紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

さようなら、後藤竜二さん

2010-07-06 09:26:53 | 2・仕事の周辺
タイトルを書きながらも、まだ信じられない。
今朝読んだ訃報。

7月3日に、後藤竜二さんが死んだ。
まだ67歳だというのに、脳内出血で亡くなった。

いつでも、誰にも優しい、アニキのような人だった。
いくつになってもカッコよく、壇上に上るのに、ささっと駆けて行って、ぴょんと飛び乗る。
階段なんかは使わないのだった。

初めてお会いしたのは、講談社児童文学新人賞のパーティーの席だった。
後藤さんも、私と同じ、一般公募している講談社児童文学新人賞からデビューした。
大学を卒業したその年だったか。デビューは早く、それ以来常に第一線で活躍されていた。
私は3作目の「パパさんの庭」が出版された年の夏だったが、そういう席でまだ、誰も知り合いがいなかった私に、突然ニコニコと笑って、話しかけてくれたのだ。

それから「この本だいすきの会」で、何度もお会いすることがあった。
(2007年暮れの集会)




箱根の集会(16-7年前か?)では、後藤さんと一緒に昼ご飯を食べていたら、丘修三さんという作家が突然つかつかと近寄ってきて、私に向かって、
「後藤さんの息子さんですか?」と聞いた。
なんで、私が息子なんだ・・。みんなで大爆笑。今でも笑ってしまう出来事だった。

「リンゴの花ツアー」で北海道にいったのは、今手帳を見たら、1995年だった。
雪の中で一緒に遊んだり、アイルランド音楽の演奏を聴いたり。楽しい旅だった。
赤いソリを引いているのが後藤さん。

 


そんな縁があって、私が日本児童文学者協会に入会するとき、この間赤い鳥児童文学賞を受賞された岩崎京子先生と、後藤竜二さんの二人が、推薦人になってくれたのだった。

もう会えないと思うと、心の底から悲しい。