おれは、暴力で打ちのめされたものが、容易に立ち直れないことを知っていた。マインドコントロールなしには、ボクサーでさえ無理なはずだ。それが、恐怖というものだ。
だが、万が一ということもある。おれは、奴の目を覗き込みながら、耳に息がかかるほど口を近付けて、コトバを押し込んだのだった。
「おまえ、赤ちゃんプレーが好きらしいな」
奴の耳元で囁いた駄目押しの効果を、推し量った。切り札が、完全におれの手に移っていることを、認識させたのだ。
おれは、奴の喉仏に金属の冷たさを押し当て、胸元から体をずらした。右膝で最後まで押さえ込んでいた利き腕から、体を放した。
先に立ち上がり、奴がサウスポーであったことを、無意識のうちに考慮していた自分に気付いた。
あるいは、これが、白山神社のご託宣かもしれないと、おれは厳かな気持ちで奴を見下ろした。
この男は、いま、やむなく退場せざるを得なくなった事態を、まったく予測していなかったのだろうか。注意深く観察していれば、ここへ来る前に、天からの啓示があったはずだ。
そうでなければ、この場所、この場面での、おれとの遭遇、その上ミナコさんの手を経て偶然に用意されたネジ回しの存在など、人知を超えた符合はなかったと思うのだ。
起き上がって、そそくさと出て行く自動車内装会社社長の背中を見送りながら、体ではなく、奴のこころにダメージを与えたことを、おれは確信した。
ゆっくりと閉まるドアの動きを見届けた後、おれはカギを掛けた。
ミナコさんは、まだ顔を強張らせていたが、おれが笑いかけると、やっと表情をゆるめた。
「ごめん、驚かせちゃって」
「あなたの方が、やられてしまうのかと思って・・」
大丈夫だよと、呟きながら抱き寄せた。閉じた睫毛が震えている。唇が、おれを求めていた。
おれは、ミナコさんが飽きるまで、舌を任せた。ひとつの関係を完全に断つには、多少の時間が必要なのだ。浄化するには、さらに輪をかけて時日を要するはずだった。
ミナコさんには、まだ、自動車内装会社社員としての身分がある。経理の責任者として始末をつける仕事が残っている。それらも、いずれ落ち着くところへ落ち着くだろう。漠然とだが、勝利の予感があった。
急に、欲望が兆した。雄叫びのような欲情だった。
おれは、ミナコさんの腕の下に手を差し入れて、体を浮かせた。そのまま、爪先立ちで、ベッドまで歩かせた。おれにとっては、初めてのベッドに、ミナコさんを投げ出した。
うつぶせに倒れ込んだ拍子に、バイオレットのブルゾンが胸元からの風を孕んで膨らんだ。オレンジ色のネッカチーフもゆれて、奇矯なトカゲを見るような印象だった。
腰から下の、黒のジャージが、動物的な取り合わせをいっそう強調していた。ぬめぬめと光を放つ緻密な織りの布地が、ミナコさんの体型のままにブルゾンの奥から伸び出ている。骨盤の広さと、足首の細さの対比が、際立って見えた。
おれは、ミナコさんを引き戻し、ベッドの横にひざまずかせた。
いつもとは違う荒々しさに、一瞬振り返ろうとする気配があったが、おれが背中に手を置くと、観念したように突っ伏した。
おれは、ジャージの縁に右手を掛けて、一気に引きおろした。三角の小さな布も、癒着した皮膚の一部のように、ジャージに付いてきた。
黒がめくれて、白が目の前にあった。
黒を膝まで下ろして、おれは、ゆっくりと自分の身支度にかかった。身支度といっても、ズボンを脱ぐだけだった。ゆっくりといっても、白の輝きに目を奪われての行動は、すばやかった。
ミナコさんは、獣の形のまま、動かなかった。
おれは、これまでとはまったく異なる衝動に駆られ、後ろから太腿の間に手を入れた。メスの受け入れ態勢を確かめるオスの行為だった。
そこの部分に、戸惑いがみられた。はしたなく潤ってはいなかった。
欲望が、一挙に膨らんだ。
おれは、半ば犯す勢いでミナコさんを貫いた。
これほどの高まりは、かつて感じたことのないものだった。スキンで制御することのない欲情の迸りだった。
皮膚と皮膚の会話など、どこにも無かった。
おれの怒りは、白の中でどんどん膨らんだ。進むことも、退くこともできないほどの軋みをみせた。
おれは、ブルゾンごと獲物を掻き抱いた。バイオレットの下に、シーツの白が広がっていた。おれのあずかり知らぬ、ベッド上の領地だった。
おれの怒りの矛先が、その領地にも向かっていたことを知った。洗い晒しのシーツも、ミナコさんも、白という白はすべて浄化の対象だった。
おれは、呻き、咆哮した。
そうすることで、おれ以外のものを駆逐する勢いだった。
ミナコさんも、呼応した。
体の奥から、円形に収縮する瘧が押し寄せてきた。
「くそ!」
おれは、何度も打ち込むことで対抗した。
果ててはいけない意地が、臍下丹田を鉄のように硬くした。気を紛らす一助のように、ベッドの端を打擲した。
うち続いた波が収斂して、ミナコさんが先に果てた。
おれは、ミナコさんの中で様子を窺いながら、ついにおれのものとなった獲物を冷酷に見据えた。今後、いま以上の愉悦を得られる機会は、あまり訪れてきそうに思えなかった。
激しく押し込んで果てるには、時機を失していた。
おれは、白から桜色に変わったミナコさんの豊かな領域を眺め、そこから慎重に引き上げた。
この、馴れ合いに近い陵辱を、再び発動させる権利を、留保するために。
そして、突如、おれはもうひとつの企みを思いついた。
あらゆる束縛から解き放たれたおれの分身が、外気に触れた瞬間、せき止められていた感情を一気に爆発させた。
おれは、ミナコさんを避け、白地図に地形を描くように、おれの思いをシーツにぶちまけた。消火器を操る難しさと同等の感覚が、おれの手に伝わった。
このベッドを使うことは、二度とない。
おれの精液で清めたシーツは、荒々しく引き剥がして捨てればよい。
ミナコさんのことは、いまと同じように、時間を掛けて何度でも清める。こころと同じように、屈服した体を、おれだけのものにするために、努力を惜しまない。
おれがジャージを引き上げてやると、ミナコさんはベッドに伏せたまま、肩を震わせた。どうやら嗚咽している風に見えた。
顔も上げられないのか、ミナコさんは首を左右に振って、おれの呼びかけに抵抗した。何がそうさせるのか、理由を問うまでもない。もっとも原始的な羞恥の感情が、いま、彼女を衝き動かしているのだろう。勝手だが、おれはそう解釈した。
おれが、浴室でシャワーを浴びている隙に、ミナコさんはシーツを始末していた。おれの予測どおり、新聞紙にでも包んで、ゴミ袋に押し込んだのだろう。
ブルゾンは脱いで、これもどこかへ隠したようだ。ネッカチーフは、バンダナのように折って、乱れた髪を掻き揚げていた。
羞恥の原点とも思われるジャージは、まだ穿いたままだった。
取り替える暇が無かったのか、それとも、下半身には鈍感になっているのか。女の場合、往々にして、男とは異なる反応を見せるものだと、なにかの本で読んだことがある。
「シャワー、先に使わしてもらったけど、悪かったかな」
おれは、ミナコさんに声をかけながら、腰の辺りに視線を向けた。
「悪い人ね。いつもは、やさしいのに・・」
ミナコさんの目が、油を敷いたように電光をはじいた。
わざとかどうか、斜めに睨むしぐさを見せて、おれと入れ違いに、浴室方向へ歩いて行った。
後ろ姿を見送りながら、ついにここまで辿りついたかという感慨が、おれに穏やかな幸福感をもたらした。
まだまだ始末をつけるべき事柄は残っているが、とりあえず、自動車内装会社社長を退場させたことは、おれの人生の中でも特筆すべき出来事だった。
(続く)
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