(ウィスパーボイス)
サスペンス小説の作家として売れっ子だった有村優斗は、近ごろ雑誌社からの注文が減っていることを気にかけていた。
担当の編集者にそれとなく訊いてみると、読者アンケートの分析から有村の小説が目新しさに欠けるとの評価が下されたらしい。
某誌の人気作家ランキングでも、ベストスリーに入れず低迷していると聞かされた。
ピーク時には寝る間もないほど依頼が殺到し、いずれ自身が小説に殺されるのではないかと覚悟をしたほどだった。
しかし、さしもの人気もピークを過ぎ、いまは自分のペースで仕事をすることができた。
夜型の彼は夕方の五時ごろ起き出し、朝方の七時に寝床に付くという生活を繰り返していた。
望み通りに十分な睡眠時間が取れ、食事も散歩も意のままになったのだから、昔の奴隷のような生活と較べれば楽なものだった。
健康のためにも、仕事量が減ったのはいいことだと自分を慰めていた。
実際、運動不足が原因で衰えた足腰も、以前よりしっかりしてきた気がする。
ところが、そうした生活に満足していられたのはわずかな間で、近ごろは苛々することが多くなった。
売れっ子作家の地位から滑り落ちてみると、理屈抜きに寂しくて仕方がないのだ。
有村優斗の定位置といわれていた場所を占めるようになったのが、内心軽蔑している大町慧一であることも不満の一因だった。
出版社にとっては、出来がどうのこうのというより、締め切りにきっちり間に合わせてくれるかどうかが第一の要件だ。
その点大町は筆が速かったし、ありふれた事件でも別の角度から分析して、読者の興味を引くように作り上げるテクニックに長けていた。
一方有村の方は、伏線を張り巡らしたり山場を最大に盛り上げたりする筋の通った本格派である。
じっくり読みこむ人には評価されるが、展開が重すぎて飽きられてきたのも事実だった。
どうであれ、ネタに新鮮味を感じられなくなったという評価はショックだった。
「読者は正直ですからねえ」
編集者が提示する読者アンケートの結果を前にしては、過去の栄光も輝きを失っていた。
自分の欠点は十分に認識しているつもりだったが、大町慧一の台頭を目の当たりにすると心中穏やかならぬものがあった。
このまま人気が落ちていくのは我慢ならない。
ライバルへの敵愾心が、日を追うにつれて湧きおこってきた。
(おれは、まだ終わっちゃいないぞ・・・・)
昔の栄光を取り戻して見せると広言し、知り合いの編集者に自分の方から次作のあらすじを披露して掲載を持ちかけたりした。
その雑誌では路線を変えたからと断られたが、しばらく縁の切れていた出版社から100枚の小説依頼が入った。
最近あった二つの少女誘拐事件を想起させる内容にしてほしいとの注文がついていた。
このところ若い男による奇想天外な事件が後を絶たない。
ひと昔前なら猟奇事件に発展しかねない出来事が、日を置かずにあちこちで発生しているのだ。
関係者の機転で事件はそれ以上に発展しないうちに発覚したが、一歩間違えばもっと悲惨なファイルが作り出されるところだった。
それにしても、自分の妄念を遂行するために邪魔になる父親を殺害してしまうとはどういう心理か。
あるいはまた、誘拐した少女をバッグに入れてホテルに連れ込もうとする短絡さはどこからくるのか。
いずれも自分勝手な事件であるが、杜撰ながら計画的犯行なのだから始末が悪い。
「まったく近ごろの若い奴らは・・・・」
世間知らずというか、世の中を舐めているというか、都合のいい廻り合わせが自分を助けてくれると信じているかのようだ。
何度でも繰り返しのできるゲームの世界と、責任のともなう現実をどこかで取り違えているとしか思えなかった。
両者の明確な違いを認識できない幼稚な若者の仕業だと憤っていた。
そこへ原稿依頼である。
有村は電話口で愚痴を言いながらも、月刊誌からの依頼を受諾した。
締め切りは半月後ということで、かなり窮屈な日程となった。
実際の事件を調べてみたかったが、それだけの時間的な余裕はなかった。
少女誘拐事件の記憶が生々しいうちに、センセーショナルな小説を書かせようという魂胆が見え見えだ。
だから、有村優斗もその意を汲むしかなかった。
それにノンフィクションではないのだから、細部をじっくりと検証する必要はない。
彼の経験と想像力で、実際の事件を上回る衝撃を創り出せばいいのだ。
そこで有村は、誘拐という割に合わない事件を引き起こす主人公の心理を跡付ける作業に入った。
主人公の年齢は二十歳にしよう。
身分は大学生で、都内のマンションで暮らしている。
出身地は西日本の地方都市、中流家庭の長男で親からの仕送りで何不自由ない生活をしている。
ただし人付き合いが苦手で、心を許せるような友だちはいない。
申し訳程度に大学へ行き、あとはビデオ店かゲームセンターで時間をつぶす毎日だ。
親元を離れたことで、気になる他人の目から解放された。
好き勝手に、自分の欲求を満たすことができる。
彼にとってのお気に入りツールは、パソコンと携帯端末と大画面テレビである。
借りてきたホラー映画を観ながら、配達されたピザを一人頬張るような日常だ。
父親は、県庁の企画宣伝課で課長をやっている。
多忙ということもあるが、家庭のことにはあまり関心がない。
ときおり母親が心配して電話をかけてくるが、「うまくいってるよ」と明るく答えてやると安心して受話器を置く。
両親ともどもチョロイものだと、気にもかけなかった。
犯罪だって発覚するから犯罪で、だれにも見つからなければ何もなかったのと同じだと考えていた。
罪の意識などないから、突飛な思いつきを平気で実行してしまう。
義理人情で裏打ちされた人物像では絶対に考えつかない犯罪心理、目の当たりにして初めて唸るような異常犯罪を創りだす。
とりあえず主人公の人物像を示すキイワードとして、「常識の転覆」はどうだろうか。
ただ、事件は犯罪者と被害者の存在によって成立するものだ。
被害者の心理状況も加味して展開しなければ、薄っぺらな作品になってしまう。
となると、被害者少女は一方的に拉致されたと考えるより、若干の共犯関係を臭わせた方が興味をひくだろう。
いや、報道で伝えられるような展開をそのまま書くなら小説にはならない。
犯人の前では少女らは小鳩のようなものという設定では、小説は動脈硬化寸前だ。
事実はそうかもしれないが、それを書いても出来の悪いレポートが提出されるだけとの焦りがあった。
有村優斗は大見得を切ったものの、被害者少女にどのような性格を持たせられるか悩みに悩んだ。
いっそ、犯人と被害者を逆転させてみたらどうだろう。
実際の事件から離れて、幼い少女を事件の主役にする。
そう思いついたものの、具体的な展開が浮かんでこない。
有村は、明け方ムクドリの騒ぐ声を聞きながら不覚にも眠りに落ちた。
「もしもし・・・・」
電話がかかってきたのは、何時頃だったろう。
ひどく気分が悪かったから、たぶん寝入りばなだったに違いない。
「こんな時間に、だれ?」
編集者なら怒鳴りつけるところだったが、幼さの感じられる女性の声だったから穏やかに応えた。
「わたし、ママが男の人を連れてきたから家を飛び出したの。それでいつもドアを開けて外の様子を窺っているお兄ちゃんの家に滑り込んだの」
少女は、青年に誘拐されたのではなく、自ら彼のマンションに滑り込んだと告げたのだ。
「えっ? どうなってるんだ。そんなこと誰がしゃべれって言ってるんだ・・・・」
有村優斗は、ガンガン痛む頭を枕につけたまま呻いた。
「だって、知りたがっていたでしょう?」
変な成り行きだが、有村は少女のいうことにあまり違和感を抱かなかった。
突然、事件を起こした青年の部屋が見えた。
有村がテキストとして書き込んだ青年の状況とは違っていた。
ときどき大学へ通う若者ではなく、まるっきりの引きこもり青年だった。
彼は引きこもり特有の青白い顔をしていて、少女を連れ込む機会を狙っていたのは確かなようだった。
ところが、逆に少女の方から侵入してきたので戸惑っていた。
「おまえ、他人の家へ勝手に入ってどうする気だ」
「お兄ちゃんお願い、助けて・・・・」
「なんだよ、僕にできることなんてあるのかよ」
青年は自信なげに、少女から目を逸らした。
「わたし、ママも連れてきた男の人も大嫌い。だって、リビングにいると聞き耳立てるのかって殴るんだもの」
「それで飛び出してきたのか」
「そう、お兄ちゃんごめんね。わたし行くところがないの、ここに居させて・・・・」
少女は青年にとろけるような笑顔を見せて、手を合わせた。
「ううっ、・・・・」
青年は逡巡を言葉にできずに、顔をひきつらせた。
「ぼくは、父と同居しているんだ・・・・」
有村優斗の作ったノ―トでは、青年の父親は県庁の役人だし、母親ともども地方に離れて暮らしている。
だから青年は、仕送りを受けながら、誰からも監視されることのない勝手気ままな独り暮らしをしているはずだった。
だが、電話から伝わる引きこもりの青年の声は陽気ではなかった。
「とりあえず、きみの家の客が帰ったらここから出て行ってくれ」
「いや、いや・・・・いや」
少女が青年の首に飛びついて行った。
「正行、おまえとうとうこんな幼い子に・・・・」
隣りの部屋の襖があいて、半身不随の父親がふらふらと出てきた。
怒りと心配の入り混じった険しい表情をしていた。
「ぼくじゃないよ。この子が助けを求めてきたんだ」
「嘘つけ! ずうっと狙っていたのを知らないとでも思っているのか」
老人は身体を支えるための杖を振り上げて、息子に向かって殴りかかった。
「くそジジイ!」
青年は身体を避けて、倒れかかる父親を振り払った。
「ああ、それはまずいよ」
有村が悲鳴をあげた。
頭が割れるように痛み、もしかしたら青年の一撃を頭部に受けたのではないかと考えた。
「お嬢さん、疲れたから電話切るよ」
これまで気づかなかった重大な疾患が、倒れたままの頭蓋に襲いかかっている気がした。
「もしもし、もしもし・・・・」
少女の声が迫って来る。
「もしもし、あたしお兄ちゃんと一緒に居たいの。おじいちゃん死んだみたい、よかった」
有村優斗は、耳をふさごうとしたが諦めた。
その電話は、少女が満足するまで切れることはないだろう。
案の定、ベッドに沈み込んでいる作家を、少女の声が追いかけてきた。
「わたし、ママもいらない。お兄ちゃんに頼んで、目の前から消してもらうから」
待て、そんなことまで・・・・。
作家は絶句した。
ホラー映画に夢中の青年を主人公に仕立てて、それらしく繕おうとしたが、設定はことごとく破綻していた。
「ぼくのストーリーは、もっと健全なはずなんだ。・・・・やめてくれないか」
「だって、聞きたがっていたでしょう?」
少女が唄うように囁いた。
「ああうっ・・・・」
有村は寝たまま昏倒した。
明日の締め切りを前になんとか間に合った安堵と、この先何者かが彼の小説を乗っ取るのではないかという怖れに身を固くしていた。
(おわり)
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