すぐにも悦子に会いたい気持ちは強かったが、新春号向けの依頼を抱え込んで徹夜に近い作業が続いた。
それでも仕事に追われる日々は、苦しさの中にえもいわれぬ悦びがあった。
仲間や先輩が傍に居る生活は、気詰まりな反面なんでも相談できる安心感があった。
しかし、あれもこれもの欲張りは長続きせず、世話になった『霧プロダクション』のアシスタントを辞め、西巣鴨の木造アパートに自分の仕事場を持つことになった。
雄太としては、いったん霧プロから離れても、関係を切るつもりはなかった。
ただ、昨日まで一緒に働いていた仲間の中には、雄太の出世をやっかんで出入りを邪魔しようとする者もいた。
そうした神経の張り方は、双方とも疲れるものだ。
霧プロの御大は気にするなと言ってくれたが、なんとなく足が遠退いた。
結局、気持ちはどうであれ、形は雄太の独立ということになった。
一抹の不安を抱きながら一本立ちする決断は、雄太の生き方を大きく変える結果となった。
11月開催のCan-Am(ワールドチャレンジカップ富士200マイルレース)を取材して、雄太は単発の作品を描いた。
当初、2000GT用のエンジンと聞かされていたトヨタのマシーンは、3リッターV8エンジンで参加することになった。<トヨタ7>としての参戦である。
このときのバトルでは、7リッタービッグ2座席レーシングカーの外国勢と激しく渡り合ってチーム四位に入賞した。
ドライバー福澤幸雄は、日本人トップの成績だった。
当然、スポットライトが当たるのは<サチオ>である。
排気量の少ないマシーンを駆って、快挙と称えられる健闘をしたのだから当然である。
雄太は、トヨタのエース<サチオ>を中心に、ドキュメンタリー・タッチの画面構成を採った。
雄太の描くプロトタイプカー<トヨタ7>の活躍は、まだ一般的でなかった自動車レースを若者の中に幅広く認知させた。
発展途上の技術開発期におけるサーキット・レースの面白さを、ドライバーの駆け引きを交えて存分に引き出したつもりだった。
マニアックなマンガではあったが、依頼してきた版元は満足したようだ。
この後も、福澤幸雄の活躍を追いながら、日ごとに進化するレーシングカーを目玉にした企画を雄太に持ちかけていた。
新春号の注文に見通しがついたのを機に、雄太はシャレードに電話をしてみた。
「あらー、洞口さん久しぶり・・・・。元気にしてる?」
ママとひとしきり互いの近況を話し合ったが、雄太のマンガ界での活躍をまったく知らない様子で、そのことには最後まで触れることがなかった。
(そうか、そんなものか・・・・)
がっかりする反面、社会に占める漫画の現状を思い知らされた。
「ところで、エッちゃんは?」
いつもなら、ママのほうから電話を替わろうとするのに、この日は妙に逡巡する様子が窺えた。
「彼女、居ないんですか」
「・・・・いま、入院中なの」
どうやら膵臓を傷めて、市内の病院に入っているらしかった。
「ひどいんですか」
「そうねえ、通院でもいいといわれているんだけど、念のために点滴を受けているの。お料理がダメになってわたしも困っているのよ。特に油ものは見るのも厭らしいから・・・・」
アルコールに付き合うようになった結果なのか。まる四年以上会うことがなかったから、悦子の動向は知る由もなかった。
なるべく早い時期に見舞いに行くこと告げて電話を切った。
電話ボックスを出た途端に、雪まじりの風が吹き付けてきた。
年明け早々、雄太は土浦市民病院に悦子を見舞った。
かつて、谷田部のテスト・コース造りに勤しんでいたころ、土木建築会社の赤羽をときどき送っていった場所だった。
淋病にかかったとぼやきながらも、怒ることなく病院通いをしていた姿が目に浮かんでくる。
セイタカアワダチソウをなぎ倒したランドクルーザーの車体が記憶する、もう一つの思い出だった。
赤羽がもらった男の勲章を脳裏に甦らせながら、雄太は悦子から真心という勲章をもらったのだとあらためて思った。
突然姿を消した雄太を非難することなく、遠慮がちに身を引いた。
悦子の生い立ちを聞いて以来、勝手に思い込んだ薄幸物語の気もないわけではないが、心底雄太の成功を祈ってくれた女の真心を、生きる支えとしてきたことも事実だった。
コーラのルート販売員、設計事務所の現地運転手、新聞配達員、自動車修理工、そして漫画のアシスタント。・・・・浮き草のように住所の定まらない生活のもとで、悦子と知り合ってからの数年はなぜか希望のようなものを感じることができた。
霧プロの仲間たちは、有名マンガ家、売れっ子劇画家の妻や噂の女性を取り上げては、アゲマンだ、サゲマンだと勝手に評価を下し笑い合ったたものだが、雄太のこころの深層には悦子の存在が幸運をもたらすアゲマンとして生き延びていたのだった。
雄太が三階にある病室を訪れると、悦子はオレンジ色のパジャマ姿でベッドに横たわっていた。
昼寝の時間に合わせて点滴を受けた後らしく、ベッドの傍らに輸液を吊るす支持器具が置かれたままになっていた。
「エッちゃん・・・・」
目を閉じた悦子の顔を見下ろしながら、雄太はそっと声を掛けた。
胸の上に組まれていた手が、かすかに動いた。
「ああ」
悦子の目蓋があいて、雄太を見た。「・・・・ほんとに来てくれたの?」
ママから今日来ると聞いていたのか、それとも雄太が神山と喧嘩して職場放棄した四年前、いまは行けないがいつか必ず迎えに行くと告げた約束のことを言っているのか、夢のあとのタメ息に似て、にわかには判断のつかない曖昧さを言葉に含ませていた。
どちらにせよ、悦子はうれしそうな笑みを浮かべた。
雄太には、悦子に与えられるわずかな喜びの証として、彼女の笑顔がうれしかった。
「だいじょうぶ?」
雄太は悦子の手をとった。
働き続けていた手は、白くも、華奢でもなかったが、雄太の手の中でトクトクと脈打っていた。
「今日はエッちゃんを迎えに来たんだ。こんな病気すぐに治るから、そしたら俺のところへ来てくれるよね?」
空白の時間が徐々に縮まり、体を重ねた昔の温もりが掌を通してよみがえってきた。
「だって、わたし、すごい年上よ。それに、慢性膵炎なんて厄介な病気になってしまって・・・・」
以前から何度も耳にした、弱気の呟きだった。
「そうじゃないんだ。オレ、東京へ出てやっと自分の生活を持てたけど、これからはどうしてもエッちゃんが必要なんだ。・・・・頼むから俺のそばに居てくれないか」
雄太は持参したマンガ雑誌の数々を見せて、谷田部テスト・コースの仕事から遁走した後の生活と、勝ち取った幸運を悦子に話して聞かせた。
「よかったわねえ、ほんとにうれしい」
悦子の開いたままの目尻から、涙がこぼれ落ちた。
雄太の成功を、真に喜んでくれたのだ。
ただ、雄太のプロポーズをどのように受け止めたのか、すぐに承諾することはなかった。
(なんで、後ずさりするんだ・・・・)
不満はあったが、悦子の健康が回復し次第、とにかく一度上京するとの返事を得たことで満足するしかなかった。
雄太が仕事場に戻った一ヵ月後に、呆然とする出来事が起こった。
忘れもしない1969年2月12日、福澤幸雄が静岡県袋井市にあるヤマハ・テストコースで<トヨタ7>のテスト走行中に事故を起こし、帰らぬ人となったのだ。
享年25歳の若さであった。
ワイドショー出演中の小川知子の号泣で、福澤幸雄の名は日本全国に知られることとなった。
同時に、事故を起こしたトヨタのテスト車両が、公表されたものとは異なる<チーム6>によるクローズドタイプの新開発車ではないかとの噂が流れ、事故原因をめぐってさまざまの憶測が囁かれた。
きな臭い成り行きを見て、サチオを中心にしたマンガの企画は取り消された。
福澤幸雄が登場しないビッグイベントでは、彼の人気に便乗した漫画のサーキットものはとりあえず撤退するしかなかった。
洞口マンガの中核を担う作品、バイクで乗り込む『港町シリーズ』は、漫画トロピカルの柱としてますます人気を高めていた。
海に面する漁師町には、それぞれ大小の港があり、太平洋岸と日本海側では気候も産物も人情も違っている。
港に付きものの歓楽街も、神戸、佐世保、下関、函館、釜石、焼津と派手に描いた一方、小名浜、銚子、大洗、根室、牛窓、輪島など、倖薄い女性を登場させて感傷一途のストーリーを練り上げていった。
読者に飽きられない限り、三十話でも四十話でも続ける自信があった。
ただ、話の筋がパターン化する惧れがあり、その日のために別のウリを持っておく必要があった。
その点、雄太には画の細部におけるリアルさという長所が備わっていた。
それは日頃から興味を持っていた機械的な仕組みに対する観察によるもので、誰かが急に獲得しようとしても身につかない類のものだった。
オートバイやレーシングカーに限定するものではなく、歴史的建造物や各地の風俗、行事、はては競馬、競輪、競艇まで力を発揮できる下地ができていた。
それもこれも、霧プロで磨いたデッサン力の成果と考えている。
ひいては、そこまで導いてくれた東考社の桜井昌一や青林堂の長井社長のお蔭と思っている。
感謝すべき人は外にもたくさん居るが、池袋東口の喫茶店のオヤジは彼にとって特別の存在といえた。
「オヤジさん、おかげさまでオレ漫画家になれました・・・・」
いつの日か、そんな報告ができたらと夢想してから、数年の歳月が過ぎている。
その前に成し遂げなければならないのは、悦子を東京に呼び寄せることだった。
入院加療で、腹部の鈍痛や背中に走る痛みが消えたと聞いている。
あとはアルコールを断ち、食事に気をつけることだ。
糖尿病などの合併症を引き起こさないように、疲れすぎないことを電話で求めた。
幸運なのは、シャレードのママが悦子の遠い親戚に当たることだった。
スナックという職業柄、客が混んでくればオツマミ担当の悦子にもサービスが要求されるし、アルコールの強要もあるだろう。
退院以来、ママは悦子をカウンターに出さず、昼間のうちにすべて作り置きさせる手段をとっていた。
半年が過ぎて、シャレードのママから約束の電話が来た。
「エッちゃん、もう大丈夫よ」
「ありがとうございます」
雄太は無理やり時間を作って、土浦へ出向いた。
夕方、シャレードに顔を出すと、ママが笑顔で邪険な言葉を放った。
「もう、こっちは忙しいんだから、さっさとどこかへ消えてよ。洞口さん、ほかのお客さんが来る前に、エッちゃん攫ってしまいなさい」
時間がかかったが、ママの筋書き通りの結末になりそうだった。
悦子の入院の間も、雄太を信頼し、気後れしがちなエッちゃんを励ましてくれた。
その夜、雄太は悦子をともなって湖畔のホテルに投宿した。
梅雨晴れ間の蒸し暑い気温の中、汗ばむ営みが二度三度続いた。
「エッちゃん、オレと結婚してくれ」
身を清め窓辺に佇んだ浴衣姿の悦子を、雄太は背後から向き直らせた。
照れくさくて遠まわしにしか言ったことのない言葉を、悦子の目の中に注ぎ込む勢いで口にした。
「はい。・・・・でも、結婚したら、わたしを捨てないでね」
彼女の逡巡してきた理由の一つが、図らずも見えてきた。
おのれの弱点を内向きに捉える性向から、行きずりの出会いなら諦めることもできるが、結婚という心の儀式を通過した後では、相手に去られることは耐え難いのだろう。
「・・・・雄太さん、わたしの慰謝料はものすごく高いわよ。覚悟してね」
「ばか、オレにとって一番大事なものを手放すはずがないだろう?」
明け方まで、二人の睦言は続いた。
朝八時、湖面を渡る小型漁船のエンジン音で眠りを破られた。
冬の名物詩ワカサギ漁の帆船は疾うに姿を消していたが、活発な活動を始めたウナギやコイを狙う船かも知れなかった。
疲れるなと言い聞かせながら、悦子を揉みくちゃにした昨夜の行為が恥ずかしかった。
西巣鴨の狭いアパートでは、夫婦の生活は成り立たない。早々にバストイレつきの部屋を見つけて、引越しをしなければと思った。
雄太にとって何度目の転居か数えたこともないが、いままでの浮き草人生と違って、悦子と一緒なら湖底まで根を下ろすことができそうだった。
雄太はふと、昨年冬からガロに連載が始まった滝田ゆうの変わったマンガ『寺島町奇譚』を思い出していた。
震えるような線描と、吹き出しの中の<電球>や<トンカチ>による心理表現。色街の女給と子供、市井の庶民を訥々と描く斬新な手法に、いつの間にか驚きを蓄積されていたようだった。
(マンガって不思議な代物だなあ)
小島剛夕の秀麗な女にあこがれ、白土三平の長大な物語に圧倒された。
つげ義春や水木しげるの変化には、何度も驚かされた。
辰巳ヨシヒロ、佐藤まさあき、さいとうたかを、旭丘光志などの劇画には、雄太自身直接的とも思える影響を受けている。
川崎のぼる、赤塚不二夫、藤子不二雄、石森章太郎・・・・。その他分類しきれないマンガ湧出のさなかに、滝田ゆうや林静一が登場してくる。
奔放と見えて限界の感じられる文学表現に比べ、雄太が身を置くマンガ世界の多様さは桁ちがいに思えた。
取り上げる事件や風俗で驚かせるのではない。
ささやかな出来事を描きながら、見つめる目、表現される感性の新しさで時代を超えるのだ。
ガロだけでなく月刊小説誌の巻頭をも飾った滝田ゆうの作品に、雄太は並み居る小説家をあっさり飛び越えたヒーローの誕生を感じとっていた。
(これからは、日々の生活が主役になるのかも・・・・)
悦子の寝顔を見つめながら、地に足の着いた、日常の、しかも味噌汁の匂いがする風景を心にメモして置こうと考えていた。
泡沫のように世の流れに浮き沈みしながらも徐々に自らの意志で泳ぎ渡るたくましさを身につけた雄太が、ついに流れを斜めに遡って好きな女を迎えに行く。
いいですね。
小なりといえども、人が想いのたけを籠めて行動を起こす瞬間は、やはり読んでいて気持ちが躍りますね。
この後どうなるのかわかりませんが、「浮世」という言葉が読むもののうちに浮かんできます。
一読者としてラストシーンを想像しながら次回を楽しみにしています。
知恵熱おやじ