(春めぐり)
天候不順というのか、寒暖の激しい春であった。
前日との気温差10度はめずらしくなく、天気予報をこれほど真剣に見たのも珍しいことであった。
そうした中、サクラ開花のあとの好天を選んで野川を自転車でさかのぼった。
昨年も見事な花を見せてもらったので、自然に足が向いたのだ。
半日で天気が崩れる予報があり、日差しのある午前中に出発した。
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午後からの花見の準備で、場所取りの青いシートが目立ったが、夕方には無念の雨が降ったようだ。
ことほどさように、周期のめまぐるしい春の気まぐれであった。
たまたま用事もあって、北軽井沢に出かけた。
さすがに雪は消えていたが、先日の大風で146号沿いの赤松がかなり枝を落としていた。
この樹は材質がもろいのだろうか。それとも枝振りの関係で風の圧力を受けやすいのだろうか。
理由は分からないが、とにかく赤松がめだった道中であった。
この調子だと、唐松林の中のわが家が心配になる。
根が浅いうえに樹高の高い樹木だから、倒れ掛かってくる惧れがないとはいえない。
到着してひとわたり家の周りを見わたしていたら、なんと足元に蕗の薹を発見。
被害もなく、おまけに早春の恵みに遭遇し、ほっと息をついたひと時であった。
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群生している一部をパチリと撮って、あとは収穫をならべてみる。
あとで酢味噌和えにして食べてみたら、つんと鼻に抜ける香りと舌に残る苦味が他には代えがたい悦びをもたらしてくれた。
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二晩泊まって、夏へ向けての整備もすこしはかどり、週末のドライブは帰還コースへ。
ちょっと寄り道で、富岡市の一の宮神社のサクラ見物など。
小高い丘を見上げるばかりだったが、今回はクルマでてっぺんまで登った。
正直、この神社の壮麗さは想像以上だった。
<上野国一之宮旧国幣中社『一之宮貫前神社』>というらしい。
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なるほど明治時代に、富岡製糸場の技術指導に招いたフランス人をして、この神社には参拝させなかったという理由が実感できた。
以前立寄った上総一の宮の玉前神社もそうだったが、特別の権威を与えられた存在なのだ。
全国の「一の宮」という地名には、共通の誇りがあったことを今さらながら知った次第である。
朱塗りの鳥居をくぐって石段を降りていくと、本殿ほかいくつもの堂宇がある。
全部を披露するわけにはいかないので、飛び切り装飾のきれいなところを画像で確かめていただきたい。
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参道の登り下りでみたサクラは、今が満開。
春から早春へ、そして再び春まっさかりへ、変動の激しい気温にならうようにめまぐるしい移動をした今回のドライブ旅であった。
むろん、サクラほどの派手さはなく、地べたにひっそりとこうべをもたげる。
この春の味を賞味できるのも、しあわせか。
雅やかな一の宮神社にも惹かれます。
神道の奥深さがこんなところにも表れているようで……。
フランス人を"木戸御免"とした理由かなんだったのでしょうかね?
どの画像も鮮明で、大きさも適当で、共に歩んだような気にさせていただきました。
富岡市の「一之宮貫前神社」を初めて訪れてみて、日本の歴史と表裏一体の神道・神社の重みに圧倒されました。
当ブログでも、短編小説『瞼の秘密』(2007.9.1)で富岡製糸場をとりあげましたが、ポール・ブリューナを長とするフランス人技師一行を招聘したのは明治5年以降のことで、維新がなったとは言え未だ旧弊が根強く残っていたものと思われます。
当時でも議論が分かれたようですが、結局神域への立ち入りは罷りならぬとなったようで、それもこれも上野国一之宮の格付けを持つ官幣社だったせいではないでしょうか。
因みに鶴岡八幡宮も相模国一宮で、上総一宮の玉前神社も含め今でも一種雰囲気がちがうように感じたものです。(鹿島神宮、諏訪大社、寒川神社なども一の宮だそうです)