ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

▲閉店【食】農家の息子 [洋食@札幌]

2010年09月30日 22時00分36秒 | 外食記録2010
▲閉店『農家の息子 はこにわ』として改装 [2015.7.14記]
農家の息子(のうかのむすこ)[洋食@札幌][HomePage][食べログ]
2010.8.22(日)17:40入店(初)
注文 野菜ソムリエの夏野菜コース 4000円 +コーヒー 350円


・『農家の息子』という単刀直入なネーミングにひかれ、「これは是非とも行ってみたい!」と思い、早速食べに行ってみました。場所は札幌の西23丁目の裏参道沿い南側。札幌円山郵便局の東隣のブロックです。店の間口が狭く目立たぬ外観なので、店を見つけるときは注意が必要です。
 
・それほど広くはありませんがジャズが流れる落ち着いた雰囲気の店内は、イス席が約4卓と奥に個室のソファー席が1卓、そしてカウンターに4席。壁際には店のシンボルである鮮やかな赤のトマトジュースの瓶がずらりと並んでいます。食事の予約時に「イス席は満席なのですが……」とのことで今回はカウンター席でいただくことに。こちらからだと厨房の様子がチラリと見え、美味しそうな料理が次から次へと目の前を運ばれていくのを見て楽しむことができました。
・こちらの店の営業はディナーのみで、コース料理がが3000円からとなっています。今回はメイン料理が魚と肉の二品ついた4000円のコースを注文。以下の料理はデザートを除き、一皿に二名分の料理が盛られ、それを取り分けて食べる形式です。

・トマトジュース:まずまっ先に出てくるウェルカムドリンク。店の自慢の一品とあって、さすがに唸ってしまうような味です。まるで果実のような甘味。

・前菜の盛り合わせ:銀の舞ポークの自家製無添加ハム、バーニャカウダ、おおともチーズ工房のチーズ
   
・あっさり塩味のハム、パリパリの野菜たち、濃厚な味のチーズ。
  
・自家製サーモンマリネのサラダ

・旬野菜のペペロンチーノ
  
・"ペペロンチーノ" といえばパスタの調理法と思っていましたが、こんなのもありなのですね。調味料の使用は必要最小限であくまでも野菜の味の引き立て役に徹しています。いろいろな野菜が入っていますが、中でもカブが甘くて一際美味。この時点で既に腹八分目、という状態になってしまいましたが、これはまだまだ序の口でした。

・魚介とキュービック野菜のスープ仕立て アクアパッツァ
  
・野菜に囲まれて見えませんが、底の方にはとてもいい味を出すブリの身が。魚介と野菜の旨味が溶け出したスープが美味。

・銀の舞ポーク、三つの部位を三つの味で、ロースト野菜添え
  
・豚肉いろいろてんこ盛りとホコホコの野菜たち。それぞれの本来の味を味わうため、調味料は塩でいただく。小鉢の煮込まれたシチュー風の肉はかなり美味しかったです。
・ここまで来るとそろそろ満腹。後はデザートだけで十分・……という状態に。以下の二品は、パスタやリゾット各種の中から一人一皿選べるもので、その時の腹具合に応じて量を調節して作ってもらえます。ここはもちろん『少なめ』で注文。
 
・おおともチーズ工房のモッツァレラとトマトソース:おそらく最初のトマトジュースを使用していると思われる 『甘い』トマトソース。
 
・キノコと野菜の和風玄米リゾット:"玄米リゾット" が物珍しくて頼んでみた品ですが、モロに玄米風味の禁欲的な味。こちらは残念ながら完食ならず。

・シェフの気まぐれデザート盛り合わせ
  
・カボチャがコロコロと入ったティラミス、ワインによく使われるカベルネ・ソーヴィニヨンのシャーベット、そしてもう一品は失念。
 
・コーヒー:てっきり付いているものと思っていたら付いていなかったので、追加でコーヒーを注文。通常店のエスプレッソ並みの、飲み応えのあるコーヒーでした。
・その店名から "野菜尽くし" の料理を想像していましたが、実際は食材のバランスが取れており、通常よりもちょっと野菜が多目かなという程度です。ただ量的には多すぎて持て余してしまい、品数の少ない3000円のコースにしておいた方がよかったかもしれません。この日は暑い日で、レモン水をゴクゴクと5杯ほど飲んでしまったのもマズかったかも。
・給仕担当のお姉さんがとってもステキなお姉さんでした。

 
[Canon PowerShot S90]
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【本】失敗を生かす仕事術

2010年09月30日 19時00分42秒 | 読書記録
失敗を生かす仕事術, 畑村洋太郎, 講談社現代新書 1596, 2002年
・人間が日々繰り返す『失敗』について、主に職場でのケースに焦点をあて、系統立ててまとめた書。日本人においての失敗との闘いとは、突き詰めて考えると「失敗を恐れる国民性との闘い」となる。『失敗を重ねて夢のある未来へ』をスローガンに意識改革を図るべき、という著者の熱意は伝わってくるが、果たして『失敗博物館』の設立は成るのだろうか。
・「多くの学問がそうであるように、このときはこうすべきだという「うまくいく方法」を教える講義を行っていると、眠そうな顔でつまらなそうにそれを聞いている学生がたいがい何人かいるものです。それが失敗の話を始めた途端に、そのような学生たちまで一転して目を生き生きとさせ、熱心に話に聞き入るということがよくありました。(中略)失敗には、なにやら人を引きつける不思議な魅力があるのはたしかです。  その秘密に迫ってみようと、さまざまな失敗を注意深く観察し、体系的にまとめたのが、私が「失敗学」と呼んでいる考え方です。」p.14
・「私は失敗とは、  「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」  と定義しています。」p.14
・「失敗しないためのいちばんの方法は、何も新しいことにチャレンジしないことです。しかしそうした人は、失敗はしないかもしれませんが、その人には成功も喜びも訪れません。」p.15
・「社会の要求がすでに別のところにあるのに、それを見ようとしないで従来型のことしかやろうとしないおかしさも、いまや日本中の組織に共通している問題です。」p.21
・「いま求められている人材は、時代に合った新しい定式を生み出す能力を持った人です。  そしてその能力は、まず行動して新しいことにチャレンジしていくことからしか身につきません。」p.31
・「本当の意味で未来への不安に打ち勝つためには、やはり自分を脅かしているものの正体をしっかり見極めるところから始めなければなりません。正体がわかれば、対処の方法も生まれてくるはずです。」p.37
・「日頃からいろんなものをきちんと観察し、シナリオが頭の中に入っている人というのは逆演算の能力にも優れ、対象の全体像を理解する能力も磨かれるのです。」p.64
・「これらは一見すると、まったく無意味な行動に思えるかもしれませんが、どんな些細なつまらないことであっても、興味を持って徹底的に観察を行えばそこには新たな発見が必ずあるのです。そして、その発見の数が多い人ほど、対象を理解する能力に長けているという見方もできます。」p.78
・「当時の私は「いい研究を行えば世の中はそれを必ず使ってくれる」と心から信じ、自分が「いい研究」と思っていたものに世の中がまったく関心を示してくれないことを不満にさえ思っていました。自分が本当に世の中が必要としている研究を行っているかどうかを顧みずに、「使わない世の中がおかしい」と考えていたわけですから、いまから考えるとどうかしていました。」p.92
・「労働災害の世界には、災害が発生する確率を経験則から導き出した「ハインリッヒの法則」というものがあります。一件の重大災害の裏には二十九件のかすり傷程度の軽災害があり、さらにその裏にはケガまではいたらなくても三百件の「ひやっとした体験」が存在しているという考え方です。」p.106
・「相手が海千山千の上司ならば、このとき「いざとなったら会社が全部責任を負うから」と甘い言葉をささやいてくるでしょう。そのような場合には「問題が発覚したら、あなたの命令でやったことをいいますよ」「地獄に落ちるときはあなたも一緒ですよ」などといって、責任を共有しなければならないことを相手に自覚させるくらいのことは最低でもやるべきです。それでも相手がまったく怯まないならば、場合によってはひとつ上の上司と話し、同じように「道連れ」であることを強調しておく必要があります。」p.120
・「失敗が起ったときの準備として、日頃から「ばれたら恥かしいことはやらない」という心構えで行動することも大切です。自分にやましさがあると、失敗したことで心を打ちのめされたときにどうしても「自分が悪かったんだから」というあきらめの心が出てきて、それが失敗から再起する気力を奪ってしまうことがあるからです。」p.122
・「誰もが訪れたチャンスを逃さずにつかみたいと考えているはずです。ただ残念ながらチャンスの女神に後ろ髪はありません。目の前にやってきたのが見えた人だけが前髪を捕まえられるのです。タイミングを逃して通り過ぎてから捕まえようとしてもすべて後の祭りです。」p.131
・「ある米国人と話したとき、「日本人が書いた経済書で、欧米で売れているものは一冊もない」と辛辣な言われ方をされたことがあります。ややオーバーな感じがしますが、その人が言わんとしたのは、日本の経済書は小手先のテクニックにばかり目を向けて、トータルとして何を目指しているのかの哲学がないということでした。(中略)日本はたしかにいまあるものを部分改良して、新しい優れた手法や理論を生み出すことは得意でも、これまでにないまったく新しい分野を開拓するのは不得手です。それはいまのように社会のパラダイムが大きく変わった時代に直面したときでも、考え方を根本から見直すことができず、部分改良に終始している姿勢によく現れています。」p.135
・「組織で、唯一全体を見渡すことができる立場にあるのは、結局はトップでしかありません。全体を見ないと組織の失敗対策はできないのですから、「失敗対策はトップダウンでやるべきだ」というのが私の持論です。  日本では、なんでも下からやることをとかく大事にする風潮がありますが、これはやはりケース・バイ・ケースで考えなければならない問題です。」p.155
・「私はかねてから、「QCやTQCでは、失敗は決して防ぐことはできない」と主張してきました。もちろんそれはQCやQTC自体の否定ではありません。」p.169
・「ちなみにマニュアル化のことを考えるのに身近にあるよい例は、マクドナルドでしょう。マクドナルドは食材や備品の大量発注、標準化によってコストを切り下げ、さらに仕事においても徹底したマニュアル化によって効率化を図っています。その結果あれだけの低価格を実現し、社会に受け入れられているのです。  ただマクドナルドで働いている人の頭の中をのぞいてみると、おそらくどうやってマニュアルの手順通りにハンバーガーを焼いたりポテトを揚げるかということを考えているだけで、そこにはレストランで働く料理人に見られるような工夫、想像、仮想演習などはないに違いありません。創造力などは必要とされないので、当然マクドナルドでハンバーガーを何万個焼いても料理人にはなれません。」p.175
・「失敗情報の積極的な発信は、失敗に対する危機管理として有効です。」p.184
・「「失敗はあってはならない」「失敗はけしからんことだ」という発想でいるから、結局、失敗したときの準備がまったくできていなかったということだと思います。もし「失敗は必ずある」というところからスタートして、失敗したときの対応についてもきちんと学んで備えていたならば、実際に失敗が起こったとき、動転してまわりの誤解を深めることもなかったでしょう。」p.194
・「ここでのポイントは、まさに「公共の利益」という言葉に尽きます。その点からみれば、人間の心理を考えながら真の失敗原因を明らかにする社会システムを作っていくのは失敗対策を強固にしていく上で欠かせないものです。」p.199
・「そういった意味で私は、失敗の研究、失敗情報の収集や発信、失敗の体験などもできる「失敗博物館」をつくることが必要だと考えています。」p.204
・「今回の狂牛病騒動にしてもそうですが、大きな問題が生じると必ずこれを批判する声があちこちから上がります。「政治が悪い」というのもあれば、攻撃の幅を広げて「マスコミが役割を果たしていないから悪い」とするのも定番です。  不思議なことに、そのような批判ばかりをしている人の日常生活を見ていると、「自分自身は社会をよくする行動など何ひとつ実行していない」という場合も珍しくありません。」p.211
・「老人がよく「一年が早く過ぎていく」と言います。これは言い換えれば「新しいことが何もない」という意味だと考えられます。(中略)結局、体感時間の長さは、人生の充実度に比例するものだと私は考えています。多くの人々が目指している失敗のない人生は、不安と期待が交差したワクワク・ドキドキの感情も少ない、時間だけが早く過ぎていくもののような気がします。(中略)平坦な短い一生を送るか、それともワクワク・ドキドキのある充実感のある長い一生を送るかは、まさに失敗を避けるか、それとも真正面から向き合って生きるか、自分自身の選択ひとつで決まるものなのではないでしょうか。」p.219
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【社】加野神社(真狩・加野)

2010年09月30日 08時04分56秒 | 参拝記録
加野神社(真狩・加野) 参拝日 2010.2.20(土) [真狩村史跡マップ][Yahoo!地図]
 
・こちらは真狩村の南の街外れ。留寿都村の三ノ原方面に抜ける田舎道の途中、国道230号線から4kmほどの場所です。「いったいここはどこなんだ!?」と言いたくなるような僻地で神社を探す。
 
・すると建物の影に鳥居を発見。後ろから見て気づきませんでしたが、目の前の建物が神社!?
 
・建物の正面に回ってみる。鳥居のたつ建物の隣には集会所らしき建物がたっています。
 
・鳥居の頭の部分はかなり古そうな石製で、足の部分だけ後から付け替えたような形跡があります。また、社はあまりに社らしくない建物なので、もしかするとこの建物内に小さな祠が安置されている形なのかもしれません。雪が深くて、とても中を覗きに行く気にはなれませんでしたが。
 
・境内の片隅には小さな石碑が二つたっています。雪に埋もれて碑文は見えませんが、『真狩村史跡マップ』によると、左から『馬頭観世音』と『畜魂碑』だそうです。

・境内の周囲には雪原が広がっています。

・強風にあおられて舞い上がる雪。

[Canon EOS 50D + EF-S17-55IS]
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