どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

テスト・コースの青春(5)

2009-04-05 10:48:24 | 連載小説



 雄太は、田代所長の外出記録を日報に記入してから、自分の仮事務所にクルマをまわした。
 時間が中途半端だったせいか、事務所の中はがらんとしていた。
 セスナ機不時着か?
 すぐにも顛末を知りたいのだが、近くには誰もいない。雄太はテスト・コース内に入り込んで、直線走路際で唸りをあげるミキサー車と数人の作業員に近づいた。
「すみませーん、あのォ飛行機ここへ降りたんですかァ」
「・・・・なに?」
 ドラムがぐるぐる回る音で、雄太の声は届かない。
「セスナが不時着したんじゃないのですか」
 騒音を突いて届いた<セスナ>の音節が、ミキサー車のオペレーターを振り返らせた。
「ああ、あれはストップかけたよ」
「降りなかったんですか」
「もちろんさ。人間も作業車もあっちこっちにいたんだから。・・・・だけど、高度を下げてきたときにはびっくりしたな」
 少し誇らしげに、胸の前でバッテンを作って見せた。
「そうですか。とんでもない奴でしたね」
 雄太は軽く手をあげて、運転手に笑顔を見せた。
 敢然とセスナ機の着陸を阻止したのが彼かどうかは分からないが、その場に居合わせたというだけで尊敬の念を抱いた。
「じゃあ、頑張ってください」
 運転手がオペレーター任務に戻るのを見届けて、ランドクルーザーをUターンさせた。タイヤが内輪差をものともせず、急角度で反応した。
 大地を的確に嚙む足回りの頼もしさが、セスナ機事件で昂ぶった気持ちを心地よく鎮めた。
 夕方、測量チームが帰ってきて様子がさらに分かってきた。
 上空を旋回して強引に着陸を試みようとしたセスナ機の胴体には、有名な自動車会社のロゴが付けられていたという。
 しかも操縦していたのは、ユニークなエンジン開発で世界に認められた創業社長ではないかと専らの噂だった。
 測量を職業とする目のいい連中の言うことだから、それほど見当違いではなさそうだ。
「さすがに常識に囚われない冒険社長だよ。自分たちのクルマも走ることになるテスト・コースを、一足先にテストしてみようと思ったのかね」
 チームのリーダーで佐藤の上司でもある男が、操縦者を本田の社長と決めつけ、ひとり感服した様子で微笑んだ。
「自転車にエンジンをくっつけて、成功した人でしょ?」
 佐藤があいづちをうった。
 昼間、話題が盛り上がる中で、周辺から得た情報らしい。間違いではないが、古すぎる知識だった。
「すごい人だけど、人騒がせなところはトンダ自動車ですね」
 もう一人の測量士が、温めていたギャグを飛ばした。
「ほんとだ・・・・」
 雄太が笑ったので、満足げに引き下がった。
 リーダーも佐藤も、苦笑いで応じた。
 夏の日の騒動は、空騒ぎで終わった。田代もほっとしたことだろう。
 留守中に何事かが起こっていたら、テスト・コースの完成時期にまで影響が及びかねない。
 ぎりぎりの日程に追われながら、約束どおり自動車高速試験場側に引渡さなければならない責任の重さは、他人にはなかなか分からないことだった。
 昼頃、県庁から出てきたときの表情を思い出し、少しばかり田代所長に同情する気分になっていた。
 午後、裁判所を出てきたときには、疲労の色が滲み出ていて、雄太まで憂鬱になった。
「ところで、夜はちゃんと眠れますか」
 佐藤の冴えない顔が、雄太を現実に引き戻した。
 昼間の暑さのほかに、夜の寝不足もあって、疲労が蓄積されてきたようだ。田代に限らず、人は皆それぞれの領域で格闘しているのだ。
「蚊が出るんでしょう?」
「そうなんです。戸を閉めてクーラーをぎんぎんに掛けてるんですけど、どこからかヤブ蚊が紛れ込んでくるんですよ」
「はは、同じです。顔にタオルを掛けて眠っちゃいますけど」
「平気ですか・・・・」
 佐藤は、みんな同じような状況下にあることを知り、その中で自分だけがダメージを受けている実情に、神経質に悩み始めていた。
 中部地方にある彼の山深い田舎では、いまだに蚊帳が現役とのことで、「アレさえあれば助かるんですけど」と、簡単には手に入りづらくなった昔の青蚊帳を懐かしんだ。
 その後も寝不足は続いたようで、雄太と将棋を指していてもあまり覇気が感じられなかった。

 測量チームが、急に仮事務所を引き上げることになったのは、残暑が厳しい九月初めのことだった。
 三日で荷物をまとめ、その間に次の現場入りの準備も進めなくてはならないのだと、記録や機材をあわただしくチェックしていた。
 谷田部の仕事が一段落したのと符節を合わせて、次の多目的遊園地の開発が関係機関の認可を得られたことで、一気に動き出したのだ。
 佐藤もチームの移動に伴い、群馬の現場へ派遣されるのだという。
「ええっ、試験はどうするの?」
 真面目に勉強していた時期もあったが、このところの暑さに加えて現場替えとなれば、意欲が萎えてしまうのではないかと心配したのだ。
「別に、どこの県に行っても受けられるじゃないですか・・・・」
 確かに制度はそうかもしれないが、肝心なのはキミの態度なんだよと、口まで出かかった言葉を押し止めた。
 三人もの男が、測量機材を積んだワゴン車と共に去ってしまうと、仮事務所はたちまち空虚さの目立つ空間となった。
 昼になると間仕切りの衝立に立てかけられていたポールやスタッフも、きれいさっぱり痕跡を消している。
 雄太の年齢にもっとも近い存在は佐藤だった。
 その佐藤の印象は、荒野に突っ立つカーキ色の作業衣と土に汚れた半長靴に象徴されていた。
 何かに例えてみれば、迷彩色を施した草食動物のような印象だ。
 ダンダラ模様のポールを掲げ、ライフル銃で狙われていることにも気づかないで、声が掛かるまで立ち尽くしている。
 ぼんやりとした標的・・・・。
 レベルを覗き込む測量士との明確な差異。お茶汲みという屈辱的立場に置かれながら、鬱々とすることなく日常に甘んじているように見えた。
 雄太は佐藤の印象が薄れないうちに、心に書き留めようとしていた。
 スタッフの目盛りを上まで伸ばし、人影の方は地形の陰に見え隠れしている仕事中のひとコマも記録するにふさわしい。
 彼の煤けた顔は、逆光の中で違和感なく風景に同化していた。
 思い返せば、煮え切らない性格にイラつき憤慨したこともあった。
 いまとなっては、彼の人生も一筋縄にはいかない状況にあったたのだろうと同情できるが、何を考えているのかはっきりしないところが腹立たしかった。
 手を振って送り出した先刻までの現実が、なぜか遠い過去のように見えはじめていた。佐藤との関係も、結局は行きずりの淡い関係に過ぎなかったことを意識するのだった。
 雄太が冷たいというわけでもない。人間の関係には、そういうところがあるものなのだ。
 なんだかんだとお節介を焼く雄太に、水準器のレベルを覗かせてくれたこともあった。
 そんな佐藤に、移動先の住所すら訊かなかった自分の無関心さを、雄太はいぶかしんだ。
 空虚なのは、事務所だけではなかった。
 雄太の心の中にも、隙間を埋めるように不安が忍び込んできた。
 テスト・コースが完成したあと、神山は自分をどう扱うつもりだろう。
 設計ができるわけではない。経理や人事に転進する下地もない。第一、そこまで洗練された組織を持つ会社ではないのだ。
 神山中心のワンマン会社。
 従姉の手前、雄太をその場限りの雇い人として切り捨てることはできないにしても、今後彼のことを足手まといに感じるのではないかと疑心暗鬼に陥るのだった。
「田代さんは、このごろお見限りよ」
 シャレードのママが嘆いていた。「・・・・赤羽さんは、来てくださるけれど」
 悦子を呼び出してもらう電話には、ほとんどママが出る。
「そうなんですか」
 雄太もとぼけて知らない振りをする。
 赤羽の用事で頻繁に土浦へ行く一方、田代の出動が少ないことは誰よりも知っている。
「洞口さんも、お顔を見せてよね。・・・・エッちゃん、寂しがってるわ」
 いつもの愛想と分かっていても、悪い気はしない。
 悦子とたまに会っても、商売抜きの気持ちが伝わってくるものだから、日を追うにつれて彼女への愛しさが増すように思えていた。
 シャレードのママが、人と人とのコネを大切にし、次の発展につなげようとするのは当然だった。
 テスト・コースがいずれ完成するのは既定の事実だし、工事関係者がこの地を去ることも目に見えている。
 代わりに各メーカーの技術研究者や、コース全体の管理者などがやってくるだろう。
 テスト・ドライバーが酒場に出入りすることは考えられないが、まったくないとは言い切れない。
 何が商売につながり、どれが仕掛けになるか判然としないものの、とりあえず現在の客である開発事業者をもてなすことが必須だった。
 目に見えない形で、仕事に従事する人たちのバトンタッチが進行している。女の勘は、現場に居なくても日々の変化を読み取っているのかもしれなかった。

 吊り下げローラーを駆使してのアスファルト舗装が、入念に施されていた。  
 ローラーが路面と直角に上下の動作を繰り返し、蒸気をあげるアスファルトが流れ出さないように、下まで圧着しては再び引き上げられていく。
 引力に抗して傾斜角を滑らかに保つための、特殊な工夫でもあるのだろうか。
 バンクに三十度を超える険しい反りを定着させるために、新しい技術が開発されたと想像するしかなかった。
 テスト・コースの側道から、身を乗り出して作業していた特殊車両が去ると、日を置いて鉄柵の設置が始まった。
 内向きの歯並びを連想させる金属柱が埋め込まれ、飛び出し防止のフェンスが張られていく。
 直線走路では、青空に向かって直角に並んでいた支柱が、カーブに差し掛かるあたりから角度をつけて内側へ倒れこんでくる。
 雄太はどうしても、受け口の女の歯並びを連想してしまう。
 過去にそんな女に出会ったことがあるような錯覚を、工事途中のバンクは抱かせるのだ。
 苛めても耐えてくれるような、わがままを誘発する類の女性に惹かれているのだろうか。雄太は自分の心の中を覗き込んでいた。
 エッちゃんは、そんな性格の一人かもしれない。
 従順そうな姉さん女房にかしずかれて、いつの日か海辺の一軒家に寝そべるのを夢見ている。
 クルマが好きで、バイクが好きで、海が好きで、昼寝が好きで・・・・神山が嫌い。
 吸い付くようにきめ細かな周回ベルトを完成した走路は、まもなく轟音をあげて駆け抜けるテスト・カーのために、平常走行エリアと警告エリアを分ける黄色い標識ラインを描きはじめていた。
 コース敷地内には、まだまだ整備を予定している自動車の待機所や観測施設の建設が残っている。
 工事用道路の取捨も、実用と外観の両面から考えなければならない。
 コース外側の土手にも、芝生を張り、照明灯を立て、ゴルフ場以上の美観と威厳を保つはずである。
 やがて訪れる開所式の来賓のために、トイレや休憩所なども必要とされるだろう。モーター雑誌等の取材記者控え室、インタビュー室なども用意されることになる。
 先に建設の始まった管理棟は、基礎も終わり、林立する鉄筋を埋め込みながら順調に高さを重ねている最中だった。
 すべては最終章に向かって、秒を刻んでいるように見えた。
 雄太の進路に突然の変化が起きたのは、走路の仕上げ作業を見届けてからまもなくのことだった。
 秋も半ばに差し掛かった小雨の午後、神山のバンで高輪のホテルまで田代を乗せて行く用事ができた。
 雄太にとっても、谷田部に派遣されて以来、東京を目差すのは初めてのことだった。
 会議の時間は四時からと決まっている。後部座席で同道する神山が、急げ、遅れるなと身を乗り出していた。
 上野の辺りで首都高速道路に乗った。神山の指示だった。
 芝公園まで延伸したはずだから、そこで降りればぎりぎり間に合うはずだ、と。
 ところが、都会の道路事情にまったく馴染みのない雄太は、右折し損ねて気づいたときには芝浦方面に直進していた。
「このバカ!」真後ろから、神山の罵声が飛んできた。
 同時に、後頭部にバシッと掌が振り下ろされた。


     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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