不知火の町
一度はお母さまに会っておきたいという久美の希望で、五月の連休を利用して八代に帰郷することになった。
東京駅を朝の九時前に出て、八代に着いたのは午後五時近かった。
新幹線と特急で熊本へ。在来線に乗り換えて八代まで、ほぼ八時間をかけての長旅は、慣れているはずの吉村の方が音を上げそうになった。
「久美さん、疲れなかった?」
「岡山から先は来たことがないから、楽しかったわよ」
新大阪を出てから買った車内販売の弁当を、二人であれこれ批評しながら食べたのも楽しかったと吉村を見上げた。
この日の久美は、萌黄色のワンピースに白いリングのベルトでアクセントをつけていた。オレンジ系のニットのボレロが若々しい印象を与えている。この日のために新調した気配が、足先まで漲っていた。
「おふくろは迎えに来たいと言ったんだけど、到着時刻がはっきりしないんで止めさせたんスよ」
八代駅のホームに降り立って、まず言い訳をした。
迎えのことより、これから向かう生家の様子をおもって、つい口に出た言葉だった。
一向に変わっていない駅構内のたたずまいが、暗い記憶を呼び覚ましたということもある。ふっきれたつもりが、何年かぶりの郷里の空や草木の色に接して、なおも晴れ晴れとしない気分が甦るのを諦めの思いで見守った。
この駅は、ここまでに通過してきた賑やかな乗り継ぎ駅に比べ、屋根も支柱も錆の目立つ地味なローカル駅のままだった。少年時代に先生に連れられて、近隣の史跡や歴史資料館を訪れたときの出発点そのままだった。
九州を出て東京に居所を定め、久しぶりに戻ってきて目にしたのは、塗料がひび割れたホームのベンチと鳩の糞だった。頭上の梁に二羽が肩を寄せ合っている。吉村はそれとなく久美の方に身を寄せて、鳩の位置を迂回した。
「川内あたりの方が有名だもんね」
通過してきた街の名を呟いて改札口を出た。
預かった久美の小ぶりのスーツケースと東京土産の人形焼の手提げ袋を、ぶつからないように斜めに通過させた。
「あら、もう夏祭りのポスターが出てるわ。ずいぶん勇壮な格好ね。洋三さんも子供のころ山車とか引いたんでしょう?」
駅舎の壁の一郭に『八代くま川祭り』のポスターが掲げてある。山車を引く子どもたちに混じってふんどし一本の男の後ろ姿が写っている。久美が勇壮と言ったのはこのことだろう。父に連れられて何度も見に行った幼い日の記憶が、いっぺんに押し寄せてきた。
「ああ、親父とけっこう行ったかも・・・・」
ラムネを飲んだりヨーヨー釣りをしたり、楽しい思い出もたくさんある。水あめや生姜菓子を買ってもらった悦びも昨日のことのように想いだされる。
とりわけ仮面ライダーのプラスチックの面を買ってもらったときの嬉しさは、いまも熾きのように記憶の灰に埋まっている。掻き除けてみれば、埋もれ火が風に触れて赤々と輝くはずだ。
熾きはやがて金色に透き通る。よろこびの色はそのまま悲しみの色となって吉村の目裏に留まった。
「不知火ってなに?」
久美がポスターを見ながら問いかけた。視線の先に<不知火海>の文字が躍っている。八代を特徴づける惹句として使われているようだ。久美にかぎらず誰もが興味を引かれるフレーズに違いなかった。
「よくわからんけど、お盆のころに現れる蜃気楼のようなものらしいっスよ」
「洋三さんは見たことあるの?」
「うん、水平線に得体の知れない明かりがポッポッと浮かぶのを見たことがあるよ。・・・・あれは夏休みに同級生の家へ泊まった日のことだったと思うな。堤防で夜遅くまで花火をしていて、終わってふっと顔を上げたときに気付いたんだ。シラヌイという名前だけは知っていたけど、見たのは初めて・・・・。見ても結局よく判らなかったな。友達がそういうから見たと思っているだけで、永久に知らぬ火なのかもしれないっスね」
「素敵・・・・」
久美の腕が、吉村の腕に絡んできた。「神秘的な話って、わたし好き」
「西方に現れるんで、年寄りはお迎えを意識するらしいっスよ。子どもの頃おばあちゃんから聞いた話だけど・・・・」
「お盆のころだと、余計そんな風に感じるのかも。去年おばあちゃまが亡くなったときも、黒子の担ぐ駕籠が紋屋の裏木戸に待っているというんで、ドキッとしたものよ」
「そうだったんですか。思い出させてしまったね・・・・」
「いいのよ。素敵なお話ありがとう」
久美は再び腕に力を籠めた。
駅前でタクシーを拾った。二台ほどで互いに窓を開けてしゃべりあっている運転手を、ガラス窓を叩いて振り向かせた。
「すみません、通町から塩屋八幡宮方面お願いします」
「はいよ」
返事はいいが、視線は久美に向けられたままだ。好色な目玉が残照に似た色を映しててらてらと揺れた。
「八代港まで行って戻ると何分ぐらいかかりますか」
吉村はいかにも遠距離を稼げる客を装って運転手の気を引いた。
行き先は実家と決まっているのだが、より遠い場所を意識させることで、不埒な運転手に活を入れてやろうと考えたのだ。
「お客さん、遠くからお出でなすったか。一時間で城跡や松浜軒ちゃあ名所ば廻るコースがあるけん、利用してみんですか。奥さんみたいにきれいなカキツバタも咲いとりますけん」
懲りない奴である。走り出してからもなお料金を安くするからコースに切り替えろとしつこく勧めてきた。
話に乗ってこないと見極めると、やっと外港まで行って帰る所要時間を口にした。
「そんなにかかりますか。・・・・しばらくすると日も暮れそうだから、そっちは明日にしときます」
運転手を軽くいなして、塩屋八幡宮のそばでタクシーを降りた。
そこから吉村の実家まではわずかな距離である。歩いて数分のところに古びた二階家が軒を連ねていた。
「ただいま。かあさんいる?」
店舗兼住宅の建物には、一階部分の入口に昔と変わらぬ吉村米穀店の看板が掲げてある。ガラス戸越しに精米機のサイロが覗けていて、兄が順調に仕事を続けている様子が見て取れた。
「ただいま・・・・」
二度目の大声を遮るように、奥から人が転げ出てきた。割烹着姿の母親だった。
「はいはい、いまお着きか。迎えにも出んで悪かったなあ」
母親の視線は、吉村を通り越して背後の久美に向けられている。「・・・・まあまあ、遠いところをよくお出でなはった。お疲れでっしゃろう。はよお入り、お入り」
一階の茶の間に通された。
あらためて挨拶を交わす久美と母の姿を見つめながら、瞬く間にこころを通じ合わせたふたりの声音を聞くことができた。
「そろそろ来よるころば思って、ポテトサラダ作っとったい。洋三は子供のころから唐芋ば嫌ろうて馬鈴薯ばかり好みよったばいねえ。・・・・刺身やら、天ぷらやらこれからじゃけん、もうちっと待ってや」
八女茶の甘い香りを置いて、母は台所に立とうとした。
「あっ、お母さま、わたしもお手伝いします・・・・」
「まあ、うれしかこつ言いなはる。ばってん今日はおとなしかしといて善かよ」
母は、立ち上がった久美を眺めて目を細めた。「美しかねえ、ドレスばよう似合っとるたい」
夕食の準備はもうあとわずかということで、久美は母のことばに素直に従った。
茶の間と台所と居場所は離れていても、あれこれ女同士の会話は続いていた。
吉村は気が合ったらしいふたりをそのままに、二階の階段を登った。海側にふたつ並んだ六畳間が、それぞれ兄と自分の部屋だった。手前の兄の部屋を通り越して、かつて自分の城だった部屋の襖を開けてみた。
先刻まで初夏の西日を受けていたであろう部屋から、むっとする暖気が流れ出てきた。畳表こそ焼けてはいたが、本箱や勉強机など懐かしい家具は昔のままになっていた。
母が用意したらしい寝具が、部屋の隅に二組積み上げてある。今夜は久美と共にここで休むのかと思うと、照れくさい思いが先にたった。
窓をあけてみると、いつの間にか二階家が増えていて視界は狭められていた。球磨川の河口に続く八代海を、屋根の切れ目から垣間見ることはできたが、以前のように匂い立つ海の風景とは異なっているようにおもえた。
吉村が幼かった時期、父に拒絶の意志を示して母はいったん家を出て行った。その母を涙にかすむ目で見送ったのは、たしかこの部屋のはずだ。海まで続く道をうねうねと曲がりながら、白いスクーターが夕闇に紛れていった。
(かあさん・・・・)
胸のなかで叫びながら、いつまでも見送ったのは本当のことだったのだろうか。階下で憮然と腕組みをしていた父の姿が甦ってくるのだから、壮絶なやり取りがあったことは間違いないはずだった。
落ち着き場所が決まったら、洋三を引き取りに来ると言い置いて出て行った事実も動かせないことだろう。
ただ、黄金色に染まった田んぼの稲を縫って白いスクーターが遠ざかって行ったあの日の光景は、いまこの場所に立ってみても夢か幻のようにおもわれるのだった。
蛇行する球磨川の堰から河口にかけての河岸に、吉村が見たような稲田はあったのだろうか。あるいは藺草のなびくイグサ田の眺めが、記憶の中で重なっていたのであろうか。干拓地の稲田とこじつけるには、彼の記憶がせつな過ぎた。
幼い脳が描いた悲しみの風景は、病院のベッドで点滴を受けていたときの鎮静剤のなせる幻影かもしれないと結論付けた。輸液に潜ませた薬物が、堪えた分の何倍もの悲嘆を連れてこみあげてきたのだ。
久しぶりの母親は、彼の予想以上に元気だった。まだまだ老け込む齢ではないとしても、長年生命保険の外務員として世間の風に曝されてきた鋭敏さが元気の素となっている。この分では、あと数年は現役を退く気はなさそうだった。
(それよりも、兄貴はどこへ行ったのだろう?)
吉村は階下に降りて、兄の所在を確かめた。
「ああ、お前と会えるのを楽しみにしとったばってん、米穀商組合の二泊三日の慰安旅行とかち合って、今朝早くバスで別府の方へ行きよった・・・・」
そうなのかとホッとすると同時に、電話で母に連絡したときには話題にのぼらなかったことから、ひょっとしたら兄が気を遣ったのかもしれないと疑いが残った。
吉村の兄は、まだ結婚をしていない。
今回帰郷するにあたって、もっとも気がかりだったのは兄のことだった。
立場を変えてみれば、弟の縁談が煮詰まりつつある現状は兄にとって居心地のいいものではないはずだ。祝福の気持ちの一方で、なかなか身を固められない自分を不甲斐なく思うところがあるのかもしれなかった。
母の手づくり料理にもてなされて、久美も大分寛いだ様子だった。浜の鮮魚店から直接届けてもらったというマグロやカツオの刺身も新鮮だったし、イサキの煮付けも舌の肥えた久美を喜ばせた。
タケノコとわかめの煮物、山菜の天ぷら、それにポテトサラダ・・・・。吉村の好きな食べ物の皿も、テーブルから溢れんばかりに並べられていた。
一昨年亡くなったおばあちゃまの話も出たし、八代訪問を機に調べたという久美の母親のことも口にした。
長い間死んだことになっている母親が、戸籍上は離婚し久美とは生き別れだったことがはっきりしたという。しかし、その後金沢で病没したらしいと父は言い、表情から嘘ではあるまいと彼女は判断したようだ。
「けじめを付けるつもりだったけど、結果的に嘘じゃないみたいなの。・・・・想像だけど、おばあちゃまの厳しさについていけなかったんじゃないかしら」
久美が吉村に自分の胸中を語ったのは、まだ先月のことだった。「・・・・おばあちゃまのこと大好きだけど、お母さんを追い詰めたところもあるんじゃないかと思うと辛くなるのよ」
複雑な心境を吐露されて、吉村はことばに窮したのだった。
「洋三さんのお母さまに会いたい」
久美が希望した旅は、考えた以上の実りをもたらしたようだ。
同じことは吉村にとってもいえるわけで、久しぶりの帰郷で母の健在を確かめられたうえ、久美との結婚もあとは儀式と届出だけという状態にこぎつけることができたのだった。
おしゃべりは尽きなかったが、十時になったのを機に茶の間を引き上げることにした。音量を絞って付けっぱなしになっていたテレビが、『ガラッパの碑』と球磨川流域をカメラで舐め、続いて松浜軒の庭と池を掃くように滑っていった。
明日は久美に、菖蒲やカキツバタを見せることになるかもしれないと吉村はおもった。癪な話だが、奥さんみたいにきれいなカキツバタが咲いていると言われたことばが耳に残っていた。
人間褒められると弱いもんだと、憎らしいはずのタクシー運転手に付け入られかけている自分に苦笑した。
「久美さん、疲れなかったスか」
駅に着いたときにも同じことばを掛けたような気がした。
「わたし、お母さまにお会いしてほんとによかった・・・・」
「うん、ぼくも嬉しいっスよ。気の強い人だから、訳わからんこと言い出さなければいいがとちょっぴり心配だったんだ」
「いいお母さまよ。洋三さんを立派に育てたんだもの」
ふたりで布団を敷き終わったとき、階下から母の声がした。
「洋三、お風呂が沸いたい、すぐ入りんしゃい」
子供のころとまったく同じだった。ぐずぐずしていると容赦なく急かされる。湯が冷めないうちに、兄、洋三、祖母、そして母の順に効率よく使ってしまおうという計算があったのだ。貧しいなりに家族が結びついていた時期の想い出が隠されていた。
「すぐに出るから、久美さん用意しといて・・・・」
男優先の気風は、ゆっくり理解してもらうしかなかった。
吉村は、着替えの下着と用意してあった浴衣を持って階段を駆け下りた。一日の汗をさっと流して、すぐに久美をうながした。
久美が風呂から戻ってきたとき、洋三は窓から外を見ていた。向かいの屋根の上の空に星が張り付いていた。川面から立ち昇る湿気のせいか、夜空全体がかすかに潤んでいる。瞬かない星の連なりが、港のあたりに屯しているのが見えた。
ふと気配を感じて振り向いた吉村の目に、久美のシルエットが映った。うす闇の中に白い顔がぽうっと浮かんでいた。
「久美さん・・・・」
小さく声をかけた。
久美は一瞬身を沈め、胸に抱えていた包を足下に置いた。一枚の布できちんとくるんだ衣類のようだった。
声には出さず、仕種で答えた久美が闇の中から再び浮き上がってきた。高円寺の路地裏で、深夜遭遇した辛夷の花に似ていた。アパートの外階段から見下ろせる隣家の若木が、いつの間に花開いたのか街灯の淡い光を受けて忽然と訴えかけてきたときの驚きに近かった。
星明りを背にした吉村の樫のような胸に、久美が寄り添ってきた。いまでも衰えのない胸板に久美の頬が押し当てられている。
「きれいな音がしている・・・・」
鼓動を確かめて、可笑しそうにつぶやく。
そういう久美の襟元からは、湯の香が立ち昇る。石鹸の芳香に混じって女の匂いを嗅いだと思ったのは気のせいだったろうか。
「よくここまで来たね」
きょう一日の長旅を経て、八代の地に来てくれた久美への感謝の思いもあった。そして幾多の出来事を腑分けしながら、互いに信頼の気持ちを保ち続けることができた喜びも強く籠められていた。
吉村は後ろ手にカーテンを閉め、いっそう濃くなった闇の中で久美の体を引き上げた。爪先立った肢体の頂点に唇を寄せ、熱い息のみなもとを覆った。
日比谷公園で初めてキスを交わしたときのことが頭をよぎった。歯をぶつけそうになった可笑しさが、久美への愛しさをより深くしている。
結婚にはぎごちないことも噛みあわないこともいっぱいあるのだろうが、だからこそ絆が強くなるのだろうと、彼の腕の中で融けていく肉体をかき抱いた。
母が仕舞い湯に浸かり終えるころを見計らって、ひとりで階下に下りた。明日の予定を伝え、あわただしい出立を謝るためだった。
「せっかく熊本に来たから、午前中に熊本城を案内して、午後は阿蘇に行くことにしたよ・・・・。夜は近くの内牧温泉に宿を取ってあるんで、出発が早くなるけどご免な」
「まあ、よか。気ばかり使うとらんと、好きなようにせなあ」
そんなことより、久美のことを大事にしろと、結納代わりの金包みを吉村の懐に押し入れた。
部屋に戻ると、明かりの下で久美が衣類を仕舞っていた。二泊三日の旅程にあわせて、ビニール袋に仕分けをしていくのだろう。
「歯磨きはすんだの?」
「はい」と、大きくうなずいた。
「トイレは上にもあるからね」
久美が「ええ」と答える。廊下の突き当たりに設えた厠は、かつては兄と自分と祖母のためのもので、いまも和式のまま手を加えていなかった。
その夜、床を並べて寝た布団の下で、吉村と久美は手をつないでいた。どちらの掌が火照っていたのか、容易に眠りは訪れなかった。
灯りを消したしじまの中で、微かな脈動が互いの肉体を行き来した。明日のことが吉村の脳裏に去来する。焦りに似たおもいに衝き動かされて深いため息をつくと、久美が握った腕を手繰って縋りついてきた。
「洋三さん、好き・・・・」
反射的に引き寄せてしまった狼狽が吉村を襲った。
明日の阿蘇内牧温泉では、久美と体を重ねることも考えていたが、実家の部屋でそうなることに躊躇をおぼえていた。
まして階下には、母親が存在している。そこに居なくても、家のあちこちに気配の漂う身内の存在だ。
吉村は何かを振り切るように久美の下着を剥いた。そうしなければ傷つけてしまうことを怖れる気持ちがあった。
闇雲に突っ走る欲望との差異が、手の動きを穏やかにした。
乳房をまさぐると、久美の口から微かなあえぎ声が漏れた。唇で喘ぎを封じながら、あとは夢中で久美を貫いた。
久美の奥深くにやさしさが満ちていた。干潟を浸し始めた海のように、健康な潮の香が吉村の鼻腔をくすぐった。
「ごめん、大丈夫だった?」
そんな言葉をかけるしかなかった。
「初めての夜が、ここでよかった・・・・」
吉村の下で、満ちた潮が動いていた。
男と女の勝負はいつもこんなものなのだ。決して不本意な思いではないのだが、吉村の描いた初夜の構図は崩れ去っていた。なぜかこの場所でと思い入れする久美のこだわりに、道を譲ることになったのだった。
吉村は、空っぽになった下腹部に手を置いて、船の汽笛を聴いた。
空の天板に当たって撥ねかえる短い連続音が、不安と安堵のないまぜになった胸中を揺さぶった。
金銭を払って完了する性は気楽だが、果たした後の空虚に打ち返してくる機関の音は、男の身を引き締めるものだった。
(大丈夫だったろうか)
思わず口にした言葉には、意味があったのだ。
無意識に感じとった手ごたえが、大人の覚悟に結びつく緊張を強いてくる。
(まさか無防備に・・・・)
用意を怠ることはあるまいとの思いだけが、彼の不安の防波堤になっていた。
遠くで川の水が堤のハネに当たる音がした。異様に音に敏感になっていた。
水音が果たして耳に届くだろうか。訝しみながら、水流を殺ぐ突起の工夫が夜通し唄っているように想えた。
昔からこの暴れ川を鎮める幾多の工事が施されてきたが、ハネが見せる知性の角度は吉村の知る限り一番こころを打つものだった。
力業の治水に翻弄された男たちの嘆きと喜びに、吉村はいつしか自分を重ねていた。
これからは球磨川のような人生を久美と二人で制していかねばならないのだと、闇に抗して白んでいく相棒をながめ続けた。
八代海や球磨川という一種異国情緒と、お母さんの肥後弁?も味あわせてもらいました。
それにしましても、結婚を控えた男女というのは、その昔、こんなものだったのでしょう。いまとなっては考えられない慣わしがこの作品の底辺に流れているようです。自分の若かったころも思い出されました。
(なお、主人公の男の名が前段では「洋一」になっていますが、本当は「洋三」ですよね)
では、終盤に近い次回を気長に待たせてもらいます。
今回はずいぶん間が空いてしまいましたが、丁寧なご批評を賜りありがとうございました。
また、名前の間違いをご指摘戴き感謝申し上げるしだいです。
「またやっちゃった」というわけで、さっそく訂正いたしました。
15話ぐらいを目途にしておりますので、どうぞよろしくお願いします。
こういう男と女の初めての夜、、、あの時代には少なくなかったんだろうな。
階下に母親がいて、学生時代自分の部屋だったところで、しかもさりげなく母親が置いてくれた二組の布団のひとつで結ばれる初夜。
まだ嫁のいない兄は、気を利かしてどこかへ出掛け留守にしている。
帰ってくる途次の運転手の目まで意識されるような、静かな海辺の小さな町。
たまらなくいいですね。
今の時代ならここへ来るずっと前にさっさとホテルで済ます、ということになっているのでしょうが。
自分を育んでくれた生活の匂いそのものと一緒に丸ごと受け入れて、抱きとめてくれる彼女の健気さ。
ぎこちない彼にとってこれほど嬉しい瞬間はなかったでしょう。
ただ、ひとつだけちょっと違和感を覚え気になったところが、、、。
「火の神を送り込む」「滾る溶岩の蠢き」はこの自分を育んだ生活の場での体の交りを表現するには似つかわしくないような気がしました。
もっと普通と言いますか日常的な言葉で表現されたら、こういう場所で結ばれる二人の素朴な喜びが読むものに迫ってきたのではないかと思いますが。
私の勝手な想いかもしれませんが、、、。
好き勝手なことをいって申し訳ありません。
とは言っても全体にとても好もしい小説世界でした。
これからも楽しみに読ませていただきます。
窪庭さんらしい小説として、全体が完成されることを期待しています。
知恵熱おやじ
ほんとに気恥ずかしい表現でした。
知らず知らずに流されてしまいました。
書き直しましたので、再度ご高評いただければと存じます。
ご指摘ありがとうございました。