手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

川泳ぎのむかし

2021-02-03 | むかし、むかし
(↑枯れススキに光が当たって美しい〜)



昨日のブログ記事で、

川泳ぎについて少し触れたことで、

いろいろ思い出しています。

今日はその話におつきあい頂けますか?


小学生の頃、

小学校にはプールはなく、

夏休みに入ると、

それぞれの地区で決まった川のスポットに泳ぎに行くようになってました。

学校からは(はっきりそうだったか記憶が薄れてますが)

タイヤのチューブを膨らましたような浮き輪(かなり大きいもの)が、

夏休み前の地区児童会で二つばかり配布され、

高学年はそれを家に持って帰ってました。

そして、水泳場所には

必ず保護者が代わり番こにそのチューブを持って

監視に来ていました。

大人が見ていないところでは泳いではダメというのは

結構きつく言われてたと思います。


毎日午後1時から3時の間。


わたし達は

家で水着に着替えて、

浮き輪や水中眼鏡を持って、

その川のスポットまでゴム草履で行き、

そこで時間内は泳いだり遊んだりしてたんですね。


川といっても、だいたい深いところで腰くらい、

浅いところは手をついてバタバタできるようなところ。

川の流れがありますから、

泳ぐにしてもそんなに広いスペースは必要なく、

同じ場所で水に逆らって泳いでたら、同じ位置でずっと泳ぎ続ける感じ。


でも、ただ泳ぐというよりは、

水遊びをしたり、

ちょっと川の中に入ったら、

上がって来て、熱々になった石の上に耳を被せ、

耳の中に入った水をとったり、

石を積み上げて遊んだり、

誰もいない方に石を投げて遊んだり、

当時も珍しかった「アカニコ」(いわゆる「アカザ」)を探したり、

いろいろやったなあ〜。


大きな魚を捕まえたり(石と石の間に手を突っ込んでる男子もいましたっけ)

中にはモリを持って来て魚をついてた男子もいました。



中学生になったら、

大人の監視のない、好きな場所に行って泳ぐことも。

足のつかない2,5メートル以上の深さのところにも行ってました。

グインと潜って、上がって来て、また潜る。


そこは横に大きな岩があって、

そこから大きくダイビングもしたり。

今考えるとかなり危険なこともしてたような。


何年か前、実家の方のニュースで、

その場所で地元の中学生が亡くなったと流れました。


当時も今も危険なところであることは変わりありません。


でもわたしが子供の頃は、

ある意味野蛮でしたね。


遊泳禁止場所なんてなかったし、

モリを持ってる男子も結構いたし・・・。


そう考えたら、このまんじゅう顔もたくましく育ったなあと思います。


中学生になり、

体育で水泳の授業が始まり、

生まれて初めてきちんと泳ぐという経験をしました。


わたしよりさらに昔の人たち、

特にわたしのようなど田舎の生まれの人は、

みんなこんな感じだったのでしょうね。


もっと前の話になりますが、

フジヤマのトビウオと言われた古橋廣之進さんも、

浜名湖で泳いでて、

その後学校の水泳部で頭角を現し、

オリンピック選手として活躍されたのですものね。



ちかこーんさんのブログ、

「山口統平法律事務所☆名古屋の弁護士と愉快な仲間たち」で、


豆炭や暖飯器の話を読んで、

超懐かしくなったまんじゅう顔。


今回の子供の頃の水泳の話もそうですけど、

昭和な時代のあれやこれやが

いろいろよみがえってきています。


まあ今思えばとっても不便だったけど、

あれはあれでいい時代でした・・・ネ。


↓昨日のお弁当〜。



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コメント (6)
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