(発光する神経)
正孝は、滝口から渡された写真の中に、艶子が見慣れない男と写っている一枚を発見した。
男はかなり年老いた感じで、ベッドのクッションに寄りかかるように坐っていた。
その横に立って微笑んでいるのが、艶子だった。
春先なのか、萌黄色のセーターを着ている。
ベッドの傍らには、タオルや下着を収納できる縦長のキャビネットが置かれている。
天板の上には、水差しと湯呑、ティッシュボックスが並んでいる。
採光の具合からも、その場所が病院の一室であることが覗える。
病室。・・・・しかも老人とベッドの凹み具合に、長期に馴染んだ親しみのような関係性が感じられる。
(見つけたんだな、父親を・・・・)正孝は、そう直感した。
艶子が幼いうちに失踪した父親と、二十年近い空白を挟んで再会したのだ。
事業で失敗し、その後も不始末を重ねた父親は、本家の戸主である長兄らに逐われ、不倫相手の芸者と共に姿を消した。
真宗の住職や町内会の世話役が話していたところでは、艶子の父親が使い込んだ漁協の金は、本家の長兄が代わりに弁償したという。
合わせる顔がなくなった「おやじさま」は、妻との離縁を強要され、一人っ子の艶子を残して松江を去るしかなかった。
その後どこへ行ったのかは不明だが、生き延びてきたことは間違いないように思われる。
どの時点で病気を得たのか、病名はなんなのか、写真だけでは読み解くことができない。
また、艶子がどのような方法で父親を探し出し、いつから会っていたのか、写真はそのことも語ってはくれない。
しかし、娘と並んでレンズを視る物怖じしない表情からは、誰かに手厚く保護されてきた様子が覗える。
おそらく、この写真を撮った人物が、艶子の父親を支えてきたのだろう。
正孝は、その人は「おやじさま」と一緒に姿を消した安来の芸者ではないかと見当をつけた。
それが、わずかな情報をつなぎ合わせて得た正孝の結論だった。
それでも、確信に至らないもどかしさは残る。
はっきりしているのは、写真の中で穏やかに微笑んでいる艶子が、もうこの世にいないということだけだ。
正孝が父娘と推理した写真には、二人を包む空間に無条件の宥しが満ちている。
それは、意図して作り出そうとしても作り出せないものだ。
(これが、血というものであろうか)
いかに運命に翻弄されようが、その運命をも取り込んでしまう不思議な安堵感が、そこにはあった。
ほっとした、というのが正孝の正直な気持ちだった。
人の世は、さまざまな人と人との関係で成り立っている。
友達との関係、職場での関係、サークルでの関係、その他いろいろある中で、親子の関係は別格である。
それは血のつながりが根幹を成すもので、信じがたいほどの愛情を描出するとともに、時に倍する憎しみを招来することもある。
艶子の場合も、父親に置き去りにされ、伯父に援助を受けることで円満な家庭を奪われた。
成長の過程で、艶子がどのような思いを抱いたかは、正孝にはわからない。
母親との折り合いも、良かったのか悪かったのか。
大学まで出してもらった恩義に報い、しばらくは松江に留まったものの、結局は上京しその後数年を経て正孝に出会った。
艶子と初めて出逢ったのは、薫風社の面接の時だった。
三番町の事務所に現れた福田艶子は、業界誌と知ってか知らずか、就職することに熱心だった。
若い女性なら憧れるであろう一流の出版社を目指さずに、なぜ薫風社を選んだのか。
喉元まで出かかった質問を飲み込んで、正孝はほぼ採用を決めていた。
地方出身のおっとりした物腰と、控えめな装いの下から覗く女らしさを、一目で気に入ったのだ。
(艶子は、自分を父親のように慕ってくれたのだろうか)
それとも、彼女の母親のように、仕方なく身を任せたのだろうか。
正孝は、他人でありながら、艶子一家とのそこはかとない縁を感じていた。
艶子の父親と思われる老人について、何か手がかりはないだろうか。
調査員が持ち帰った手紙の写しを、詳しく読んでいった。
彼らは何通かの封筒と、便箋の写真を撮ってきていた。
その一つに、差出人の住所が柏崎市から始まる手紙があった。
名前は村上紀久子という女性名だった。
女にしては、大ぶりの字だった。
便箋の方と付き合わせてみると、やはり村上紀久子と署した字体と符合した。
内容は、艶子が柏崎の病院まで見舞いに来てくれたことへの礼状だった。
やはり、そうだったのか。
艶子の父親と一緒に姿を隠した、芸者に違いなかった。
文面には、村上(福田)辰夫と旧姓も添えてあり、駆け落ちしたあと結婚し、妻の戸籍に入ったことが覗えた。
(会えてよかったな)
正孝は、我が事のように喜んだ。
そして、艶子の父親と長年連れ添ってくれた村上紀久子に、心底からの礼を言いたかった。
艶子が死ぬ前に、実の父親と再会できたという事実は、事件の悲惨さを和らげ、正孝にも救いをもたらすものだった。
事件を直接解き明かす助けにはならなくとも、滝口が届けてくれた資料は、それ以上の価値を正孝に与えてくれた。
限られた時間で、これだけの仕事をしてきた彼らは、やはりプロ集団だった。
紙一枚さえ持ち去ることなく、おそらく触れた痕跡も残さなかっただろう。
艶子の部屋にあった多くのモノの中から、正孝が必要とするものを選び出し、フィルムに収めて持ち帰った。
こうした手法を見ると、管理会社に許可を得て部屋に入ったとは到底思えない。
絶対に口にはしないが、やはり侵入したとしか思えない。
それでいて、忍び込んだ証拠など、当然残すはずはない。
正孝は驚嘆しながら、彼らが持ち帰った他の資料を引き続き検証することにした。
このままホテルに留まるのは、気分的に落ち着かなかった。
いったんチェックアウトして、事務所に戻った。
女性事務員は、正孝の言いつけ通り定刻に帰っていた。
机の上のメモを見ると、マスコミからの取材依頼が一件あった。
前にも電話をしてきた同じ新聞社だ。
しかし、それほど執拗さを感じさせないのは、その程度の興味しか持ち合わせていないということだろう。
是が非でもと思えば、伊能正孝は不在と断られても、事務所の周辺で張り込むはずだった。
それでも、万が一を考えてドアにはチェーンを掛けた。
正孝専用の個室に籠り、ルーペと万年筆とコピー用紙、、それにスキャナーを用意した。
都心のビルとはいえ、深更になると物音が沈潜していき、スキャナーの幽かな音だけが正孝の脳髄に染み入った。
目を上げると、千鳥が淵を臨む窓から樹木の影が見える。
街灯が映し出す幻想的な風景を一瞥して、正孝は一人取り残された寂しさを噛み締めた。
いま検証しつつある35mmのマイクロ写真は、拡大してみるとどれも艶子を強く意識させた。
どこかに、小型風力発電機の開発に係る官民プロジェクトに絡んで、艶子が接触したと思われる人物の情報はないかと目を皿にした。
正孝の関心は、その一点に集中していた。
堂島と名乗ったという男、艶子の母が遠目に見たという手妻師に似た風貌の男。あるいは取引先の男たち・・・・。
それらの男の名前なり、写真なりが見つかれば、一挙に事件の真相に迫れる可能性が出てくる。
しかし、他の手紙や日記の中に手がかりを見つけることができなかった。
(万事休すか)
珍しく弱気の虫が頭をもたげた。
この程度のことで挫けていてはいけないと分かっていても、艶子を失った喪失感は大きかった。
何時間もの間、飲み物を摂っていないことに気づき、備え付けの小型冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出した。
少し休憩を入れて、もう一度見直してみようと思い直した。
今のところ、正孝に与えられた鍵は、調査員が持ち帰った写真資料とレポートのみだ。
今夜は事務所に泊まり、新たな視点から考えてみよう。
まずは、休むことだ。
幸いなことに、今は最も過ごしやすい季節に差し掛かっている。
それに、仮眠が取れる程度のソファーと、毛布が備えてある。
正孝は、机の上に写真と機器類を置いたまま、もそもそと眠りのための準備を始めた。
電灯を消し、毛布を引き上げると、かえって目が冴えてしまった。
(いかんなあ)
昂ぶった神経が、静けさの中で発光している。
京都の老舗旅館で、蚊帳の中から透かし見た青い木々の発光とは、似ても似つかぬものだった。
月明かりを縫って忍んできた艶子のシルエットが、今でも体の深部を揺さぶり感情を昂ぶらせる。
一方、チカチカした光は、ただただ正孝を苛立たせる。
これを抑えるためには、光を打ち消すしかない。
正孝は、ふうっと息を吐いて、ソファーから起き上がった。
壁際に歩いて行って、スイッチを探り、点灯した。
目の中の光が後退した。
蚊帳越しに見た艶子の裸身の残影が、正孝を穏やかな眠りに導いた。
(つづく)
いろいろ見守っていただき、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
次第に視えてくる現実の姿の痛ましさが身に迫る・・・。
物語が生きはじめた・・・か