紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

新盆

2013-08-15 17:05:19 | 18・家族のことなど
今年のお盆は、1月に亡くなった義父と、母の新盆だった。
ずっと東京に住んでいたので、仏事というのには、あまりなじみがなく、それでも、父が10年前に亡くなってからは、少しずつ回忌や法要などを知るようになった。
夫の方の仏事では、新盆のほかに盂蘭盆会(うらぼんえ)というのがあるのを初めて知った。
夫の方は浄土真宗、私の方は真言宗。というのがすらすらいえるようになったのも、最近のことだ。

久しぶりにお経を唱えると、ちょっと身が引き締まるような気がする。




息子夫婦も長野から来たが、次に大勢の親戚が会えるのは義父の一周忌でしょうか。





暑い!!

2013-08-11 08:15:35 | 10・孫と家族
昨日は暑かった。今日も暑そう。
ちょっと外に出かけると、熱風を浴びる。

それで、家で、汗をかきつつ、9月に泊まりにくる孫の心○のためにパンツを縫った。

一番右が、あまり布で縫ったパジャマ。ガーゼ地なので、やわらかではきやすい。

あとの3枚は、誰も着ないTシャツなどで縫ったハーフパンツ。
適当に縫っているので、ぶかぶかかも。どれもこれも、まったくお金がかかっていない。




おまけの1枚。我が家でとれたカボチャ。
生ゴミを捨てたら、そこから芽が出て実がなった。



8月2日もう1度鳥海湖へ

2013-08-09 06:39:47 | 3・山の日記
7月31日の天気があまりに悪かったので、中一日おいて、もう一度鳥海湖目ざして上ることにした。
前日、Kさんは新潟経由で、Iさんとひろみさんは、秋田経由で帰ったので、その日は一人。

ひろ社長も翌日の行事にそなえ、忙しいということで、朝5時に鉾立まで送ってもらい、帰りは、数少ないバスを選んで帰ることにした。

朝はまあまあの天気かと思って、鉾立に着いた。

着いたとたんは鳥海山が見えていた。




けれど、5分後にはごらんの通り。ガスがかかった。




それでも、せっかく来たことだし、雨が降るまで上ることにした。

ほとんど休まず御浜小屋に着いたが、着いた時は鳥海湖が見えたが、3分ほどでガスにおおわれた。




そこから御田が原分岐のちょっと先まで行くと、雨が降り出した。




花はほとんど前々日に見たのと同じなので、写真はないので、この日に見られた花の景色だけのせよう。







ハクサンイチゲ



ホソバイワベンケイ




また休みなく下って行くと、小学校5年生の遠足の集団に出会った。かなり雨が降っているのに、コンビニの雨合羽くらいで上って行く。
靴もスニーカーなので、びしょびしょ。聞いたら、山頂の御室小屋まで上って、泊まるということだった。荷物はぬれてないのか、ちょっと心配した。




下に駐車場が見えてきた。




12:00頃、駐車場についた。稲倉荘の食堂で、鳥海ラーメンを食べたが、すごくおいしかった。

昼頃唯一あった、酒田行きのバスに、12:55に乗って下山した。

帰りは、行きに9時間もおくれて、新潟経由が景色にもあきていたし、酒田までくると、秋田に行くのも遠い気がして、山形の新庄経由で帰ってきた。

天気がよかったら、前日下るはずだった最上川に列車は走る。




芭蕉ラインに乗るためにおりるはずだった古市駅。




2日間とも天気が悪かったので、もう1度鳥海山に行こうと思う。



◆鳥海湖まで:1回目・2回目

7月31日・鳥海湖まで(1回目)

2013-08-06 16:34:13 | 3・山の日記
4:00 に起きると曇りだった。

これならだいじょうぶと、4:30に朝食をすませた。

5:00 に鳥海荘のひろ社長が迎えにきてくれて、鉾立まで送ってくれて、一日一緒に山登りをする。

鉾立に着いたら、雨が降ってきた。





6:40 雨具を着込んで出発。




いきなり、けっこうな降り。こんな雨では、もう一回上りに行くしかない。
なので、誰かがやめようといったら、やめるつもりでいたが、誰もやめるといわない。
後で聞いたら、どんな雨でも私は行くだろうから、行くしかないと思っていたそうだ。
すみません。こんな日に上らせてしまって。



完全装備で、上っていく。

ミヤマカラマツ・?                   ヨツバヒヨドリ?


                                                              



ベニバナイチゴ



ホタルブクロ                         クルマユリ






                                 オオカメノキ


オオバミゾホウヅキ                        シナノオトギリ





マイヅルソウ                              オオバキスミレ



賽の河原の前に雪渓がある。




賽の河原を通過後、ひろ社長が、長坂道の方にルートをとる。

雪渓を渡る。あちこちに高山植物がたくさん咲いている。







ヒナザクラ                            イワイチョウ



ハクサンフウロ                            トウゲブキ



ウサギギク



ニッコウキスゲとコバイケイソウの群落。









コイワカガミ                           ハクサンシャジン



10:00頃 御浜小屋に着いた。雨具の下の衣類や、ソックスまで濡れた人もいたので、休憩して、そこで昼ご飯を食べることにした。




コンロで湯をわかして、ラーメンを食べたら、あったまった。

11:50 御浜小屋を出発。




チングルマの群落



それからは、すごい土砂降りの中下山。




道は沢のようになっていた。








14:00 下山


その後稲蔵山荘でお茶を飲んでから帰った。




その日のログ。




写真は同行者のみなさんのもお借りしました。

◆鳥海湖まで:1回目・2回目

7月29日~8月2日まで鳥海山のふもとへ

2013-08-05 17:13:59 | 3・山の日記
ほんとうに大雨にたたられた旅、山行だった。
新潟、東北は大雨だというのをニュースで見ていて、29日の夜行寝台の「あけぼの号」は動くかどうか、ちょっと心配だった。
けれど、なんの問題もなく、pm 9:15に上野駅を発車した。

今回の旅の同行者、Kさんと二人で寝台車に乗り込む。
つぎの大宮駅から、ひろみさんとIさんも乗ってきて、4人そろった。

当初の予定では、翌朝象潟で下車。鳥海湖まで上るつもりだった。
けれど、天気がよくないので、その日は直接、今回泊まることになっていた鳥海荘に行くことにした。

それからが、長い長い旅だった。
朝方、Kさんから電話がかかってきたが、もう2時間も列車が止まっているという。いつ発車できるか見通しがたたない。
初めて届いたエリアメールによると、新潟県の柿川周辺を初め道路が冠水したということだった。

外を見たら、まだ住宅地。

6時頃になったら、やっと水がひいて、これから2時間ほどかけて線路の点検を行うという。

朝ご飯を食べた後に、駅員さんが朝ご飯用の缶詰のパンとお茶を配ってくれる。
これは大事にとっておかないと、列車の扉はあかないし、この寝台車には自販機もない。




それから、朝早く起きたので、二度寝。

目がさめた頃、やっと日本海が見えた。




おきた頃、列車が9時間おくれて、羽後本荘の駅に着くのがわかった。

4人で行ったのだけど、寝台の個室は狭くて、4人一緒には入れない。二人ずつ一緒の部屋で過ごしては、時間をつぶした。

昼に、パンと、Iさんが持って来てくれたトマトを食べた。

その後、2:00になって、ようやく、おむすびが配られた。あちこちのコンビニで買い集めたようであった。




ようやく羽後本荘の駅に着いたのは、3時前だった。




特急券の1980円は払い戻してくれて、象潟~羽後本荘の乗り越し料金もおまけしてくれた。

そして、乗った由利高原鉄道。






ようやく鳥海荘についたのは、5時近くだった。

この日は、まだ首の後ろや、上腕の筋痛症の痛みが残っていたが、温泉に入ったら、かなりよくなった。


◆鳥海湖まで:1回目2回目

友人の没後10年の記念会

2013-08-04 08:38:21 | 15・心に残ること
友人の安井誠さんが亡くなって10年が過ぎた。
昨日は、その記念の会が、下井草の教会で開かれたので、近所の友人、Kさんと一緒に参加した。




ふだんはあまり縁のない教会で、牧師さまのお話を聞いたり、賛美歌を歌ったりして、心が洗われるようだった。

その後、早稲田のグリークラブOB(安井さんと同期の方がほとんど)による合唱。
高校生の頃、グリークラブの演奏会に行ったことがあるが、年齢的に、ちょうど舞台に立っていた方もいらしたと思われる。
「時計台の鐘が鳴る」と早稲田のなにかの時に歌う歌、そして、「遙かな友に」大好きな曲です。
奥様で、今も友人のCOCOさんも一緒に歌ってすごくすてきなコーラスだった。




COCOさんのパイプオルガンの演奏。練習しているのは知っていたけど、初めて聴いた。すごい上手だった。

チェリスト黄原亮司氏による、チェロの演奏。十数曲も演奏してくださって、コンサートのようだった。
やわらかい音で力強い演奏で、すてきな時間が流れた。
途中で、安井さんといった上海の旅の話しなどしてくださって、生前仲がよかったことが垣間見られた。



安井さんは、北極にいったり、世界中を旅していて、それもふつうの人ができないような旅をしていたけど、そんな話しももっと本人から聞きたかったと思った。
とても、いい10年の記念会だった。

<安井誠さんのこと>

家の息子が行っていた保育園の保護者どうしという間柄で知り合った。
ちょうどその頃、私は本を書いて行けるかどうか迷っていた時期で、安井さんが励ましてくれたり、原稿を出版社に売り込んだりしてくれたおかげで、今の私がある。
いくら感謝してもしきれない、との思いを、いつもかかえている。

息子が保育園を卒園してからも、仕事のことではずいぶんお世話になった。

昨日突然思い出したが、1度だけ、安井さんの会社の仕事もさせてもらった。
その時の原稿料で、「花の館に」という本を書くために、スイスに子どもたちも連れて行けたし、ずいぶん助かった。

どんな仕事かはっきりは覚えていないが、「昭和の歴史」という本を出すために、昭和の何年か分の新聞を読んだ。
縮刷版の(たしか)コピーを読んで、1日の大きなできごとを、3行(もっとかも)くらいにまとめるという仕事だった。

見出しをみて、大きなできごとを探して、その記事だけ読むのだけど、つい新聞がおもしろくなって、他の記事にも目を通すので、最後は締め切りに追われた。
何年分読んだか、もう覚えていないが、狭い部屋にダンボール5箱分(もっとか?)もコピーがあって、字が小さいので、ものすごく大きな天眼鏡を買った。
1ヶ月くらい、その仕事にかかりきりだった。

だけど、今でも驚くのは、その大量の新聞の中から、知り合いの人の名前を見つけたことだ。
迷子の子を、H啓さんが見つけて、交番に届けて、親から感謝されたという小さな記事だった。
児童擁護施設で働いているというので、私の知り合いと同一人物だというのがわかった。

昭和の何年かわからないが、当時は、迷子になると、親元に簡単に帰れない時代だったのだ。