ピカビア通信

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新旧映画

2011年01月07日 | 映画

 

このまえまとめて借りた、新旧映画の感想。

まずはロバート.アルドリッチ「何がジェーンに起こったか」。1962年の映画だが、サスペンスとして見ても、今の数多ある同じような映画より遥かに上だ。個人的には、アルドリッチの方がヒッチコックよりいいと思う。主演はベティ・デイヴィス。嘗ては人気子役だった姉妹の妹、ある時より姉との立場が逆転し、映画女優としては全くパッとしないまま、スターの姉を嫉妬しアルコールに逃げるようになる。そんな姉の人気絶頂時、自動車事故(ある秘密が隠されている)により姉は車椅子生活に。その後は姉の面倒をみるために二人で屋敷暮らしを続け、いつしか老女になるが、妹は過去の栄光を忘れられず、姉への嫉妬は募り、様々な常軌を逸した行為を姉に対して繰り返すようになる。アル中も進み、いつしか本人の精神は病み始め、話は悲劇的な展開に。その老醜をこれでもかと晒すベティ・デイヴィス、これぞ痛々しさの局地というくらい迫力ある演技であるが、アルドリッチの演出は洗練されていて、あざとさというものを感じさせない。最後の、空撮による海岸のショットなど、哀しいのだが美しくさえある。相変わらずの冴えた演出である。しかし、内容的にはかなり重いので、観終わった後の疲労感は半端ではなく大分ぐったりした。

そして次に見たのが、イーストウッドの「恐怖のメロディ」だ。これがまた結構ぐったりする映画で、流石に連チャンはきつかった。1971年のイーストウッド初監督の映画で、じっくり見てなかったので借りたのだったが、順番を考えるべきだった。

女好きDJが、一夜の遊びと思った女に付きまとわられる話で、今ならストーカーの話といえば直ぐに納得出来る。当時こういう題材を選ぶというのは、やはりイーストウッドの先見性と言えるのではないか。尤もそれは映画の質には関係ないことだ。これもまた、徐々に常軌を逸する女の怖さが話の中心となるが、初監督作品ということで、演出の仕方も何処かぎこちないが、それでも随所に光るセンスを感じさせる。特に最初の海岸の風景は、これぞイーストウッドと言えるショットだった。「ミスティック・リバー」の最初を思い出したし、アルドリッチにも通じるものも感じた。こんなことだけでも監督のセンスの違いは分かるのである。エロールガーナーのミスティ(これが恐怖のメロディ)が地獄への入り口というのも洒落ているし、全体では見応えのあるサスペンスとなっていた。

三本目は北野武の「アウトレイジ」。言葉の大袈裟ぶりがちょっと空回り(意図的なようでもあるが)。どうも、過去と同じような作品は作りたくないという意識が強すぎ、それが迷いとなって表れているように感じる。「TAKESHIS'」辺りからか。

そして最後は「第9地区」。エイリアンは移民、難民の暗喩であろうが、それとは関係なく、あれだけの肉体能力、科学技術がありながら、何故人間が隔離できまたそれに甘んじているのか、その辺が全く理解できなかった。

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