から引っ越してきた私はそのまま市内の小学校にバスで通っていたので、
地元の友達は全くできませんでした。


近所の漁港(2006)


香川の小学校は制服で、私が通っていた小学校は、黒い運動靴でした。
ある日、地元の男子3、4人に取り囲まれて、
「こいつジカタビ履いとるぞ~!」「ジカタビオンナ~!」「お前どこの学校いっきょんや、オオシマの分校か」
と、揶揄されました。


その日の夕飯のときに、その話を家族にして、初めて「大島」の存在を家族から聞きましたが、その話は、差別に満ちたものでした。
当時は昭和40年代、思い返せば当時私の家族は、あらゆる「差別」をするのは当然…な人たちだったなあ、、、

それは、本人達が悪い訳ではなく、そういう社会だったにすぎないのだと感じます。

…と、前置き。

国立療養所「大島青松園」は、今ではとてもきれいな施設です。患者はいません、全員回復しており、「入所者」と呼ばれています。
しかし、悲しく痛ましい歴史を風化させてはいけない…と、(もう風化しているように感じる)
アーティストの魂のこもった作品が、嘗ての患者が居住していた長屋のイメージを壊さずに展示されています。













Nさんの人生・大島70年 田島征三


作家と交流を続けている同郷の入所者、Nさん(ご存命)から聞いた入所時の出来事や島での生活、結婚など、
Nさんのこれまでの人生を作品化した。(瀬戸芸2022公式ガイドブックより)


今でもNさんんが作っている畑


入所者の方たちの希望で、自慢の盆栽や植木なども展示している


入所者の方たちは年齢85歳以上と伺いました。
直接お会いすることはできないけれど、今は静かに、穏やかに暮らしているのだろう…と感じました。
資料館では、ひどい偏見や被差別の中でも、仲間同士が助け合う、コミュニティーを作る、宗教に頼む…など、心を強く持って
絶望の中でも小さな希望をみつけようともがいたのであろう…という写真や文章などが展示されていました。






青空水族館 田島征三







歩みきたりて(一部) 山川冬樹



 海峡の歌(一部) 山川冬樹



他にも多くの作品を見ました。
正直なところ、すべての作品やこの島のこと全部を心を開け放って受け入れるには、やはりずっしりと、どんよりと重く、心の整理には時間がかかりすぎるので、
全部を咀嚼しないうちに次々とばばばばー--っと、この場に画像を並べてアップすることができずにいます。



解剖台


約40年前、解剖室を解体したとき、解剖台は西海岸に埋められたが、2010年の芸術祭にさきがけ引き上げられ、展示された。
療養所に入所するとき、「死後、遺体を解剖することを承諾する書類」への署名が求められたこともあったという。
(瀬戸芸2022公式ガイドブックより)

大島には宗教ゾーンというのがあって、お寺や教会があります。
入所者は、それぞれ自分の宗教を選択して、心の拠りどころとすることができ、途中で改宗も可。
2019瀬戸芸の折に、宗教ゾーンに立ち寄ってみたら、プロテスタント教会のドアの鍵が開いてた。
「どなたでもどうぞ」と書いてあるので、入ってみた。

…ということで、今年も開いてたらいいな…と思って、立ち寄ってみました。





中はほとんど3年前と変わらない。でも礼拝は定期的に行われている様子。
参加者は5人…とか、、でも希望者がいなくならない限り礼拝がなくなることはない。


ものすごく大きな文語訳の聖書


昭和10年神戸英国聖書協会からの寄贈とのこと


創世記第1章


ヨハネ黙示録22(最終)章


この中に世界の始まりから終わりまでが記されているのだ、、、文語体は荘厳で圧倒されます。

さて、私は暫く聖書に圧倒されつつ佇んでいましたが、おもむろにオルガンの練習しました。
へへへへ。今度の礼拝の奏楽の練習です。 もうバタバタしまくりで何を選んで弾くかさえ決まってなかったのですが、、、
「アノ」曲やります! って、読んでくれてねーだろうなーKAZUさん

来てよかった。大島にも。教会にも。
大島をとばして、直島に行こうかとも思ったのです。  でもやっぱりよかった。



大島に対するいろいろな思い。そしてそれがもういっぱいいっぱいになったとき、教会を訪れて、
この場所でひとりで過ごすことが、私のすべてをを整えてくれるのです。神さまが。

これで今季、瀬戸芸おわり。次回まで3年は長いなあ、、、、


 

…と、実はそんなこといってる場合じゃなく、まだ続きがあるのですへっへへ



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