(身の周りの秋)
運動公園
紅葉の季節になると、つい遠くの山々に意識が向く。
今年も軽井沢から、草津、白根、万座をめぐってきたが、あれから半月が過ぎやっと平地の都会にも晩秋の気配が忍び寄ってきた。
家に近い運動公園の行きかえり、日増しに色づきを増す木々のたたずまいにふと目を奪われた。
芝生の上には、一面に落葉が散り敷き、人気のないベンチがなんとも寂しげに見えたのだ。
架空の恋物語でも想像しながら、シャンソンの一節を口ずさみたくなるロケーションではないか。
築山
日が傾くほどの時刻とも思わなかったが、芝生の南側にこんもりと盛り上がる築山に、西からの樹の影が川のように伸びている。
頂上近くにたどり着こうとしているのは大人のように見えるが、実は二人の子供が重なってこのような画像となったものである。
登りついて見下ろす街の風景は、子供たちの記憶にどのような形で残るのだろうか。
自分の原風景を思い起こしながら、一日中恵みを与えてくれた青空を見上げた。
干し柿
帰り道で、頭上に妙な圧迫感を覚えてその方向を見上げた。
丸い物がいくつも並んでいて、一瞬電線をつなぐ碍子かと錯覚した。
しかし、ただならぬ配列からよく目を凝らすと、渋柿をむいて吊るした干し柿のようだ。
山村の秋、藁屋根の軒先に簾のごとくぶら下がる吊るし柿は馴染みのものだが、都会のしゃれた二階建てアパートの屋根近くに括りつけられた干し柿には度肝を抜かれた。
見上げた角度から、金属製の物干しと電話の引込み線が一体のものに見えて、余計に異様な感じがしたという事情はあったが・・・・。
エンゼル・トランペット
さらに進むと、表通りの邸宅の塀沿いに、ひときわ目を引く黄色の花が20個以上ぶら下がっている。
近年にわかに見かけるようになったのは、豆腐屋のラッパのような形状に惹かれて、栽培してみたくなるからだろう。
いい匂いを発するということだが、根っこには毒があるそうだから、なかなか一筋縄ではいかない植物だ。
二つ並べたのは、下から見上げたのと、ちょっと離れて花の順列を眺めたのとだ。
いずれも、エンゼル・トランペットの名にふさわしい都会の秋を、辺りにとどめては居まいか。
道祖神
いよいよ家まで10分。
小さな秋、小さな秋、み~つけた・・・・なんて満足にひたっていたら、足もとから声がする。
(帰り着くまで、気をゆるめるなよ)
いつも子供たちを見守っている道祖神の声のようだ。
「は、はい」
思わず身ずまいを正して、頭を下げる。
自分では十分生きてきたつもりでも、何十年、何百年世の中を見つづけてきた市井の神様からすれば、おぼつかない小僧っこに見えたのだろう。
「ありがとうございます」
この神を敷地の端に囲い守ってきた住人の方にも、素直に感謝の気持ちが湧いてきたのだった。
(おわり)
そのうち3点、ほくそ笑んだのがありました。
ひとつは深大寺近くの築山。
あれは確か、その下、または内部が水泳プールじゃないでしょうか。
ずっと以前、そこで泳いだ記憶があります。
エンゼル・トランペットも気になります。
家の近所でも、よく見かけ、その異様な花の形に惹かれてますが、名前はトランペットまでは思いだせます。
その頭にエンゼルが付くなんて素敵な命名ですね。食べることは出来るのでしょうか?
道祖神の捉え方がまた、良いですね。
その昔も、今も、未来も、こうしてひっそりと佇んでいるんだと思うと、尊敬と愛着の心が湧いていきます。
ご近所のぶらぶら歩きも、なんとなくドラマチックですね。
たしかに築山の左側に建物があり、冬でも温水プールで泳ぐことができます。
あらためて行動範囲の広さに驚きました。
また、エンゼル・トランペットは、各地に各地に広まっているんですね。
たぶん食用には向かないんじゃないかと思いますが・・・・。