鷺宮という街にぼくは20年ほど住んだ
妻は生まれてからずっとだから断然古株だ
そのころの事になると話が尽きない
ぼくは呆れたり微笑んだり爆笑したり
5歳ごろの彼女はまるで野生児だった
追いかける母親を振り切って逃げる逃げる
途中で下駄を脱ぎシャツを脱ぎ
パンツも脱いでスッポンポン
そのまま馴染みの本屋に飛び込んで
目指す本を見つけて立ち読みだ
おやじも承知で見て見ぬふり
客も誰ひとりおせっかいを焼かない
昭和20年~30年代の鷺宮は住みやすかった
話に出てくる有名人も数え上げれば切りがない
踏切を渡った白鷺には作家の壷井榮の家
後年には将棋の米長邦夫や弟子の林葉直子
芥川賞作家の笙野頼子も忘れられない
幻想作家と呼ばれる異色小説の書き手だ
画家の三岸節子は義母のお友だちだそうで
いっしょに食事したこともあるらしい
新青梅街道を越えたところには武蔵高校
スパイ騒動で有名なドンボスコ教会も
松本清張も取材に訪れている
デパートが迎えに来る彫金の桂盛行も
病気で倒れて杖と妻を頼る生活を続けたが
息子の桂盛仁は父を超える人間国宝に
親子兄弟まで江戸彫金の流れを組む彫金一族
こちらは有名人を並べた自慢の羅列・・・・
他人から見たら愚にもつかないことも
近くの記憶から消えつつある妻にとっては
ぼくが喜ぶ幼少期の貴重な出来事だ
放っておけばやがて消え去る人生の落穂ひろい
生まれついての野生児は今も健在
近くの山道を誰も追いつけない早足で歩く
ぼくには到底無理な人間ナビも務める
頼り頼られ日々爆笑の二人三脚は今も
ドンボスコ教会・・気になってしらべてしまいました💡
鷺宮からは自転車でひとッとびですね。
教会と書きましたが、もしかしたら修道院というのが正解かも。
謎の多い事件で、結局明らかにならなかったようですね。
いやいや、世間は狭いですね。ありがとうございました。
1959年初夏から秋にかけて、私は同じ沿線の鷺宮から二つ新宿寄り「野方」のアパートに北海道時代からの二人の漫画仲間(井上英沖・長野晴之)とともに住んでいました。だからなのか、この沿線の駅名はどれもわが潜在意識の底から青春前期の記憶を呼び覚ましてくれる・・・
毎日のように目指す漫画について議論したり描いたりして熱く楽しい毎日でしたが、秋口には未完のままそれぞれの道に向けて野方を離れたのです。
井上英興氏は漫画家手塚治虫のアシスタントを経てやがて月刊雑誌『少年』で連載漫画「遊星少年パピー」(すぐにテレビ化されました)をスタートし、長野晴之氏は北海道札幌に戻り『北海道新聞』専属の政治漫画家として活躍。そして私は日暮里のボロアパートでまだ誕生したばかりの劇画へと・・・
窪庭さんのこの文章で久しぶりで、みんな貧しかったけれど、楽しい合宿みたいなぺえーぺえーの野方時代を何十年ぶりかで思い出させていただきました。
ありがとうございます。
北海道時代のお仲間と上京直後に住んだ街が野方だったんですね。
鷺宮より物が豊富で、ぼくも月に何回かは買い物に行っていました。
線路沿いに歩いたり自転車に乗ったり、散歩コースでもあったんですよ。
西武新宿線沿線はとにかく住みやすい場所だったと思います。
新宿からも電車であっという間だし、小さな店もたくさんあって楽しい思い出でいっぱいです。
更に、スパイ騒動や松本清張の小説の舞台と、話題に事欠きません。
イメージがどんどんと膨らむ街です。
どこの街も大きく変わる中、この街も少しは変わったようですが川沿いは当時の雰囲気が残っています。
足跡を残していった有名無名の人びとのイメージを描いていただければ嬉しいですね。