彼女がフラグをおられたら
第7話 とんでもないことを知ってしまった。消される前に俺は身を隠す △(+)
凄い勢いでヒロインが増えていくねえw
「ある程度」は「形式」ちゅうことでカタがつくかもだけど
10とか超えてくると「なんか別物」ってとこまでくるかもな
そしてそれに併せて「世界の真理」っちゅうまあハナシを動かす為の設定も
しゃしゃり出てくるつくり。まあ「世界の真理」とか正味どうでもいいのだけど
なんちゅうかな「物語性」ってのを最低限保障する為にきちんとつきあっている感じ
「黒極のブリュンヒルデ」とかだとその「ありがちな形式」ってのを出しておいて
それをあえて「異質」に取り込んでいく感覚があるのだけど
こちらはそういう形式を「過剰」に取り入れることによって
なんかこう「つっこむのも馬鹿らしくなる」というあり方を目指しているような
そんな感触があるなあ。
ピンポン THE ANIMATION 第7話 イエス マイコーチ △+
なんかこうアレですよね「卓球」が「苦行」のように
ドラゴンとかスマイルを見ていると思えるのに
ペコなんかオババにしごかれていても「楽しい」ように見える
それは本人の才能や吸収力の高さによるところもあるのだろうけど
「新しい技とかを覚えてそれを試合で使って勝つ」とか
競技をやっていて最も楽しい瞬間のひとつではあるよなあ
もうハナシも折り返して(早っ)ここでペコが覚醒することによって
いよいよ見逃せない展開へとなだれこんでいくね
僕らはみんな河合荘 第8話「うれしぬ」 △+
「変人」は処理できても「下らぬ輩」ってのは始末がきかないよねえ
そして「商売」っちゅう「誰でもウェルカム」という前提だと
まあ少なからずしょうもない人ってのは紛れてくるわけで
そのあたりの差異が「元変人」→「高校デビューした娘」っちゅうのも
交えてなかなかに賑やかに描かれていたかとおもう
袴姿もなかなか見栄えして、律っちゃんが「らしくない」ことを
してくれたのも袴効果のせいかもしれんとも思え
そして帰寮したら「自分の好物」が待っていてくれることの有り難さ
ってのがしみじみ分かるなあ、ってのはある
そのあたりの機微が宇佐くんの半泣きトークによって活きている
とおもう
蟲師 続章 第7話 日照る雨 △+
「雨女」ってことですよね、まあどう考えても人間が天候に関与
できるわけではなくてその人にまつわるとたまたま「雨」が
多いというぐらいのものなのだろうけど
人間はしばしば「起きたこと」と「原因」をごっちゃにするからね
そのあたりの事態を「蟲」を介在させることによって
普段はカシコイ僕らをちょっと愚かにさせてくれるってのはあるな
「雨」ってのは普段はそんなにいらんのだけどいよいよ無くなると
無性に欲しくなるってところがあるよねえ
当作品のように「雰囲気に惹かれる」って体の作品もちょうど
なんやかやと騒がしい作品ばっかりの中で「恵みの雨」のように
今期の作品の中ではありがたい趣向になっているとおもう
棺姫のチャイカ 第7話 還らずの谷 △+
カタコトでないチャイカに絶望した!
強くて幼女に優しくて、そして無職(ニート)のトールさんは
まさしく僕らのヒーローっすよねw
まあヒトの「願望」ってのは往々にしてちゃっちくて、下衆なもので
それゆえに心の底にある方がぐあいがいいのだけど
元「英雄」の魔法使いのじいさんが現実に絶望して
自分が誑かす側にまわってしまったというアイロニーはあるねえ
彼も「英雄」っていうたまさかの「夢」に酔いしれたクチなんだろうね
こういう「夢」を打ち砕いた後の「夢のかけら」のようなおはなしこそ
現在最も「リアリティー」がある当世のファンタジー事情ともいえよう
デート・ア・ライブII 第7話「破軍歌姫」 △(+)
今回の「洗脳」的な回を見ているとだんだんと「攻略」していった
精霊(嫁)がハナシをつくる上で「邪魔」になってるなあ
といった印象があるね、それは「ハーレムもの」が正当にぶつかる
ジレンマであって、そこをどう調整していくかが制作者の腕の見せ所
なのだろうけど、「洗脳」っちゅう便利設定を持ち出している分は割引に
なるのはやむをえないところではある。
まあ、ここで「未攻略」の狂三を持ち出すのがよい選択ではあるね
美九のアクの強さには彼女を持ち出さないと対抗できまいて
今話はそういう「過去の強キャラ」と「新しい強キャラ」の対峙みたいな
たのしみがあるとおもう、ついでに狂三に「貸しひとつ」で
あとあとのトラブルの種もばらまかれて、2度おいしい
ニセコイ 第20話 ホンバン とソウカツ △+
合い鍵の無い錠前
「過去設定」ってのは「借金」みたいなもので
当座のある「目的」を満たすためには有用なのだけど
あとあと「返済」していかなければならないわけで
まあ、こう言うと貯蓄率が異常に高い国民としてはネガティブな
イメージを抱きがちなわけだけれども、逆に言えば
明確なビジョンがあってしかもそれに身を惜しまないなら
その可能性を啓くこともあるともいえるわけだ。
ところが当作品だと「好感度」の前借りはあっても
その「支払い」がまあほとんど無いののよね、といったとこ
ある程度過去話をうやむやにしちゃった後半からは
「鍵」のハナシもほとんどでなくなったし「許嫁設定、何それ?」
みたいな感じになっていたとおもう
まあ、きれいどころが揃って毎日いろんなイベントがあって
それどころじゃないって感じで、むしろその「それどころじゃない」
ってのを目標にやってきていたのではないかなと思う
「日々の雑事をたのしむ」という形式はそれこそ錠前を開けるような
「決着」をつけることを望まないし
「長い間読者を愉しませる(金をむしり取れる)」ということは
商業的にもマッチするといった次第ではある
つまり「ガチで」「ロミオとジュリエット」をやるのではなくて
今回のような「学芸会」じみたコメディをやる、ということなのね
そしてそれはそれで見ている側のココロを充分に穏やかにさせるわけで
そう考えるともともと「ラブ・コメディ」は本来の恋愛にある
ネガティブな要素を取り除いた「終わらないじゃれあい」的な
ある種正反対の要素でできあがっていたのを思い出すわけだ
当作品は「過去の記憶」ってのをあえてぞんざいに扱うことで
「今」を愉しむことに集中させていることにある程度成功しているとおもう
ハッキリと「ニセモノ」があることで、何が「ホンモノ」か
分かりがとても良くなっているというわけ。