香川骨折で今期絶望。危惧してたことが現実となってしまった、うーん、残念。
BSで、BBCの「世界の庭園」という番組をやっていて、今回は京都特集であった。色んなお寺の庭を紹介していたが、いくつか見覚えがあるところが出てきた。番組では、枯山水や石庭を主に取り上げ、その禅的な思想背景を探るという、如何にも外人が好みそうな作りだったが、我々が(私がか)庭を見るときにはそんなことはあまり考えない。ぱっとみて、なかなかいい感じだ、というような感覚的な捉え方しかしない。既に、日本的文化(自然観など)が刷り込まれているので、違和感なく親しむことが出来る。
で、その見覚えある庭園だが、番組でじっくり取り上げた二つの庭園が正にそれだったので何だか運命的なものを感じてしまった(大袈裟)。一つは、大徳寺の「龍源院」。もう一つは「東福寺」。「龍源院」は寒い時期で(確か雪が舞っていた)、近くの漬物屋(丹波という店)に来たが、まだ開店前で時間があり、じゃあ大徳寺にでも行くかということで、偶然その中で選んだのが「龍源院」だったのだ。偶然だったがこれが正解だった。こじんまりした石庭と、室内の襖には龍の絵(多分狩野派)があり落ち着いた空間で、しかも人っ子一人いなく、たまに僧が縁側を会釈しながら通るだけで、結局小一時間ほど過ごした。そんなわけでしっかりと記憶されたところとなった。
もう一つの「東福寺」は、紅葉の時期に行ったのだが、紅葉に関してはさしたる印象はないのだが(見事は見事)あの庭園は、これまたしっかりと記憶されている。奥のほうだと思ったが、庭石が市松模様となっていて、それが徐々に配置がまばらになり周りの苔に融け込むような造りとなった庭である。これを見たとき、明らかに他にはない革新性を感じたが(しかも自然と調和した)、この番組を見てその謎が解けた。70年ほど前、ある庭師が、ありきたりのものではない庭を造るのを依頼され造ったものだったのだ。当時は、相当批判されたらしい、伝統的では無いという理由で。しかしそのモダン性は、例えば和服に見られるデザインのモダン性にも通じるるところで、元々日本人が持っている美意識に基づくものであるのだ(造る人のセンス次第だが)。結局良いものは滅びない。
と、BBCによってそんな事実を知りました。