手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

コロナ対応も国民性が出る?

2021-08-21 | 手帳・雑感
(↑「ど根性ひまわり」のラストワンの開花です)



中国がコロナに対する規制のために(あるニュースでは、二桁の感染者が出ただけということで)

フィギュアのGP大会を取りやめたというニュースが流れ、

その話題で一日が始まったまんじゅう顔家。


日本とは政治体制が全然違うことは理解しつつも、

「いやいや、中国のような体制じゃない国でも厳しくやってるところはやってる。

日本よりも人権意識の高い国でも厳しいことをやってる」、

「どうして日本は『ロックダウンはできない』とか言っちゃうのかね」という話になって。

「『できない、できない』って言ってないで、

できるように法律を整備したらいいだけじゃないの??」

「今に始まったことじゃないんだから、時間もあったのだから、

何か手を打つことができたんじゃないの??」


やっぱりそういう思いが湧き上がってきて、うずうずしちゃう。



「命の重さの感覚が違うんじゃない?」

「口には出さないけど、少々の犠牲は仕方がないって思ってるんじゃないの?」

「一人でも犠牲が出ないようにと考えれば、もう少しやりようがあったはず」


「なんとかなるって思うのかな」

「そんなにひどいことにならないだろうと思うから、何もしない??」

「『なんとかなる』って何かをする国と、日本のように『なんとかなる』って何もしない国と・・・」

「なんとかしようとして厳しく取り締まる国と、なんとかなるって思ってうやむやにしちゃう国と・・・」

「うん、うん」


「そして、どうしようもなくなったら、基準を引き下げて、なかったかのようにする・・・」

「あ、それ、日本の今の現実!」

と、皆で納得!


実際、こんな状況下で、

現在2類感染症である新型コロナを、季節性インフルエンザと同等の5類感染症にダウングレードしようとしていたり、

緊急事態宣言の指標を見直そうとしたり・・・・。


何がなんだかわからないようにしちゃう??!


ニュースでも、

最近はヨーロッパの感染者数とかの話はあまり流れず、

自分から調べない限り、比較もしにくい状況。

ヨーロッパや北米、南米、インドなどがひどい状態の時にはどんどんその映像を流し、

日本はまだ大丈夫な印象を植え付けたかと思えば、

今は、落ち着いている?海外の感染者数を出さないことで、

比較できない状態にしている感じさえする。

実は日本って今、すごくひどい状態にあるのですよね。


国もきちんとしたデータに基づいて政策を決めてる感じがしない。

感情に訴えかけるようなアピールばかりを聞くので、

国民の方も、もうほぼほぼ聞く耳を持たなくなってる。


一方のわたしたち国民も、

テレビで流れる感染者数だけで一喜一憂し、

数が自分の基準で大丈夫だったら、できるだけ気にしないようにしてる。

そして正常化バイアスを働かせて、できるだけ普段の生活をしようとする。


見て見ぬ振り??

これって国民性??


いずれは「全てを水に流す」??


そして結局、誰も責任を取らない・・・。


これまで災害も疫病もそうやって乗り越えて来た??


災害の多い国だから、

自然にそういう自分の中での処理の仕方を身につけて来たのかもしれないけど、

今のような社会体制・政治体制でいくのだったら、

国を挙げて、もっと合理的な動き方をしていく必要があるのではと思います。


なんだかなあ〜〜。


コロナ禍のこの2年近く。

国のあり方、

住む社会の中での自分のあり方を、

これほどまで考えさせられる時期はなかったかなと思います。


そういうわたしも、

最後に人任せのようなまとめになっちゃうけど、

ポストコロナの時代、

若い人たちがこの不条理な経験を糧として、

自分たちの性(サガ)と戦いながら、

新しい日本のあり方を模索し、

力強く立ち上がって行ってくれることを願います。



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コメント (6)
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