(エア・ギター)
<風向き党>の党首になって一年が過ぎた又俣イカルは、思いがけない女性スキャンダルに巻き込まれて窮地に陥っていた。
ヒラ党員時代から辛抱に辛抱を重ね、やっと手中にした首領の座を、こんなくだらないことで手放すなどあってはならないと大慌てをしていた。
以前にも献金問題でミスを犯し、カミさんから「脇が甘い」と叱られたことがあったが、今回のことはその時以上のダメージだった。
カミさんにも隠し通していた下半身問題を、週刊誌に嗅ぎつけられたのだから当然だ。
相手とは七年越しの関係だし、充分に手当てをしているので、オンナの側からスキャンダルが漏れるとは思ってもいなかった。
ところが、首領からの手当てを上回る記事ネタマネーの威力は絶大だった。
よもや漏れると思っていなかった体位や睦言まで、週刊誌の特集告白記事として暴露されてしまったのだ。
いくらもらったのかは定かでないが、又俣イカルが与えていたお手当の何年分かを一時に手にしたに違いない。
(クソーッ) 瞬間湯沸かし器になって、オンナを呼び出した。
「はい、はい」
怯えていると思いきや、つらーっと携帯電話に出るふてぶてしさに、いっそう怒りのボルテージが上がった。
「おまえ、ハイハイじゃないだろう。俺を裏切って、どういうことになるか分かっているのか」
「なんのことですか、あたし怒鳴られるのが一番嫌いだって、あなたも知っているでしょう?」
「怒鳴られて当然のことを仕出かしたのは、おまえの方だろう」
「ああ、いやだ。あたしが一体なにをしたというの?」
「俺が天下を取ったら、いずれ新橋にスナックの店を持たせると言った約束まで、面白おかしく書かれているじゃないか」
「ほかにも無記名債をくれると言ったわよね」
「・・・・」
怒りにまかせて詰っていたが、ふと、これは罠で、録音されているんじゃないかと気がついた。
閨での一部始終が裏付けられれば、週刊誌の記事はまるまる真実で、又俣イカルの立場は奈落の底まで突き落とされることになる。
「俺は何も言ってないぞ! 約束だって、何一つしていない!」
いつもの通り、怒りにまかせて怒鳴り散らし、あわてて電話を切った。
しかし一呼吸置くと、いくら喚いても週刊誌の記事を取り消すことはできないことに気づいた。
スキャンダルが明るみに出てしまった以上、世間から叩かれるのは必至である。
抗弁すれば、火に油を注ぐようなもの。
ならばどうしたらいいか。
にっちもさっちもいかないで立ち往生していると、すかさずカミさんから助言が飛んできた。
「あなた、オンナのことぐらいでビビっちゃだめよ。市民大衆のために強いリーダーになるんだと開き直りなさい」
さすがに名参謀として、イカルを支えてきた女丈夫である。
敵対する政治家を牛耳るためには、尾を振ってすり寄るのではなく、その男の得意分野を素早く横取りするぐらいの機転を利かさなければならない。
節操がないと思われても、いま最も大衆受けする主張をわが意見として表明することが肝要だ。
それが実現可能かどうかは二の次だ。
強い権力を持っている限り、相手より数段有利な立場にあるのだから、同じことを言っても大衆に与えるインパクトはより強力である。
トランプでいえば、ジョーカーを手にしているのだから、「あなた、なんでもできるのよ」とカミさんが焚き付けた。
女性スキャンダルを皮切りに、政治資金問題、公約違反、風向き党の内紛等、矢継ぎ早に問題が発生した。
水漏れする甕にテープを貼って止めようとしたが、別の個所からつぎつぎと水漏れがして止めようがない。
外部の敵のみならず、内部からも指導力のなさを指摘されて、味方は減るばかり。
早晩甕が割れて、一気に水浸しとなるのは目に見えていた。
(カアちゃん、もう駄目だよ)
質疑に攻め立てられている間も、家に帰ってカミさんの前でぶっ倒れることを夢見たが、察知したカミさんは次の手を考えていた。
「あなた、ゾンビになっても踊らなきゃだめよ」
カミさんの熱中するマイケル・ジャクソンを引き合いに、何度も復活の筋書きを復誦させるのだ。
エア・ギターに倣って、真似ごとでもいいから世界一の振付を演じさせる気なのである。
『スリラー』に登場する女の子は、みんなの愛の象徴なの・・・・。
カミさんは、噛んで含めるように囁いた。
・・・・市民が望んでいることを実行すれば、愛の力であなたも復活する。
たとえ思い通りに実現できなくても、「それをめざして奮闘した」姿は多くの人の目に残るじゃない?
「市民のための殉教にせよ、ゾンビからの甦りにせよ、手順を尽くせば後世まで名を残すことができるわ」
かくて、又俣イカルの気力は、すっぽんエキスよりも有効なカミさんの激励によって戦意を取り戻したのだった。
とはいえ、風向き党の公約は何一つ実現することなく、市民の生活は困窮を極めた。
さすがに政党支持率もどん底に落ち、首領又俣イカルの人気といったら、歴代の首領にくらべても最低の10パーセント割れを記録した。
答弁にくたびれてカミさんのもとに戻って来ると、いかにも自信ありげに「寝れば治る」と介抱する。
やわらかい絹の寝具に包まれて、しかし夢の中ではゾンビが地中から腕を出して又俣イカルを捕まえようとする。
ギャーッ。
「あなた、もっともっとゾンビにいじめられなさい! 顔つきが変わるほどゾンビに近づけば、メフィストフェレスから招待状が来るわよ」
誰が祈るのか、祈祷の声が耳を満たし、やがて身体を繭のように包む浮遊感が広がっていく。
(俺は守られている・・・・)
又俣イカルは、眠りの間に超人的な能力を授かったような気になっていた。
朝目覚めると、つらい状況が続いていても、辛抱して頑張っていれば展望が開けそうな予感がした。
何やら、彼の執念がこの世の埒外の現象をもたらしそうな気がするのだ。
午前中、人と会ったり公務をこなしたりしていたが、上の空だった。
会談相手の財界人や、風向き党の取り巻きですら、もう又俣イカルには正常な判断はできないと見限っていた。
昼飯は、ざる蕎麦だった。
好物というより、それしか喉を通らない気分だったのだ。
『藪』の蕎麦とタレはさすがで、食欲がないと思ったのにするりと胃におさまった。
麻痺しかけていた感覚が、再び鋭敏に反応しはじめていた。
(近いな・・・・)
重大な報告に来るはずの取り巻きに電話して、急遽訪問を差しとめた。
近づきつつある運命との出合いを、おのれ独りで迎えたいと思ったのだ。
何が現れるかはわからないが、カミさんのいう超現実的な力が、又俣イカルのもとにやって来ようとしている。
子どもの頃、学校帰りに遭遇したカミナリの不気味さを思い起こしていた。
トウモロコシ畑を一陣の風が吹き抜けるのと同時に、あたりは夕闇のように暗くなり、冷たい空気が層をなして降りてきた。
半ズボンとランニングシャツのイカルは、腕と首のあたりが粟立つのを感じた。
真夏の震えは、強烈な印象となって彼の記憶に残っていた。
いま執務室で、又俣イカルは小刻みに震えていた。
おのれの立場が完全に行き詰ったのを意識するかたわら、自身の執念が呼んだ邪な事象が幻暈のごとく立ち現われるのを予感していた。
高い位置のシャンデリアが、こころもち照度を落としたようだ。
虚ろな視線でクリスタルを見上げた瞬間、革張りのソファーが不規則な力で押し上げられた。
(おっ、ポルターガイスト?)
縦・横・斜めの悪魔的な揺れが、彼の笑いの神経を刺激した。
ふと壁の時計に目をやると、午後2時46分を差している。
続け! 永久につづけ・・・・。
これまでの経験を超えた長周期の振幅が、執務室を引き攣る笑いで満たした。
(来た、ほんとうに来たぞ!)
揺れの大きさと、波状的な持続は、地震学上の「地震」とは思えなかった。
「粘っていれば、そのうち何かが起こるわよ」
カミさんの託宣は見事だが、この異形の力を引き寄せたのは俺だと又俣イカルは確信した。
朝から体に感じていた不定愁訴のようなものは、ピリピリする雷神からの信号だったに違いない。
子どもの頃から、ピンチのたびに現れる稲妻に似た啓示・・・・。
いつ交わしたのか覚えのない秘密の契約が、事あるごとに履行されてきた気がする。
天空に住まう神ならぬ存在が、又俣イカルの執念がつくった通り道をとおって地上に降りてきたのだ。
「先生、大変です。東北地方が巨大地震で壊滅的な被害を受けました!」
取り巻きの誰もが、異様に輝く目つきを隠そうともせず動き回っていた。
起死回生の逆転機が訪れたことを、本能で感じ取っていた。
部屋の中央でニタつく首領の姿は、とりわけ取り巻きにも事態の好転を感じさせる。
まだ映像で確認する前の段階で、被災地の惨状はほとんど絵空事の出来事にしか受け止められなかった。
執務室に寄せられる報告は、断片的で錯綜していた。
橋梁が落ちた。建物が倒壊した。山崩れが起きた。高速道路が途中で・・・・。
つけっぱなしのテレビが、報道各社の空撮映像を映し出していた。
(なんだ、これは?)
海上保安庁の偵察機から送られてきた沿岸の様子が、さしもの取り巻き連中の表情をひきつらせた。
すでに気象庁から、最大3メートルの津波予報が出されている。
防潮堤は10メートルに及ぶものも造られているから、余裕で食い止められると思っていた。
ところが、海の盛り上がりが尋常ではない。
飛行機と競う速度で押し寄せる津波の第一波を追って、第二波、第三波、第四波が横長の白線を歪ませていた。
「ああ~ッ」
原子力発電所を所管する役所の長が、絞り出すような声を発した。
映像が切り替わり、東北各県の沿岸部が映し出されると、特徴的なリアス式海岸の漁港や集落が、つぎつぎと波に呑まれる白昼夢が展開した。
女川、釜石、陸前高田、石巻、気仙沼、仙台、福島・・・・那珂湊。
水と火が、属性を超えて悪夢の握手をする。
大型漁船が、もがきながら防潮堤を超えていく。
ハイ・ジャンプの背面跳びそっくりではないか。
どれもこれもが非現実の映像の中で、東日本をつなぐ原発ラインの損傷がにわかに心配になった。
「女川原発は大丈夫か?」
「東海村は持ち堪えたようです」
「福島は? あそこは肩がぶつかるほど混み合っているからな・・・・」
福島第一原子力発電所の非常用電源が、1~4号機まですべて失われ、格納容器内の水温上昇が発表されたのは、かなり時間がたってからだった。
その間、災害対策本部に詰めている<風向き党>党首の顔には、悪魔と取引した痕跡が深い傷となって眉間に残されていた。
政治家に良識は不要。必要なのは、他を圧する権力への執念・・・・。
孤立を深める首領は、一番の側近と目される男にも去られ、党としての骨格を失いつつあった。
こうなると、又俣イカルの頭部だけが鮮明で、首から下は形さえあやふやな吹流しの様相を呈していた。
ひとり役者絵のように隈取りをした伝統凧が、空中で「への字」に口を結んでいる。
5月5日の空を背景に、彼なりの鬱憤をため込んでいるのだろうか。
「人の意見に惑わされる奴に、首領が務まるもんか!」
まだまだ、戦は続くぞ。8月、9月、12月・・・・。
俺を窮地に陥れれば、メフィストフェレスが次の災難を用意するはずだ。
(裏返しの契約書にサインした俺の約束を、解除できる奴は出てこないだろう)
悦に入った表情で、うそぶいた。
公園には、<子ども手当>を機に増え始めた幼児たちが、あどけない笑顔で凧を見上げていた。
(おわり)
道理で・・・
しかしあの党にはもっと性質の悪いゾンビがあと何匹も巣食っていて、そろそろ生き返りのときかと臭い息を吐き始めているようです。
いや失礼!これは小説でした。
あまりの迫真力につい現実と混同してしまいました。
それにしましても、私たちの国をここまでひどい利権の巣(官民税金盗人連合ともいう)にしてしまって国民皆から見捨てられたはずのG党の連中まで、このところゾンビ化してきていてあきれるばかり。
震災地の人たちの命綱である地震、原発関連3法の成立を人質にとって今や言いたい放題です。
「子ども手当て」の支給に所得制限を儲けようというところまではよかった。だが与党がそれを受け入れるとさらに調子に乗って「G党時代の子育て法」に戻せと言い出してごね始めました。
何だこいつらは。
私たちは選挙でG党時代のやりかたを退け、ゾンビだらけとは知らなかったがとにかくM党の子ども手当てをともかく選んだわけです。
国民はいまもまだG党の政策を選びなおしたわけではない。所得制限をつけるという修正まではいいでしょう。限られた予算は本当に必要な人たちのために使われるべきですから。
しかしこのドサクサに乗じて前与党の彼らは何か勘違いしているようです。
これじゃG党自体がゾンビということになるんじゃないでしょうか。
ゾンビ対ゾンビの戦いということになるのか。
うーん・・・被災者も我々民草も浮かばれないねー。
イヤー、またまた現実と混同してしまって脱線しました。ごめんなさい。
でもほんとに毒性の強い小説だなー。
すげーや。G党の人にもM党のゾンビにも読ませてやりたいね。
「半ナマ小説」ゆえ、ご容赦ください。
辺見庸さん、広瀬隆さん、田口ランデイさん等、人間を凝視する人びとに救いを感じます。
また、放射線のエキスパート児玉龍彦さんら科学者にも、これからの導きを願いたいと思います。(ユーチューブ何度も見ました)
日々のニュースに接するたびに「流浪の民」の悲しい旋律が思い出されます。
コメントありがとうございました。