どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

小説 『折れたブレード』08

2016-03-19 01:10:40 | 連載小説

     

     (発光する神経)

 

 正孝は、滝口から渡された写真の中に、艶子が見慣れない男と写っている一枚を発見した。

 男はかなり年老いた感じで、ベッドのクッションに寄りかかるように坐っていた。

 その横に立って微笑んでいるのが、艶子だった。

 春先なのか、萌黄色のセーターを着ている。

 ベッドの傍らには、タオルや下着を収納できる縦長のキャビネットが置かれている。

 天板の上には、水差しと湯呑、ティッシュボックスが並んでいる。

 採光の具合からも、その場所が病院の一室であることが覗える。

 病室。・・・・しかも老人とベッドの凹み具合に、長期に馴染んだ親しみのような関係性が感じられる。

 (見つけたんだな、父親を・・・・)正孝は、そう直感した。

 艶子が幼いうちに失踪した父親と、二十年近い空白を挟んで再会したのだ。

 事業で失敗し、その後も不始末を重ねた父親は、本家の戸主である長兄らに逐われ、不倫相手の芸者と共に姿を消した。

 真宗の住職や町内会の世話役が話していたところでは、艶子の父親が使い込んだ漁協の金は、本家の長兄が代わりに弁償したという。

 合わせる顔がなくなった「おやじさま」は、妻との離縁を強要され、一人っ子の艶子を残して松江を去るしかなかった。

 その後どこへ行ったのかは不明だが、生き延びてきたことは間違いないように思われる。

 どの時点で病気を得たのか、病名はなんなのか、写真だけでは読み解くことができない。

 また、艶子がどのような方法で父親を探し出し、いつから会っていたのか、写真はそのことも語ってはくれない。

 しかし、娘と並んでレンズを視る物怖じしない表情からは、誰かに手厚く保護されてきた様子が覗える。

 おそらく、この写真を撮った人物が、艶子の父親を支えてきたのだろう。

 正孝は、その人は「おやじさま」と一緒に姿を消した安来の芸者ではないかと見当をつけた。

 それが、わずかな情報をつなぎ合わせて得た正孝の結論だった。

 それでも、確信に至らないもどかしさは残る。

 はっきりしているのは、写真の中で穏やかに微笑んでいる艶子が、もうこの世にいないということだけだ。

 正孝が父娘と推理した写真には、二人を包む空間に無条件の宥しが満ちている。

 それは、意図して作り出そうとしても作り出せないものだ。

 (これが、血というものであろうか)

 いかに運命に翻弄されようが、その運命をも取り込んでしまう不思議な安堵感が、そこにはあった。

 

 ほっとした、というのが正孝の正直な気持ちだった。

 人の世は、さまざまな人と人との関係で成り立っている。

 友達との関係、職場での関係、サークルでの関係、その他いろいろある中で、親子の関係は別格である。

 それは血のつながりが根幹を成すもので、信じがたいほどの愛情を描出するとともに、時に倍する憎しみを招来することもある。

 艶子の場合も、父親に置き去りにされ、伯父に援助を受けることで円満な家庭を奪われた。

 成長の過程で、艶子がどのような思いを抱いたかは、正孝にはわからない。

 母親との折り合いも、良かったのか悪かったのか。

 大学まで出してもらった恩義に報い、しばらくは松江に留まったものの、結局は上京しその後数年を経て正孝に出会った。

 艶子と初めて出逢ったのは、薫風社の面接の時だった。

 三番町の事務所に現れた福田艶子は、業界誌と知ってか知らずか、就職することに熱心だった。

 若い女性なら憧れるであろう一流の出版社を目指さずに、なぜ薫風社を選んだのか。

 喉元まで出かかった質問を飲み込んで、正孝はほぼ採用を決めていた。

 地方出身のおっとりした物腰と、控えめな装いの下から覗く女らしさを、一目で気に入ったのだ。

 (艶子は、自分を父親のように慕ってくれたのだろうか)

 それとも、彼女の母親のように、仕方なく身を任せたのだろうか。

 正孝は、他人でありながら、艶子一家とのそこはかとない縁を感じていた。

 艶子の父親と思われる老人について、何か手がかりはないだろうか。

 調査員が持ち帰った手紙の写しを、詳しく読んでいった。

 彼らは何通かの封筒と、便箋の写真を撮ってきていた。

 その一つに、差出人の住所が柏崎市から始まる手紙があった。

 名前は村上紀久子という女性名だった。

 女にしては、大ぶりの字だった。

 便箋の方と付き合わせてみると、やはり村上紀久子と署した字体と符合した。

 内容は、艶子が柏崎の病院まで見舞いに来てくれたことへの礼状だった。

 やはり、そうだったのか。

 艶子の父親と一緒に姿を隠した、芸者に違いなかった。

 文面には、村上(福田)辰夫と旧姓も添えてあり、駆け落ちしたあと結婚し、妻の戸籍に入ったことが覗えた。

 (会えてよかったな)

 正孝は、我が事のように喜んだ。

 そして、艶子の父親と長年連れ添ってくれた村上紀久子に、心底からの礼を言いたかった。

 艶子が死ぬ前に、実の父親と再会できたという事実は、事件の悲惨さを和らげ、正孝にも救いをもたらすものだった。

 事件を直接解き明かす助けにはならなくとも、滝口が届けてくれた資料は、それ以上の価値を正孝に与えてくれた。

 限られた時間で、これだけの仕事をしてきた彼らは、やはりプロ集団だった。

 紙一枚さえ持ち去ることなく、おそらく触れた痕跡も残さなかっただろう。

 艶子の部屋にあった多くのモノの中から、正孝が必要とするものを選び出し、フィルムに収めて持ち帰った。

 こうした手法を見ると、管理会社に許可を得て部屋に入ったとは到底思えない。

 絶対に口にはしないが、やはり侵入したとしか思えない。

 それでいて、忍び込んだ証拠など、当然残すはずはない。

 正孝は驚嘆しながら、彼らが持ち帰った他の資料を引き続き検証することにした。

 

 このままホテルに留まるのは、気分的に落ち着かなかった。

 いったんチェックアウトして、事務所に戻った。

 女性事務員は、正孝の言いつけ通り定刻に帰っていた。

 机の上のメモを見ると、マスコミからの取材依頼が一件あった。

 前にも電話をしてきた同じ新聞社だ。

 しかし、それほど執拗さを感じさせないのは、その程度の興味しか持ち合わせていないということだろう。

 是が非でもと思えば、伊能正孝は不在と断られても、事務所の周辺で張り込むはずだった。

 それでも、万が一を考えてドアにはチェーンを掛けた。

 正孝専用の個室に籠り、ルーペと万年筆とコピー用紙、、それにスキャナーを用意した。

 都心のビルとはいえ、深更になると物音が沈潜していき、スキャナーの幽かな音だけが正孝の脳髄に染み入った。

 目を上げると、千鳥が淵を臨む窓から樹木の影が見える。

 街灯が映し出す幻想的な風景を一瞥して、正孝は一人取り残された寂しさを噛み締めた。

 いま検証しつつある35mmのマイクロ写真は、拡大してみるとどれも艶子を強く意識させた。

 どこかに、小型風力発電機の開発に係る官民プロジェクトに絡んで、艶子が接触したと思われる人物の情報はないかと目を皿にした。

 正孝の関心は、その一点に集中していた。

 堂島と名乗ったという男、艶子の母が遠目に見たという手妻師に似た風貌の男。あるいは取引先の男たち・・・・。

 それらの男の名前なり、写真なりが見つかれば、一挙に事件の真相に迫れる可能性が出てくる。

 しかし、他の手紙や日記の中に手がかりを見つけることができなかった。

 (万事休すか)

 珍しく弱気の虫が頭をもたげた。

 この程度のことで挫けていてはいけないと分かっていても、艶子を失った喪失感は大きかった。

 何時間もの間、飲み物を摂っていないことに気づき、備え付けの小型冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出した。

 少し休憩を入れて、もう一度見直してみようと思い直した。

 今のところ、正孝に与えられた鍵は、調査員が持ち帰った写真資料とレポートのみだ。

 今夜は事務所に泊まり、新たな視点から考えてみよう。

 まずは、休むことだ。

 幸いなことに、今は最も過ごしやすい季節に差し掛かっている。

 それに、仮眠が取れる程度のソファーと、毛布が備えてある。

 正孝は、机の上に写真と機器類を置いたまま、もそもそと眠りのための準備を始めた。

 電灯を消し、毛布を引き上げると、かえって目が冴えてしまった。

 (いかんなあ)

 昂ぶった神経が、静けさの中で発光している。

 京都の老舗旅館で、蚊帳の中から透かし見た青い木々の発光とは、似ても似つかぬものだった。

 月明かりを縫って忍んできた艶子のシルエットが、今でも体の深部を揺さぶり感情を昂ぶらせる。

 一方、チカチカした光は、ただただ正孝を苛立たせる。

 これを抑えるためには、光を打ち消すしかない。

 正孝は、ふうっと息を吐いて、ソファーから起き上がった。

 壁際に歩いて行って、スイッチを探り、点灯した。

 目の中の光が後退した。

 蚊帳越しに見た艶子の裸身の残影が、正孝を穏やかな眠りに導いた。

 

     (つづく)

 


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2 コメント

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励ましに感謝 (tadaox)
2016-03-22 23:59:44
(知恵熱おやじ)様、あと何回かで完了となるはずですが、仕上げに苦労しそうです。
いろいろ見守っていただき、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
物語の再生 (知恵熱おやじ)
2016-03-22 01:50:17
主人公が心を寄せていた女性社員艶子・・・その父親が好きな女と家族を捨てて出奔した末の痕跡を写真で見せられ、もうこの世にいない艶子が、改めて生きはじめる。

次第に視えてくる現実の姿の痛ましさが身に迫る・・・。
物語が生きはじめた・・・か
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