ガリレイドンナ 第10話 時空金魚 <後編> △(+)
時空逃走
時間を隔ててご先祖様と戯れるってなあある種究極の逃走劇かもねえ
ま、そうでもしないと娘っ子3人に出来ることなんてたかが知れているというか
本当にロクに何も出来ないのよねえ、「氷の世界」ってのはそういうものなのだろうけど。
ここまでほとんど何も出来ずにキリングマシーンに尻を追い回される「だけ」ってのが
1クール枠ものとしてはフラストレーションが溜まるってのがあるわな
「成長」する時間を設けることが出来ないってのが「近頃のアニメ」の基本的なハンデだわな
かといって「サムメンコ」みたく荒唐無稽に「ヒーローもの」とかやりだすと
それはそれで首をかしげるしなあ、難しい。
基本的にはバンビーナ達を愛でてればそれでいいのだけどね
アウトブレイク・カンパニー 第11話 深く静かに陰謀せよ △+
この作品よー考えるとややこしいところがいっぱいあるのね
当作品は「ライトノベル」のカテゴリーに属する作品で
そして「ライトノベル」も当然「文化侵略」のいっかんを担っているわけで
そしてそして「ライトノベル」の基本的な設定である「ファンタジー」を
「ファンタジー」が「現前する世界」で普及させようとしているのだからね
いわば「戦争中の国で戦記物を執筆しようとする努力」とでもいおうか
だんだん自分で言っていてわけわからなくなってきたけど
それでいいかもね、「文化」なんてもともとどうでもいいことを
ややこしくして遊んでいるようなところがあるしな
「政府のキモ入り」とかもろ「死亡フラグ」だものね
というのも「政治」は「実行」が目的であってその為には
「無駄」なものを「排除」することが必然であって
それは「文化」のように無駄を愛でるものとは本質的に矛盾しているからね
ま、「自分達で創る」ってのも言うは易く行うは難しで
識字率が高くなきゃならんし、普及させるのに必要な媒介(紙とか)も要るし
それらのシステムの整備もいる、何より国家にそれをするだけの余裕が
無ければならないし、ね、いくらでもややこしくなる、そしてそれが楽しい。
物語シリーズ セカンドシーズン 第23話 「恋物語 ひたぎエンド 其ノ參」 △++
>OP
ひどい「カラオケ映像臭」で笑ったw、こういうの仕込める余裕がまだあるかー
なんとも胡乱でそのあたりが貝木には実に似つかわしいねえ
貝木との会話はガハラさんの違う味わいが見られて興味が深いね
中の人達も名手だから朗読にひきこまれることもいちじるしいね
ガハラさんを斎藤さんが強弱の効いた演技で見事に演じて感心してたら
CMが開けていきなり斧乃木ちゃんが「イェーイ、ピースピース☆」とか
やってきたもんだからまた笑わされたわww
これはこれでとても上手な人の芸ではあるわな
「朗読劇」って思い込んでたら「映像」で脅かしに来て
そう思ってたら「朗読」でまた笑わせて、すごい力量ですな。
蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第10話「その身を捧ぐ」 ○+!
愛で満たされる
「アニメーション」としては動きがもの凄く少なかったけど
「状況」が圧倒的に動きを抑制しなければならないし
むしろその抑制がコミュニケーションの濃度を最大限に圧縮しているすごさ
群像とイオナ、他のメンタルモデルの言葉のひとつひとつが心に浸透してくる。
イ型潜水艦姉妹とコンゴウの会話もそれにヒケをとらず緊張してる。
そして最後の救出から合体までのシークエンスはまさしく圧巻のひとこと
タカオの「私の入り込む余地が(物理的にも精神的にも)全く無いじゃない」が泣ける
それを十二分に説得する「群像を保護するイオナの画」が目の前にあるのだからねえ
そっからは「ナノマテリアル」っていう「便利設定」の最高の見せ場だったかと
このおはなし「設定」が「映像」の必要を生み出していて
それに充分に映像で応えているとても幸せな関係ができている。
俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している
第10話 ①人生は、選択の連続である ②人生は、洗濯の連続である とまとめ △+
お約束の前倒し角川系ラノベ原作のまとめですわね
「人生」は「選択」の連続であるってのは確かにそうなんでしょうけど
じゃあ「実際の人生」で「選択肢」がハッキリ分かるかというとそうではない
そもそも「選択」しているかどうかすらよう分からんことが大概なんではないか
だから「選択肢」(フラグとかに変換可)が「発生する」って事態は
極めて「ゲーム的」な事情によるものなのね、だからこそのその「行動」は
とっぴなもので、下らないものであることがほとんどなワケだ
それは「若人」の「ウケを狙った行動」に模してるような
「やる気があるけどやることがないような人間のおかしみ」といったところか
ゆえに、奏は「選択肢」で「気持ちを蔑ろにするもの」は選ばないのね
「恋愛」を「ゲーム的に処理」することを否定することによって
逆説的に「ラブコメ」の「ラブ」の部分に光が当たっているしかけ
と、同時に奏が試練を強いられることによってますます人間的に大きくなり
ヒロイン陣がますます好感度がアップするという
「ハーレムもの」としてはとても合理的なしかけになっているわけだ。
この馬鹿馬鹿しいハナシをみながらそんなアタマのいい仕掛けをしているのを
見るにつけ「ハーレムもの」もいろいろあるよなあ、とか感慨にぶけったりそうでなかったり
あとやっぱり「アタマの中」だけだど何でも思いどおりなることでも
いざ実際に「選択」するととんでもない間違いをしたり滑稽だったりということが
「人生」ではあるわけで、ゲームとかで「選択肢を選ぶ」ってことは
人生の皮肉を結構リアルにシミュレートしてんのかもなあなんて
ゲーム脳のボクは思うわけですw