パリ・ドイツ旅行の前にもお知らせしましたが。昨日あかね書房の編集の方とお会いして、「バアちゃんと、とびっきりの三日間」を頂いてきた。
久しぶりの新刊本。前の記事に紹介文をのせたので、読んでくださいね。
自分の書いた原稿が、絵描きさんに絵を描いて頂き、本という形になった瞬間にいつも思うのは、自分だけしか知らなかった世界が、他の人にも開かれたなあということだ。
それは嬉しい反面、こわいことでもある。
とくに今回の本は、私の母をモデルにして書いているからだ。
紹介文にも書いたし、このブログにも書いてきたけれど、母はインスリン注射が必要な重度の糖尿病で、認知症をわずらっている。
もうこの本を読むことはできない。もし本が読めたら、喜んでくれるだろうか。喜ぶより、こんなことを書いてと、困った顔をするかもしれない。
書きながら、いいかなあ、こんなことを書いちゃってもいいかなあ、といつも自分自身や母に疑問符を投げかけていたような気がする。
でも、最終的に思ったのは、誰でもいつかは年をとり、体や頭がおとろえてゆく。それは恥ずかしいことでもなんでもない。生きているものの宿命なのだ。そして、そういう姿を見せることで、母は(以前は父も)、子や孫に何かを伝えてくれているのだと思えるようになった。
久しぶりの新刊本。前の記事に紹介文をのせたので、読んでくださいね。
自分の書いた原稿が、絵描きさんに絵を描いて頂き、本という形になった瞬間にいつも思うのは、自分だけしか知らなかった世界が、他の人にも開かれたなあということだ。
それは嬉しい反面、こわいことでもある。
とくに今回の本は、私の母をモデルにして書いているからだ。
紹介文にも書いたし、このブログにも書いてきたけれど、母はインスリン注射が必要な重度の糖尿病で、認知症をわずらっている。
もうこの本を読むことはできない。もし本が読めたら、喜んでくれるだろうか。喜ぶより、こんなことを書いてと、困った顔をするかもしれない。
書きながら、いいかなあ、こんなことを書いちゃってもいいかなあ、といつも自分自身や母に疑問符を投げかけていたような気がする。
でも、最終的に思ったのは、誰でもいつかは年をとり、体や頭がおとろえてゆく。それは恥ずかしいことでもなんでもない。生きているものの宿命なのだ。そして、そういう姿を見せることで、母は(以前は父も)、子や孫に何かを伝えてくれているのだと思えるようになった。