友人の安井誠さんが亡くなって10年が過ぎた。
昨日は、その記念の会が、下井草の教会で開かれたので、近所の友人、Kさんと一緒に参加した。
ふだんはあまり縁のない教会で、牧師さまのお話を聞いたり、賛美歌を歌ったりして、心が洗われるようだった。
その後、早稲田のグリークラブOB(安井さんと同期の方がほとんど)による合唱。
高校生の頃、グリークラブの演奏会に行ったことがあるが、年齢的に、ちょうど舞台に立っていた方もいらしたと思われる。
「時計台の鐘が鳴る」と早稲田のなにかの時に歌う歌、そして、「遙かな友に」大好きな曲です。
奥様で、今も友人のCOCOさんも一緒に歌ってすごくすてきなコーラスだった。
COCOさんのパイプオルガンの演奏。練習しているのは知っていたけど、初めて聴いた。すごい上手だった。
チェリスト黄原亮司氏による、チェロの演奏。十数曲も演奏してくださって、コンサートのようだった。
やわらかい音で力強い演奏で、すてきな時間が流れた。
途中で、安井さんといった上海の旅の話しなどしてくださって、生前仲がよかったことが垣間見られた。
安井さんは、北極にいったり、世界中を旅していて、それもふつうの人ができないような旅をしていたけど、そんな話しももっと本人から聞きたかったと思った。
とても、いい10年の記念会だった。
<安井誠さんのこと>
家の息子が行っていた保育園の保護者どうしという間柄で知り合った。
ちょうどその頃、私は本を書いて行けるかどうか迷っていた時期で、安井さんが励ましてくれたり、原稿を出版社に売り込んだりしてくれたおかげで、今の私がある。
いくら感謝してもしきれない、との思いを、いつもかかえている。
息子が保育園を卒園してからも、仕事のことではずいぶんお世話になった。
昨日突然思い出したが、1度だけ、安井さんの会社の仕事もさせてもらった。
その時の原稿料で、「花の館に」という本を書くために、スイスに子どもたちも連れて行けたし、ずいぶん助かった。
どんな仕事かはっきりは覚えていないが、「昭和の歴史」という本を出すために、昭和の何年か分の新聞を読んだ。
縮刷版の(たしか)コピーを読んで、1日の大きなできごとを、3行(もっとかも)くらいにまとめるという仕事だった。
見出しをみて、大きなできごとを探して、その記事だけ読むのだけど、つい新聞がおもしろくなって、他の記事にも目を通すので、最後は締め切りに追われた。
何年分読んだか、もう覚えていないが、狭い部屋にダンボール5箱分(もっとか?)もコピーがあって、字が小さいので、ものすごく大きな天眼鏡を買った。
1ヶ月くらい、その仕事にかかりきりだった。
だけど、今でも驚くのは、その大量の新聞の中から、知り合いの人の名前を見つけたことだ。
迷子の子を、H啓さんが見つけて、交番に届けて、親から感謝されたという小さな記事だった。
児童擁護施設で働いているというので、私の知り合いと同一人物だというのがわかった。
昭和の何年かわからないが、当時は、迷子になると、親元に簡単に帰れない時代だったのだ。