「日本のシンドラー」と言われた杉原千畝さん。
その映画が始まりました。
「杉原千畝(スギハラチウネ)」
わたしが、彼の名前を知ったのは1993年。
日本でではなく、イスラエルの地ででした。
教会の方々と3週間のツアーで聖地旅行をした折り、
エルサレムの「ホロコースト博物館(ヤド・バシェム)」を訪れました。
ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の歴史を
様々な写真や資料、オブジェなどで生々しく伝えるこの博物館。
↓「ヤド・バシェム」で購入した絵葉書


重苦しい気持ちで回っている最中、
一本の木に、
日本人の名前を見つけました。
場違いな感じを受けたので、よく覚えていました。
その人の名が「杉原千畝」さんでした。
彼は、第二次世界大戦の最中、
ビザを発給し、多くのユダヤ人の命を助けた功績で、
日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として
1985年、イスラエルから「ヤド・バシェム賞」を受賞。
同年、エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑の除幕式が執り行われました。
このことを機に少しずつ彼の名前は知られるようになったということですが、
一方で政府の訓命に反したことで「国族扱い」されるという悲劇もあったといいます。
そんな中、1986年(昭和61年)7月31日、86歳で亡くなりました。(←以上、ウイキペディアより)
わたしがその植樹を見た1993年当時、日本ではほとんど無名の人だったと思います。
『シンドラーのリスト』が1993年に公開され、
日本では1994年公開。
「シンドラーのような人が日本にもいる」ということで、
一般にも知られるようになり、
2000年になって当時の外務大臣・河野洋平によって公の名誉回復がようやくされたということでした。
さて、
この映画ですが、

ウィークディだったこともあって、
映画館には人がほとんどいない・・・。
『スギウラチウネ』も全部で6名。
その半数が我が家族ですから、ほとんど貸切状態でした。

今回の映画、
監督は、チェリン・グラックさん、
音楽は、佐藤直紀さん、
杉原千畝役は、唐沢寿明さん。
妻役は小雪さん。
唐沢さん、小雪さんともに
すごくうまい!
お二人ともいい俳優、女優さんですね。
英語での会話も多く、
東欧の美しい街並みも満載、
戦争中とはいえ外交官家庭の話でもあるので、
かなりハイソな雰囲気もあって、
ちょっと外国の映画を見ているような感じもあります。
一方、
行き場のないユダヤ人難民の姿が、あまりにもリアルで
今日の、ヨーロッパに流入しているシリア難民と重なって、
過去のことでない「現実感」を持ちました。
ソ連に侵攻され、祖国を失ったポーランド人で、
杉原の諜報活動の片腕だったペシュが、
空飛ぶ鳥をみて
「I wish I could fly.」
「鳥にさえ帰るところがあるのに、
自分には帰るところがない」と言った言葉が心に突き刺さりました。
国を追われ、家を捨て、故郷を捨てて
彷徨わなければならないという悲惨さ。
杉原さんの決断と勇気に心が熱くなるのと同時に、
世界の人々がすべて、自分の願って住んだ土地で、当たり前のように生活し、
そこで安心して死んでいける世の中の実現を心から強く願わずに入られませんでした。
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