野村監督
野村克也監督が建国記念日の昨日亡くなった。
空間にぽっかり穴が開いて、今さらながらそこに占めていたぼわーッとした存在の大きさを認識した。
各テレビ局とも、生前の野村監督を回想し、折に触れて残した名言を取り上げていたが、どれも味わい深く心の奥で反芻した。
マスコミは試合終了後の野村監督のぼやきを期待していて、それがないとワサビのない握りずしを食べさせられるような味気無さに見舞われる。
あるとき、野村監督がベンチ裏から顔をのぞかせ、待ち受ける報道陣に「では、さようなら」といって去ったのには驚かされたし、大いに笑えた。
たしか、チームがぼろ負けした時で、声を発する気にもなれなかったのだろう。
面白がらせるパフォーマンスではなく、その時の心に正直な行動だったのだろうと思う。
名言は数々あるし、ビジネスに通じる哲学的な言葉も、著書となってたくさん出版されている。
昨日は朝からそうした名言と映像が流されていたから、繰り返す愚は避けたい。
ただ、ぼくがあえてこの場に記して置きたいのは、同じ名言をどう感じたかということである。
例えば、「マー君 神の子 不思議の子」・・・・たぶん、最も評判になった言葉の一つだと思うが、<これぞ、ポエム>と感じ入っている。
一方、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は哲学だろう。
したがって、上記のポエムを詩の基準点として、表現の規範にしていきたい。
最初のうちは野村監督の魅力に気づかなかったが、ある時から好きになっていたから、亡くなられたのは寂しい。
月並みだが、ご冥福を祈りたい。
(おわり)
*「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、肥前国第9代平戸藩主、松浦清の言葉。正確に言えば、47歳で家督を息子に譲った後、松浦静山の名で執筆した随筆集『甲子夜話』の中の一節だそうである。
剣術の達人として知られる武士の言を野球に引用したセンスに、野村監督の緻密さが感じられる。
いや、これは、短い言葉で簡潔に勝負の本質を突いており、名言だと思いますね。
不思議の負けが無い以上、負けた場合は敗因分析が重要なんですね。
「マー君 神の子 不思議の子」、短い言葉で端的にコメントを述べる、秀でた才能があったんですね。
凄く印象に残るコメントでした。
才能ですね。試合での采配もうなることが多かったですもの。
今生きていたら、このコロナ騒ぎにどんなコメントを言ったでしょうか。