山野正夫は、正午ごろまで眠り、午後アパートや盛り場で時間をつぶしてから、神田にある印刷所に出勤する習慣を守っていた。
夕子とは週のうち四日ほど会っていたが、正夫のアルバイトが始まる夜の十時を目安に、一時間前には腰を上げて自宅へ帰っていった。
「あなたのお仕事、気に入ってるみたいね?」
昼ごろに現れて、正夫の食事づくりや部屋の掃除などをすることもあったが、たまに朝方やってきて、正夫の寝床にもぐりこむこともあった。
アパートの大家は、目くじらこそ立てなかったが、二人が半分同棲関係にあるものと思っていたようだ。
水道光熱費などはメーターがあるからいいが、その他の共用費は二人分を請求したい口ぶりだった。
「ぼくたち、まだ学生やってますので・・・・」
正夫は、なんとなく否定した。
親密な付き合いは認めたものの、所帯を同じくしているとは思われたくなかったのだ。
「区役所とか郵便局とかの届けは出してないんですね?」
「はい」
その場は、大家も納得して終わった。
しかし、夕子が時刻を選ばず布団にもぐりこんでくるような生活は、やはり大家に対して後ろめたさが残った。
「わたし、橋のない川に感動したわ」
「えっ?」
いきなり持ち出された住井すゑの小説名に、正夫は愛撫の手を止めた。
夕子との関係も一年を過ぎ、愛し合う合間にそうした話題が顔を覗かせたとしても、不思議はないのかもしれない。
しかし、正夫としては、前置きなし、括弧なしで、まったく関心のなかった著作名を口にされ、多少鼻白むところがあった。
『橋のない川』は、たしか新潮社から出版され、被差別を描いた作品として評判を呼んだ大河小説だ。
その程度のことは知っていたが、夕子が何巻かの文庫本を読み、今井正監督の手になる映画まで観たと聞かされたときは、妙な圧迫感を覚えた。
「母なる大地っていう言葉もあるけど、拠って立つ場所さえあれば女は自立していけるのね」
パールバックをはじめ、何人かの女性像が合体したような見解に、正夫は返事を濁さざるを得なかった。
(ツヨイもんだ・・・・)
夕子との最初の出会いとなった紛争現場では、身を挺して庇った自分をとてつもない勇者のごとく感じていたが、今は少しずつ思いが変化していた。
何事にも奔放な夕子に対して、実家の家族やアルバイト先の人間関係などに気を使う自分が、ちっぽけな存在に思えてくるのだ。
「わたし、住井すゑ先生とお会いしたいわ・・・・」
先生と呼ぶほど傾倒しているのかと、夕子の欲求の変遷をそれとなく思い浮かべた。
実業家でやり手らしい父親に対して、彼女は反発の気持ちを育ててきた。
あるいは、父親の成果を無定見に享受する母親への嫌悪だったかもしれないが・・・・。
ともかく彼女は、家族や社会の仕組みに疑問を持ち、折からの学生運動に加わった。
だが、満を持して介入した権力と、武装した学生との過激な戦いにおそれをなし、早々に退散した。
夕子が、正夫との偶然の出逢いに、何かを期待したことは事実だ。
時空の一点に居合わせた事実が、神の啓示のように思えるのは、誰にとってもあり得ることだ。
正夫と一緒にいれば、自分の居心地の悪い立ち位置が、多少なりとも好くなるのではないかとの期待も抱いた。
だが、正夫は案外保守的だった。
腰掛けのはずのアルバイトに勤勉で、そのくせモーリーと名乗るフーテンまがいの少年と年甲斐もなく交流している。
浮き草のように漂流し、新宿の岩礁に汚らしく引っかかっているフーテンの群。
その中心に立って、フラッグのように目立っている少年がお気に入りなのだ。
ライフセーバー気取りで、溺れるかも知れない子供たちを注意深く見守る正夫の横顔が、夕子にはよそよそしく感じられた。
それでも、正夫から差し掛けられた不条理というパラソルは、彼女に自分の境遇を分析する手がかりをもたらした気がする。
一時期、正夫よりも熱心に哲学書を読む夕子の姿が見られた。
現在でもその姿勢が維持されているかどうか、夕子自身にも分かっていない。
本を開いていても、目は活字の上を素通りしている場合もある。
学生たちが飛びつくテーマは、反戦、差別反対などに集約されつつある。
成田空港開港阻止、狭山差別糾弾闘争・・・・。
学生運動を契機に広がりを見せた闘争は、農民や一般市民を巻き込んで根深くなっている。
各種団体や政治的党派の思惑も見え隠れする。
かつて『ガロ』を読み、白土三平を崇めた世代の伏流が、夕子の周囲で渦巻いていることは確かだった。
作家住井すゑへの傾斜も、彼女の自我克服の手段なのかもしれない。
「それなら、会ってみたらいいよ」
正夫の左腕は、夕子の体重を受けて痺れかけていた。
気づかれないように、腕を引き抜いた。
どのような方法でコンタクトを取るのか、どこまで行ってどんな話をするつもりか。
先方の承諾が得られるのかどうか。
いったん中断した二人の行為は、そのまま眠りの中に吸収された。
正夫が目を覚ましたときには、中野のアパートから夕子の姿は消えていた。
夕子が正夫のもとを訪れなくなって、一週間が過ぎていた。
彼女は希望通り『橋のない川』の作者に会えたのだろうか。
巷では完成した映画に対して、上映推進派と、反対派で無用な争いが続いている。
今井正監督の描き方に不満を唱えるグループがある一方、表現の自由を阻害するものとして上映を支持する者も多かった。
(そういえば、『カムイ伝』でも似たような騒動があった・・・・)
意見は三筋にも四筋にも捩れていたが、その後差別用語として排除されることになった言葉をめぐる論争が一番の争点となっていた。
また、被差別の描き方が実態に即していないとする意見や、白土三平の表現が残虐すぎると非難する動きもあった。
『ガロ』が、一部の学生に思想的な幻想を与えているとして、排斥を叫ぶメディアもあった。
(いつの時代も、一筋縄ではいかない)
正夫も、しだいに夕子のことが心配になってきた。
夕子の連絡先は、未だに知らされていない。
親との接触を極端に警戒するので、おおよその住所はわかっても、電話番号など直接的な連絡手段はなかった。
前もっての約束が守れないときは、夕子の側から電話連絡が来る。
ただし、大家を介しての呼び出し電話だから、よほどのことでなければ使わない。
(連絡がないということは・・・・)
その必要がないからか、それとも事件にでも巻き込まれて電話できなかったのか。
いろいろ考えているうちに、正夫は不安な気持ちにとらわれていった。
差別や人権抑圧への反発、反戦がテーマの開港阻止。・・・・夕子を取り巻く環境にも、心配は無数にある。
成田闘争は、鉄塔を拠点にした現地での抵抗が激しさを増していた。
各派所属の学生たちは、街頭デモなどの共同闘争を展開していた。
成田にせよ、狭山にせよ、一歩距離を置く正夫とちがって、夕子はけっこう関心を向けていた。
あるいは、再びノンセクトのグループに属して、街頭デモなどに参加しているのではないか。
休学中の正夫とちがって、進級を果たした夕子は各サークルからの誘いも多かったのではないか。
当たり前のように睦みあっていた夕子が目の前から消えてみると、正夫の胸は風穴が開いたようにヒューヒューと音を発てた。
(何か重大なことが起こっていなければよいが・・・・)
積極的な夕子の行動に身を任せ、安逸をむさぼっていた自分のふがいなさが、あらためて悔やまれる。
(夕子、ごめん。・・・・)
結婚のことを考えるなどおこがましいと、勝手に思い込んでいた自分は、夕子に対して不誠実といわれても仕方がない。
正夫は焦燥の中にあった。
夕子が戻ってきたら、二人の関係を見つめなおして、彼女のしがらみに立ち向かう努力をしようと心に誓った。
(つづく)
文中、あの住井すゑと白土三平が出てきたのには、びっくりしました。
あの当時、あの種の学生が学生崩れに崇められていた作家の登場は、必然的だったのでしょう。
その傍ら、主人公の若い男女の関係が、いびつになっていく。
それがいかにもあの年代にありそうなことで、そこのところを平坦に掬いあげていく作者の物語運びがニクイほどです。
この連載小説、どうやら大きなうねりをみせていきそうですね、
人物や物語もさることながら、今回の長編は全体に流れる「あの時代の空気に浸りその中を漂うように」味わうのがいいのではないかと。
そういうふうに考えると風月堂とか、白土三平、橋のない川・・・など作者は実に用意周到に時代を語る店やモノや人をそこに付加されているイメージとともに提示されているかにフムフムと納得させられます。
想像力といいますか懐旧の情を刺激されます。
あの時代と無縁の人にそれがどう伝わるのか、伝わらないのかは分かりませんが。
このあと作者がどういう刺激アイテムを登場させてくれるのか、興味深々です。
(くりたえいじ)様、60年代末期~70年代後半にかけては、時代もそこに生きる人間も、ご指摘のとおり<いびつ>にならざるを得なかった気がします。
何かしら生きる指針を求めて苦しむ。
真摯といえば真摯な青春群像が、目に焼きついています。
コメントありがとうございました。
(知恵熱おやじ)様、コメントありがとうございました。
時代・思想・風俗と切っても切れない人間の生き方を目標にしています。
主人公たる人物像が輝くかどうか、そのことがすべてです。