ゴダール「男と女のいる舗道」のカフェの後ろに貼ってあるポスターの「野火」という文字を見て以来、ずっと気になっていた映画「野火」をとうとう無料動画(こればっかりだ)で観た。言わずと知れた(今はそうでもないか)大岡昇平原作の映画だ。小説は、自身の戦争体験を基にした、レイテ島での敗走兵の無残で惨たらしい姿を描いたもので、彷徨う日本兵のうつろな目に飛び込んでくる野火を、まるで送り火の如く捉えた内容であった、と記憶していたが、どうもこの辺は大分あやふやであるようだ。それを市川崑が監督、主演は船越英二。サスペンスの王様英一郎の親父だ。芝居が上手いというタイプではないが、息子より役者としての存在感は遥かにある。忘れられないのは「怪談蚊喰鳥」での按摩役。
で、映画だが、どう見てもレイテ島などの南の島ではないロケ地(植物相が日本のそこらへん)や、ちゃちなセットと金をかけてない映画という事を除いても、いま一つ緊張感が足りないと思った。人肉食という異常行為(極限状態では異常とも言えなくなる)のみに重きを置いているような作り方で、当時の日本軍の悲惨さもその割には伝わってこないし、肝心の野火のショットも単なる焚き火のような平板な印象しか受けなかった。考えてみると、市川崑の映画でいいと思うのはあまりなかった。合う合わないでいえば合わない監督なのだろう。
しかし、これで懸案の「野火」を観ることはできたのでその点では満足である。あと出演陣では滝沢修、言わずと知れた(この表現も時代とともに通用しなくなる)劇団民藝の大重鎮。演技の上手さは言わずもがなだろうが、こういう映画に出てても光るのはやはりその実力ゆえかと思うが、個人的な映画観からすると、その演技が光るという点こそが映画として不満な点になるという、何とも二律背反的不確定性原理のような世界となってくる。いい映画って何?と今更ながら思う。