手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

わたしの手帳変遷1(Letts社のバーティカル)

2013-12-12 | 手帳・雑感



ブログがスタートした頃に、わたしの手帳遍歴を少し書かせていただきました。
今回は、「日記」「手帳」の二つの点から、少し詳しくご紹介させていただきたいと思います。


「日記を付ける」という行為は、さかのぼれば、小学生の頃からやっていたように思います。下級生の頃は特に、夏休みの宿題で、絵日記を書いた覚えがあります。小学校高学年になると、日記が宿題のひとつで、毎日先生に提出していました。先生の赤字のコメントをもらうのがとてもうれしかった記憶があります。年が分かってしまいますが、わたしが小学校高学年の時期は、『ベルサイユのばら』が流行り、一方で『ノストラダムスの大予言』が流行っていました。小学生のわたしは、日記にベルばらの絵を描いたり、ノストラダムスの話を書いたりしていました(最近は、宿題に日記が出ることはほとんどなくなったように感じます)
中学生になれば、友達と交換日記をしていたことも。高校生になれば、人に見せないでこっそりと恋の悩みや勉学の思いなど、日々の思いを綴ったこともあります。鍵のついた日記帳も流行りました。

一方で、「手帳」という視点から考えると、小学生のころは、「連絡帳」、中学時代では学校からもらった「学習の記録」かなと思います。「学習の記録」は、家庭学習の記録のようなもので、何時間、どんな家庭学習をしたかを書き、また1日の反省を書く欄もあって、学校に提出。担任から赤字でコメントをもらうのが楽しかったのを覚えています。
中学生の時期に、「スケジュール」を立てた記憶は、中間・期末テスト向けの学習の予定表。レポート用紙に、2週間前ぐらいから、学習スケジュールを立てていました。高校生になって、大学進学を考えるようになると、中間・期末だけでなく、入試に向けてのおおまかな予定をきちんと立てていく必要に迫られ、自分なりに予定表を作って日々を送っていたように思います。
ちょっとしたメモは、『生徒手帳』に。でも、これをあまり活用した記憶はありません(同じ高校の同級生の夫は、結構いろいろ書いていたようですが・・・)。若かったので記憶力があったのか、なんなのかちゃんとしたスケジュール手帳を持つこともなく、持たなくてもそんなに支障のない生活を送っていたようです。

そんなわたしが、本格的に1冊の「手帳」を使いだしたのは、大学生になってからです。親元を離れ、一人暮らしを始めたのが大きかったと思います。自分で自分のことはすべてやらなければならない状況になって初めて、自分の生活をコントロールするものが必要になったのだと思います。都会に出てきて、大きな文具店に行き、そこで外国のおしゃれな手帳を目にして、ちょっと背伸び。英国のletts社の1週間バーティカルを手にしたときのワクワク感は今もわたしの心の中に残っています。当時、大学生のわたしにはかなり高い買い物でした(今でも結構高いです)。大学時代は、講義の時間、アルバイトの時間、クラブの時間、友達との時間と、時間がとても大切。ダブルブッキングにしないために、自由な時間を捻出するために、このバーティカル見開き1週間はとても便利でした。1つ残念だったのは、この手帳、週末の欄が小さいのです。でも、大学生のわたしには、小さなバックにも入り、持ち運びやすく、書きやすい、さらにリッチ感のある十分な手帳でした。
わたしはこの手帳を大学4年間使い、さらに就職してから2年間ほど使いました。


十代の頃のみなさんは、どんな手帳や日記を使っておられたのでしょうか? 興味津々です。






コメント (6)
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