どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『幽霊船』

2023-02-16 00:16:00 | 短編小説

 ジョージのクルマは、幽霊船と呼ばれていた。

 1960年代の大型キャデラックで、塗料の剥げかけたツートンカラーの車体がくたびれて見えたことが一因だった。

 そのキャデラックは、毎週金曜日の夜に銀座七丁目の路地裏に現れた。

 ほの暗いクラブの前にやっとたどり着いたというように停められ、なんとも厄介な印象を与えていた。

 クラブの真向かいには花屋があり、若い店主は以前からそのクルマを気にかけていた。

 週末の人通りの多い路上を大きな図体が占領しているものだから、近辺の飲食店や輸入雑貨店などが影響を受けているのだ。

 客足だけでなく、本来なら店の入り口に横付けして納品したい業者なども、わざわざ重い荷物を台車に積み替えて運ばなければならなかった。

 宅配便の運転手を始め他の業者とも顔見知りだったから、花屋の店主は彼らとたまには愚痴を言い合っていた。

 「なんだか得体の知れないクルマだなあ」

 「ほんと、どこの海をさまよってきたのかという感じだもんな・・・・」

 米国でさんざん乗りまわされた末に日本に運ばれ、駐留軍宿舎の庭に長年放置されていた・・・・そんなことを連想させた。

 (やっぱり幽霊船がぴったりだ)

 結局は履歴のわからないもどかしさもあって、誰もがいらついていたのだ。

 花屋が気にかけ始めたのは半年ぐらい前からだったが、いつしかそのキャデラックは幽霊船という呼び名が定着した。

 外観の印象だけでなく、クルマの内部空間までが謎めいていた。

 まず、花屋はキャデラックの運転席に収まるべき人物の顔をはっきり見たことがない。

 左右の窓ガラスにはフイルムが張られているらしく、外側から車内の様子を窺うことはできなかった。

 クルマの正面に回れば分かるはずだが、あからさまに近づいてまじまじと観察する勇気はなかった。

 どうせ好ましからざる筋の人間だと思っていたし、むしろ車内からこちらを眺められるのさえ遠慮したい気持だった。

 花屋の本音としては、正体を暴きたいが関わりを持ちたくないのだ。

 いまのところ分かっているのは、キャデラックの運転手がジョージと呼ばれていることだけだ。

  四か月ほど前に見送りに出てきた黒いドレスの女が、たまたまそう呼ぶのを聞いて知っている。

 その時、花屋はカーネーションと霞草の花束を作りながら、クラブの入口に目をやっていた。

 ドレスの女はすぐに踵を返し、クラブの入口ドアに吸いこまれた。

 キャデラックの車内に誰かが乗り込んだようだが、またも人物の正体はわからずじまいだった。

 まもなく鈍重なエンジン音がしてクルマが出て行ったことから、ジョージという男が「幽霊船」の運転手であろうと見当をつけたのだった。
 
 
 ナイトクラブから花屋に薔薇の花束の注文があったのは、その年の秋口のことだった。

 注文通りにつくった一抱えの花束を持って事務所に届けると、即金で支払いがなされた。

「ありがとうございます。・・・・きょうは特別のお客様でも?」

「ああ、いや、ゲストのジョージが喜寿の祝いなんでね」

 支配人が少しめんどくさそうに答えた。

「えっ? いつもキャデラックで来るあの人ですか」

 花屋が思い当たった表情をすると、とたんに支配人が渋い顔をした。

 花屋も気づいて質問をやめ、そうそうに引き下がった。

 名の通ったクラブなどでは、どのような客が来ているのか、どんなバンドが出演するのかなどを、出入りの業者などに知られたくないのだ。

 場末のキャバレーなら出演歌手やバンドを宣伝するところだが、常連客が多いこのクラブでは、さりげないサプライズを仕掛けようとしていたのかもしれない。

 花屋の知るかぎり、クラブの前に停めたキャデラックが摘発されたことは一度もない。

 警察のパトロールから外れた時間帯なのか、それとも場所柄大目に見ようという配慮がなされているのか。

 特別の客なら、警察の目こぼしも喜寿の祝いもあるかもしれない。

 (しかし、よほどの事情がなければ、えこひいきはありえない)

 思いつくのは身体障碍者の特別許可証ぐらいのものだった。

 だが、普通に考えればそれと盛り場は相性が悪いはず。

 やはり客ではなく、出演バンドの誰かに花束を渡す演出だったのだろう。

 ジョージがバンドのリーダーだとすれば、なんとなく話に収まりが出てくる。

 だから、バンド名はどうしても知りたい。

 くたびれたキャデラックで乗り付ける人物に、花屋はますます興味をいだいた。

 ジョージと呼ばれる喜寿目前の老ミュージシャン・・・・。

 栄光の日々もあったに違いない一人の男が、客の前でまもなく祝福されようとしている。

 (クラブの支配人が、粋な計らいをしようとしている相手は?)

 しかし、まさかあの男?

 花屋の脳裏に、派手なセッションを繰り広げるジョージ洞口の名前がひらめいた。

 今でも有名ホールを超満員にするジャズ界の大御所が、地味なクラブに現れるとはなかなか想像出来なかった。

 クラブのオーナーと特別の関係でもあれば考えられなくもないが、本当にあのくたびれたキャデラックに乗っているのか。

 日本のジャズ界きっての伊達男が、あんなみすぼらしいクルマを自ら運転してくるはずはない・・・・。

 (今夜こそ突きとめてやる)

 花屋は商売そっちのけで、ジョージのキャデラックが現れるのを待った。


 夜になって秋の盛り場に風が舞っていた。

 曜日は確かに金曜だったし、喜寿を祝福される当日だからジョージが現れるのは時間の問題と思われた。

 だが、いつもジョージが乗りつける時刻になっても、キャデラックは姿を見せなかった。

 花屋は、満面の笑みを浮かべて花束を受け取るジョージ洞口の顔を繰り返し思い描いた。

 映画の一シーンで観た映像が、精悍な口髭と柔和な目の表情をともなって甦った

 最盛期から時を経て今や喜寿を祝われようとしていることなど、花屋には何の感慨もなかった。

 ジョージ洞口の老いた姿など、想像もできなかったのだ。

 (しかし、肝心な日だというのにずいぶん遅いじゃないか・・・・)

 いろいろ不吉な出来事が思い浮かんで、花屋は落ち着きなく店先をうろついた。

 来る途中に事故でも起こしたか。

 突然、心臓発作でにでも見舞われたか。

 歳も歳だから、思いもよらない事態に襲われることもある。・・・・エネルギッシュな姿しか甦らないのに、一方で相応の想像が脳裏をよぎった。

(そうじゃなくても、日常的なトラブルということだってあるからな)

 例えばスケジュールに急な変更が生じて、遅れているとか。

 他にも誕生祝いの催しがあって、無理に引き止められているとか。

 それまで何の関わりもなかった他人の人生が、花屋の日常に重苦しくのしかかってきた。

 日付が変わる頃まで店を半開きにしてキャデラックが現れるのを待っていたが、ジョージはついに現れなかった。

「お父さん、いい加減にしないとお風呂冷めちゃうわよ」

 奥から女房の甲高い声がひびいた。

 季節を問わず、仕事の片付けのあと風呂にざんぶり浸からないと気が済まないのだ。

 明日の市場のこともあるから、ある程度の時刻になると店仕舞いして湯浴みをする。

 就寝までの時間を短縮する意味で、女房に風呂を沸かさせているのだ。

 それが自ら習慣を破って、キンキン声で急かされているのだった。

「すぐに入るから、うるさく言うな」

 半分閉じていたシャッターを引き下ろそうと手をかけたとき、向かいのクラブのドアが開いて一人の老人が数人の女に囲まれて姿を見せた。

「ピエロちゃん、これ忘れないで・・・・」

 黒いドレスのホステスが、セロハンに包んだままの花束を手渡した。

 目を凝らすまでもなく、花屋が自分で拵えた薔薇の花束だった。

「ジョージ、これからも盛り上げてよ。あんたが居るから、わたしたちもこうして現役でいられるんだから」

 どうやら盛りを過ぎたホステスと、コミカルな演技で笑いを取るピエロの互助会的やりとりのようであった。

「やあ、こんな夢みたいな話があっていいのかなあ」

 化粧を落として素顔をさらした老人が、うれしそうに手をあげて女たちに別れを告げた。

 遠目にも深く刻まれた皺が、彼の人生を窺わせた。

 バイバイ・・・・。

 声に送られて、暗い路地を新橋方向へ歩き出した。

 それはそれで、納得のいく人生の一コマだった。

 花屋はガラガラとシャッターを下ろし、いきなり浴室に向かった。

 掛け湯をした後、浴槽の八分目まで入った湯にザンブリと身体を浸けた。

 反動で溢れた水がタイルの床にこぼれた。

 (まあ、よく計算していやがる)

 爽快感を求める亭主の欲望をちょっぴり適えながら、水道料の浪費を極力抑えている。

 出来た女房がいるから、外れとはいえ銀座で家業を続けていられる。

 花屋は満足の思いで、顔をプルプルと洗った。

 (・・・・してみると、あのキャデラックはいったい誰の持ち物?)

 本当にピエロ役の老人が乗ってきていたのだろうか。

 今夜は誕生祝いを考慮して、運転を控えたとでも言うのか。

 もしそうだとすれば、三十年落ちのキャデラックにこだわるピエロの経歴を、もっともっと聞かせてもらわなければ収まりがつかない。

 キャデラックの主が大言壮語のジョージ洞口だったら笑えたのに、ピエロのジョージだとするとちょっと悲しい・・・・。

 やっと輪郭が見えてきた登場人物に、それでも「幽霊船」の呼称をふんわりと被せた。

 (まあ、そんなところか・・・・)

 誰からともなく言いだされた比喩が衣装のようにフィットした気がして、花屋の店主はジョージというピエロの老人に近しさを感じた。

 花屋はお湯の中で息を止め、もだしがたい思いを振り払うように首を振った。

 ふと気付くと、股間のもやもやしたものが水の揺らぎを受けて左右に揺れていた。 
 
 
     (おわり)

 

(2013/10/12より加筆のうえ再掲)

 

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