魅惑のワインと出会う100の方法

デイリーからカルトワインまで、日々探し求めては飲んだくれているワイン屋のおはなし。

7月23日の夜

2012年07月24日 | ワイン ~2019年
1982年7月23日の夜のことだった。


当店の前は暗渠になっていて、道路の下には川が流れている。

うちの前は大丈夫だった・・・・・が、うちの上流100mあたりに何かが詰
まったのだろう、道路を壊して水が吹きあがり、怒涛のように流れてきた。

あっという間に前の道路が「川」になり股下ほどまでが水浸しになった。

その後もゴーゴーと続く流れの中で家が流されるんじゃないかと家族がみんな
不安の中で夜を過ごした。


これこそ「1982年長崎大水害」だった。
死者299名。がけ崩れで多くの被害が出たし、我が家の前の道路でも流されて
亡くなった命があった。

大きな岩がゴロゴロと転がってきた。すべて山から落ちて流れてきたものだ。
1時間に180ミリ以上、1晩で600ミリを超す豪雨だった。



家が流されるかも!と思い、弟が119番へ電話をした。

「助けてください、家が流されるかもしれません」


すると・・・「他にももっと救助が必要なところが多くて無理です。自分
たちで何とかしてください」と言われた。


焦ったけど、最低でも命は落とすことなく逃げ出せるだろう、万が一の時は
すべてを捨ててでも逃げ出すぞ!と思った夜だった。




1階店舗は水浸しで大事なものは2階へ次々と運び上げた。


・・・・・


本当に不安な一夜を過ごしたのだけれども、2階へ持って上がったものの中に


ワインがあったのだ。



当時の日本に入っているワインというのは大手の輸入元やビール会社など
はっきり言ってしまうとメルシャンとかサッポロ、サントリーなど。


たいしたものはなかったけど、私は救出しなければならないと思ったのは
確かだ。とりあえず上げられるなら上げておこう。

きっと木製棚の上に「ムートンカデ」(今なら千円台の標準ワイン)とかも
あったろうけど、それでも当時としては立派なボルドーワインだった。



そんなすごい災害が過ぎたあと・・・・・





私はひとつの決意をした。


ワインセラーば入れよう!
これからはワインば売っていこう



もうこんなあまりに酷い水害はこないだろう、大丈夫だろうと思ったし。




そして道路や暗渠も改修され、同様の災害もなく現在に至る。


ワインセラーにはその後貴重なワインが集まり始め、自身のワイン熱もグ~ン
と高まりはした。けれど、品物に満ち溢れたその後の収集よりも、きっと
たいしたワインではないのだけれども、災害の夜に何本も避難させた時ほど
ワインに対して熱い思いを傾けたことはないかもしれない。


この頃、私は実家の酒店を継ぐかどうかをかなり迷っていた時期だった。


今では酒店としてはともかく、ワインを愛し、ワインを通じて出会うことの
できた多くの人達や出来事に本当に感謝している。


こうしてまた7月23日の夜は今年も巡り過ぎてゆく。


命を落とした方々へ黙祷を捧げ、冥福を祈るのだけれども、私自身も利己的
かもしれないけど?ワインへの思いを募らせる日でもある。
生きていればこそ・・・・・。

きっといろんな思いの交錯する長崎の夜なのだろう。


コメント (4)
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