どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の連載小説『折れたブレード』(6)

2023-11-14 00:41:51 | 連載小説

     (ミクロの空気砲)

 

 その晩、伊能正孝は松江市内の温泉街に宿を取り、ホテルの一室でこんがらがっている現在の状況を分析した。

 まず明らかにしなければならないのは、艶子の死因である。

 弥山の山中で発見された艶子の遺体は、当初、服薬自殺と思われていたのだが、現場周辺の状況から警察も違和感を抱いたらしい。

 そして、自殺と事件の両面から捜査を進めた。

 司法解剖に回したのは、そのあたりの事情を反映してのことだろう。

 警察は、詳細な所見を発表していないが、遺体をすでに家族に返していることから、何かを突き止めた可能性がある。

 疲れきった表情の母親の様子から、よからぬ結果を告げられたのではないかとの疑いも頭を掠めた。

 翌日、正孝は出雲駅に近い所轄署をめざした。

 窓口カウンターで刑事課の山根に面会を求めると、いま会議中なので終わり次第伝えておくという返事だった。

「分かりました。それでは、あそこのベンチでお待ちしています」

 正孝は、後ろにある長椅子の方を振り返った。

 制服を着用した女性警官は、もう一度正孝の顔に視線を当て、後方の出口へ向かった。

 前にも山根と面談していることを覚えていて、無下には断れないと判断したのだろう。

 (電話じゃ、こうはいくまい・・・・)彼の率直な実感である。

 山根がいくら親切でも、捜査内容を電話で漏らすなどということは考えられない。

 やはり、思い切って押しかけてこその成果なのだ。

 しばらく待っていると、会議が終わったらしく山根がカウンターの横から正孝に近づいてきた。

「あまり時間を取れませんが・・・・」

 忙しいのだが、どんな用事かという表情で、正孝に問いかけた。

「いや、昨日、福田さんの葬儀に参列したのですが、それで、もう死因がわかったのではないかと思いまして」

「ああ、そのことでしたら、すでに新聞報道されてますよ。薫風社さんは会見場に居られなかったんですか」

 皮肉ではなく、山根としては普通に対応をしているといった口調だった。

「そうですか。それは存じませんでした。すぐに新聞を読んでみます」

「そうしてください。・・・・では」

 山根は軽く会釈して、通路を戻っていった。

 もう少し他のことも聞いてみたかったが、忙しい身で正孝に付き合ってくれたことに満足して、後ろ姿を見送った。

 (また会うことになるんだ。今日はここまでにしておこう)

 まずは、今朝の朝刊を買いに、駅売店に向かって歩き始めた。

 

 キヨスクには、全国紙とともに、スポーツ新聞と島根日日新聞が置かれていた。

 正孝は、全国紙とスポーツ紙をそれぞれ1紙ずつ選び出し、地域新聞と合わせて3紙を買い求め、近くの喫茶店に入った。

 まず、全国紙を終面からめくり、地方版に目当ての記事があるのを見つけた。

 そこには、殺人を匂わせる艶子の検死結果が報じられていた。

 警察発表によると、艶子が服用したと思われる睡眠剤は致死量に達しておらず、腕に注射の痕があったことから何らかの薬物投与が疑われた。

 しかし、詳細な分析により、血中にあったのは微量のカリウムだけで、劇薬物の反応は見られなかった。

 ただ、死因と推定される心臓発作が、どのような経緯で起こったのかは断定できていないと結んであった。

 心臓発作・・・・と知って、正孝は胸騒ぎを覚えた。

 汚職等の渦中にある政治家や業者が、不整脈で突然死するということがあるからだ。

 彼の耳にも、そうした噂が届いたことは何度かある。

 真偽はともかく、背後に深い闇を感じ、思わず周囲を見回したこともあった。

 もっとも、噂があっても事件として立証されたケースはほとんどない。

 人の噂も七十五日。世間はいつしか事件を忘れ、それにまつわる疑惑も忘れ去っていくのである。

 ところが、今回は艶子の身に似たようなことが起こったらしい。

 まさかとは思うが、新聞にはそのように報じられている。

 政治家でも大物でもない若い女が、謎めいた手段で死に導かれたとすれば、どのように受け止めていいのか。

 淡々とした記事の裏に、直接取材した記者の戸惑いのようなものが感じられて、正孝はコーヒーが冷めるのも忘れて活字を凝視した。

 

 一方、スポーツ新聞は、事件の真相にはかかわりなく、興味本位の取り上げ方をしていた。

 『美女を死に追いやった/ミクロの空気砲?』・・・・タイトルは二段組みになっていた。

 所轄署の発表を受けて、死因が心臓発作であったことを明らかにした上で、福田艶子の遺体に残されていた注射痕に焦点を当てていた。

 そして、囲み記事のかたちで過去の類似事件を紹介し、艶子変死事件との比較をまとめていた。

 <その一つが、2006年2月に容疑者が逮捕された、千葉県横芝町の中国人女性によるインスリン殺人未遂事件である。>

 21歳も年上の息子と結婚した中国人女性を、財産目当てではないかと疑っていた両親が、トラブルの末に火事に遭って死亡した。

 捜査を進めると、父親は絞殺、母親は撲殺されたもので、死因を隠すための放火と判定された。

 当然、中国人女性に疑惑の目が向けられたが、立件できずに迷宮入りとなった。

 その後、子供をめぐる口論などがあり、中国人妻に沸騰したしょうが湯をかけられた夫は入院することになる。

 中国人女性は、その間に知り合った男性に「死因の分からない薬が欲しい」と持ちかけ、インスリンを分けてもらった。

 やがて、退院して来たばかりの夫を睡眠薬で眠らせ、通常の10倍に当たる大量のインスリンを注射して殺害を図った。

 夫は意識不明に陥り、植物人間となった。その後一度も意識を取り戻すことなく、5年後に死亡した。

 中国人女性は逮捕され服役中だが、夫の両親の殺害放火事件に関しては、あくまでも夫の犯行だったという手記を発表している。

 <もうひとつの衝撃的な事件は、平成14年8月に発覚した福岡4人組保険金連続殺害事件である。>

 事件を主導したのは、金銭に異常な執着を持つ一人のベテラン看護婦であった。

 この女は、看護婦仲間3人を巧みな嘘と心理的脅迫で犯行に引き込み、ついにはそのうち2人の夫を殺害して生命保険金を奪ったのである。

 その殺害の際に用いた手段が、エア注射と言われるものであった。

 看護婦である彼女らは、それぞれの被害者である夫をアルコールや睡眠薬で眠らせた上、カリウムと空気を静脈内に注射して心臓疾患による死亡を装った。 

 事実、いずれのケースも病死と診断され、看護婦たちはまんまと保険金を手にした。

 スポーツ紙の見出しにあった『ミクロの空気砲』とは、エア注射の比喩だったのか。

 詳細はわからないが、記事によれば10回ほど空気を送り込んだところで絶命したという。

 心臓発作、不整脈、心臓疾患と、表現は多少異なるがいずれも病死と判定され、殺人を疑われることはなかった。

 考えてみれば、実に恐ろしい方法がじわじわと広がり始めているのであった。

 興味本位と見えたスポーツ紙の記事が、図らずも事件の本質を示唆していたことに興奮を覚えるのだった。

 

 正孝は、冷めたコーヒーをごくりと飲んだ。

 腕の注射痕を見落とすか、見つけたとしても深く疑問を持たなければ、艶子は服毒自殺と結論づけられた懼れがある。

 法医学的に、エア注射による死や、インスリン投与による死を証明することができるかどうかわからないが、状況証拠を積み重ねることで犯人に迫れるかもしれない。

 こうなれば、山根たちの地道な捜査が事件解明の鍵となるだろう。

 例えば、弥山周辺での目撃証言や防犯カメラの映像、松江から出雲への移動手段の特定。

 タクシー利用であればタクシー会社、乗用車使用であれば近くの駐車場に不審車両がなかったどうかを突き止めなければならない。

 その他、艶子と最後に接触したと思われる男の存在も有力な手がかりだ。

 市民会館のチラシに載っていた、手妻師の写真に似た若い男のことである。

 艶子の母親の記憶が確かなら、艶子は家の近くで呼び出された可能性がある。

 一方、正孝の薫風社を巻き込んだ風力発電機をめぐる詐欺事件も気になっている。

 官民プロジェクトを舞台に、小型風力発電機の製造会社が、堂島と名乗る人物に多額の参加費を詐取された。

 福田艶子は、正孝の目を盗んで、詐欺の片棒を担いでいたのだろうか。

 また、艶子の家系に流れる血のざわつきにも、無関心ではいられない。

 これらの中から一つでも明らかになれば、犯人像が浮かび上がってくる可能性がある。

 所轄署の捜査に期待を寄せつつも、迷宮入りの懼れが充分に考えられるだけに、正孝は自ら探偵になったような気分で眉間に皺を寄せるのだった。

 

     (つづく)

 

(2016/03/06より再掲)

  

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