さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

マゼラン不慮の最後をとげる ~マゼランと世界一周(11) 26

2010年01月16日 | ポルトガル

いよいよリスボン最後の一日である。朝から国立古美術館に行く。平日なので、ガ~ラガラで嬉しひ^^ 12世紀の建国以来のポルトガルの美術品を収容しております。ヨーロッパ絵画もなかなかでしたが、やはり大航海時代に交流を持ったインド、アフリカ、イスラム文化の品々が面白かった。また長崎を通じて集めた日本の美術品、南蛮屏風なども素晴らしかったですよ(^益^)b

そして~(^^)w きのう思わぬバスの間違いで見つけたレストランが近いので、そこまで歩いて行きました~^^

カウンターに座ると、調理をしている人たちが見られて楽しいですぞ。

ご覧下さい、これ、多分w こんな巨大なの見たことありましぇ~ん(^益^;

きのう仔豚ちゃんがお寝んねをしていた場所に、生ハムがありましたので、少しばかり切ってもらいました。他の客にメロンを切っていたので、「生ハムをメロンの上にのっけてね♪」と注文^^ こっ このメロンがぁ!完熟で素晴らしい甘さ!ジューシィできめ細かい果肉、香りも芳醇で、ここまで旨いメロンは滅多にないぞ!塩が適度にきいた生ハムとぴったりのマリアージュでした~(^益^)b

ワインは、リスボンから南西のMouraという地域のHerdade dos Coteisという銘柄を試してみる。それなりのコクで悪くはなかったかな…。やはりドゥロとダオンだな^^

 

マゼラン不慮の最後をとげる ~マゼランと世界一周(11)

マゼランはフィリピンの地で幸福に浸っていたことだろう。一年前には南米で部下の反乱があり、海峡は見つからず、絶望的な気持ちで南極へ向っていた。それを乗り越えて太平洋に出たと思ったら、灼熱の大海原を飢えと闘いながら果てのない航海を続けてきたのである。こうなれば船いっぱいに香料を積み、すでによく知ったインド、アフリカを通ってスペインへ帰り、人類初の世界一周の成果を報告するのだ。

その前にすることがある。当地の支配者に「友好的に」近づき、こちらの力を見せつけて心服させ、通商の土台を作るのだ。いずれはスペインから強大な艦隊がやってきて、この地域全体を植民地にすることだろう。セブ島の人々は鉄の威力に驚き、それに対して柔らかい金を差し出して交換した。マゼラン一行は内心狂喜したに違いない。ここを今後の拠点にするため、この地の大酋長をこの地域全体の権力者にしておく必要があった。

 そこでセブ島の向かいにある小さい島を懲らしめようということになった。この島の住民は昔からセブ島の王と対立していたのである。マゼランは自ら甲冑をつけ、征伐に向った。木の棒でできた槍をはね返し、鉄砲で撃ち殺せば一人で百人もの男たちを一蹴できることを見せつけてやろうとしたのだ。これでスペイン人にはむかおうなどと考える原住民は、今後ひとりもいなくなるに違いない。

 襲撃が開始された。60人の重武装したスペイン人がこの小さな島に近づいた。しかし珊瑚礁があって船は浜辺に近づけなかった。しかたなく遠浅の海に甲冑をつけた兵隊が歩いて進むしかなかった。1500人の島民が槍を持って襲ってきた。しかし距離が遠く、鉄砲の弾は木製の盾を貫くことができなかった。島民たちは数にまかせて襲いかかり、甲冑に守られていない足を狙ってきた。もう退却するしかない。しかし遠浅の海に甲冑をつけた少人数である。何人かが殺されようが、死に物狂いで飛びかかってくる島民にかなわなかった。

 哀れマゼランは、これだけ大きな偉業を達成しながら、取るに足らないと思われた小さな島の原住民に、よってたかって突き殺されてしまったのである。つまり彼は、世界一周して戻ることができなかったのです。。。


ついに一周したのは誰だ ~マゼランと世界一周(10) 25

2010年01月13日 | ポルトガル

さて、夕食は昨日すばらしかった海鮮料理のレストランにふたたび!

ワインはダオンと呼ばれる地域で作られたSantarを注文(ぢつわここで一番高い)。なかなかコクがあってよい。でも昨日のドゥロのEvelのほうが好きだなぁ。ちなみに帰国してから近所の店で、ダオンのワインを発見。なんと1000円だが素晴らしい味わい。ポルトガル・ワインは質も高く、コスト・パフォーマンスがいいぞ!

「パシュテイシュ・デ・バカリャウ」と覚えられない名前であるが、干しダラのコロッケであ~る。名物料理らしひ。

中身はこんな感じ。適度に塩がきいていておいしいゾ。ワインと合うんだな~(^益^)b

どーだ、驚いたかー(゜゜) 地中海のカニさんだ~!ちっと奮発したぞ~。しかしこの大きさ…。

ツメはわたしの握りこぶしより大きい。身がたっぷりつまっておるので、かなりの量。カニミソはあまり好きでないのだが、これは何やら味つけがしてあり、あまり生臭くない。しかしおいしいんだが、量がすごひ。。。

トンカチが渡されて、ガツガツ割って食う。隣のガイコツ人グループが「すげー」と驚いて注目。

まいったかっ(=゜益゜):;*.':;

デザートなどもいろいろ試したかったのであるが、あまりにも腹がパンパン(゜゜; 二人前食べた気分だ。ホテルに帰り、ベッドに入っても苦しかった… (^益^)シアワセ

 

ついに一周したのは誰だ ~マゼランと世界一周(10)

  

艦隊中最大の船、すなわち食料を一番積んでいるサン・アントニオ号に逃げられ、マゼランは残りの三隻で未知の大海に乗り出した。どれだけ広いかわからない、何があるのか、はたまた何もないのかわからない虚無の空間に進んでいったのだ。

 無風状態ではほとんど進むことのできない帆船で、灼熱の太陽の下、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と航海を続けた。それも自分の位置もわからず、どこまで進めば目的地に到着するのかも全くわからない、見渡す限り水平線の砂漠を行く旅である。備品や身にまとうものは全てボロボロ。まもなく食料はクズのようになってネズミの糞や虫だらけになり、ごくわずかしか配給されない水は茶色く塩辛くなり、悪臭を放っていた。ついにはかんなくずや帆の皮まで食べた。病人は続出し、残った乗組員の10分の1が死んだ。パタゴニアの大男も最初に死んだひとりだった。

 あと少しこの状態が続いていたら、この艦隊は行き倒れの全滅になっていただろう。太平洋の広大な空間を通過し、四ヶ月を経て、ついにマゼランはフィリピン諸島へ到着した。赤道直下、いつ終わるかわからない旅を四ヶ月ですぞ…。やっとのことで乗組員たちは新鮮な水を飲み、食物を手にいれ、陸地で休息を得ることができた。生き返った!

 そこで人類史上もっとも感動的な出来事が起こった。寄ってきた半裸の原住民たちと奴隷のエンリケが近づくと、お互いに驚いた。話が通じるのだ。ついについに、ひとりの人間がぐるりと地球を回り、一周して故郷に戻ってきたのである。

 みなさんおわかりでしょうか。人類で初めて地球を一周したのは、マゼランではなく、故郷からヨーロッパ人に連れ去られたあと、インドやアフリカを通過し、リスボンで引き回されたあとスペインに渡り、そして改めてこのマゼランの冒険に同乗させられていた、奴隷のエンリケなのです。

 マゼランは幸せだったでしょう。地球は丸く、ひたすら同じ方向に進めば、必ずや元の場所に戻れることを証明できたのだ。奴隷のエンリケは、買った場所に戻して解放してやろうとマゼランは考えていたのです。


太平洋への道 ~マゼランと世界一周(9) 24

2010年01月08日 | ポルトガル

ロシオ広場から見える、あの展望台みたいなものはなんだ?
 
画像をクリックしてよおく見てクレ(^益^)b

これは鉄塔だ。そして内部にエレベーターがあるのぢゃ。サンタ・ジュスタのエレベーターなのであります。

観光客が20~30人も並んでおり、しばらく待って乗る^^ 公共交通機関一日券で乗れるのです(^益^)w

さっきいたところを、今度は上から見下ろします(^益^)b

南側は海峡が見渡せて、とても素晴らしい展望台なのです。

しかしまだ驚くのは早いぞ・・・

ここはそそり立つタワーかと思っていたら、後ろに通路があるのだ。。。

どこに行くのかって・・・ この左には教会があって、それを覗きながら進んでゆくと・・・

は・・・ なにかフツーの街並み!w(゜゜)w そうです、ここは裏山の高いところ。斜面が急だし建物が密集しているのでわかりにくいのですが、先ほどのエレベーターは、急斜面のすぐ近くに立っており、鉄塔の頂上から通路を渡って裏の山というか街に出られるのです~~(^益^)w

 

太平洋への道 ~マゼランと世界一周(9)

マゼランの名をつけられることになるこの海峡は、もっとも心配されていた行き止まりの湾ではなく、明らかに向こう側の海へつながるしるしを見せていた。しかしここには無数の島や岩礁が密集し、恐ろしく入り組んだ迷宮であった。しかも常に予測のつかない突風が吹き荒れており、初めてここに入ってきた船団が難破せずに通過できたというのは、ほとんど神業ともいえる航海技術がなした奇跡だったのである。

しかし新たな問題が発生していた。いよいよ香料諸島へ向う道筋が見えてきたというのに、食料があと3ヵ月分ほどしかなくなっていたのだ。ここは一度引き返し、態勢を整えて再チャレンジする方法もあった。しかしマゼランは突き進むことを主張した。部下たちは不安を隠せなかったが、指揮官の意向に従うしかなかった。

この海峡は複雑に入り組んでいるため、先へ進むために二隻の船が偵察に出かけた。マゼランの船を含む残りの二隻は数日間の休憩を得た。入り江で取れるイワシと陸地で採れる野菜を食べながら待っていたこの休暇は、ついに海峡を発見した勝利者にとって、至福のひとときであったはずだ。

しかし数日後、艦隊中でもっとも大きい船、もっとも多くの食料を積んだ「サン・アントニオ」は戻ってこなかった。この船は自分たちの命をマゼランの冒険に預けることをよしとせず、裏切って帰国の途へついてしまったのだ。食料が底をつきはじめていた艦隊にとって、これは大きな痛手だった。しかし、夢の世界一周への道が開けた今、マゼランにとって進むべきはただひとつ。未知の大洋を渡って東から香料諸島へ到着することだけだ。

一隻は難破。

もう一隻は裏切って消えた。

残り三隻で大海原へゴー!


夢の海峡への到達 ~マゼランと世界一周(8) 23

2010年01月05日 | ポルトガル

巨大な修道院の見物も終わり、リスボン市内へ戻ることにする。ここはベレンと呼ばれる地区。ここからは海岸線づたいに東へ行けばよい。バス、市電、ケーブルカーと何でも乗れる一日券を持っているので、とにかく海岸づたいに東へ向うやつに乗り込めばよい。目の前にバスが止まったので、そいつに乗り込んだ。

そしたら~~。バスがぁ~~。急に~~。

曲がる!w(゜゜)w

曲がって北へ向う! アーレー(゜゜)

見も知らぬ土地で、何やらバスは郊外へ向い、坂を登ってゆくではないでーすか^^; 10分くらい乗ったでしょうか。どこかのどっかにバスは止まった(^益^) そして運転手に、戻るバスを聞いた。向こうのほうに止まっているバスに乗るよう指示された。そいつに乗り込んだら、ちゃんといま来た道を戻ってゆきました。そしてだいたいさっきいたあたりに降りることができました~(^益^;

少し歩くと、こんなところに出た。観光地から少し離れた地域である。ちょっとあやしひ。

あやしいエリアにあやしい店あり・・・(^益^)ビールデモノムカ・・・と入ることにする。

カウンターでビールを注文。どうやら地元民が集うような店らしひ。なんか目の前にブーちゃんが…。

こっ・これはっ・・・ すまん、もう痛くはないだらう。こいつを少しばかり切ってくれと注文する(^益^;

あ~~ん、おいしくいただきましたー^^; このあとですね、なかにいた料理人が、ざくざくと巨大な包丁でブーちゃんを切り刻み、しまいにゃ脳天をまっぷたつ!カウンターのとなりに座っていたおっさんも、「オホー!」とか声をあげておりました…。

ここの店員はみんな感じがよかったですよ^^ 最初は右にうつっているやつに注文したんだけれど、英語がダメで、左のやつのおでましになったんです。観光地でなくても、なんとか英語が通じるって、助かりますぅ。

んで結局ポルト・ワインも飲むことに(^益^) 前日は昼に食べ過ぎて、夕食のご馳走に響いたから、今日は控え目にしとこうとゆーわけだ。酒はしっかり飲むけど(^^)w

夢の海峡への到達 ~マゼランと世界一周(8)

春が近づいてくると共に、マゼラン船団はふたたび幻の海峡を求めて南下を続けた。もっとも小型で敏捷なサン・ティアゴ号は、偵察のために先に進んでいたが、嵐のために座礁してしまった。ここでマゼランはついに弱気を見せる。何せつかんでいた情報の海峡はすでに大きな湾にすぎなかったことがわかり、このまま南下すればまもなく南極なのである。あとは奇跡を待つほかない状況なのだ。

ここでマゼランはふたたび二ヶ月の停泊を決めた。ああ、なんという皮肉。あとからわかることなのだが、実はもう、のちに「マゼラン海峡」と呼ばれることになる夢の通り道は目の前だったのだ。スペインから1年近く航海してきて、あと数マイル。もうあきらめ気分になってきたところで、長年追い続けてきた夢の目的地が、まさか目と鼻の先にあるとは思いもよらず、マゼランは絶望的な気持ちで、なんと二ヶ月も荒涼とした土地にすわりこんでいたのだ。

しかし偉大なる瞬間の前には、こういうじらされる期間があるもの。ついについに、一行は妙にぎざぎざした湾にたどりついた。今まで何度も痛い失敗を繰り返してきたものだから、乗組員たちはただの湾にすぎないと言い張った。そこで5日間の猶予が与えられた。ラ・プラタ湾のときは15日間も使ったのに、このときはたったの5日。ダメならもう引き返すしかない最後のチャンス。

二隻の船、「サン・アントニオ」と「コンセプシオン」が調査に出された。ここは常に荒れ狂った気候の地である。まもなく猛烈な嵐がやってきた。こんな入り組んだ狭い水路だ。偵察に行った二隻の船はどうなったのか?そしてついに4日後、待ち望んでいた二隻の船は戻ってきた。助かったのだ!そして祝砲をぶっぱなすではないか。船にはあらゆる旗がかかげられており、水夫たちは大声をあげている。

マゼランにとってこれほど嬉しい報告があったろうか。ここは湾ではない。3日間進んでも水路は広くなったり狭くなったりし、潮の満ち引きがあり、これは河口ではなく、きっと向こう側の大海原につながっているに違いない!


地の果てでの越冬 ~マゼランと世界一周(7) 22

2010年01月01日 | ポルトガル

ジェロニモス修道院の2階へ上がります。この数百年、どんな人たちがこの階段を上がったことだろう…。

礼拝堂が見渡せました。なんと壮麗 w(゜゜)w

じーざす!

地の果てでの越冬 ~マゼランと世界一周(7) 

南米の沿岸をいくら南下しても、西へ抜ける海峡は見つからない。やがて季節は冬に近づき、空気は凍りついてくる。この見知らぬ土地には人も動物も、食料になるようなものも何もない、ただの荒地だった。話が違うではないか。しかしここまで来て、マゼランに引き返すなどという選択肢はあまりにも屈辱だった。

 彼はとある湾で越冬することを決意した。食料を徹底的に切りつめ、この恐ろしい荒涼とした地の果てで冬ごもりをすることに決めたのだ。反乱が起こったのも当然であろう。マゼランが約束したはずの海峡は発見できず、こんなところで凍死させられてはたまらない。しかしマゼランは電光石火の作戦で反乱軍のリーダーをしばりあげ、そいつを処刑してしまう。

 数ヶ月の辛く厳しい忍耐を経て、やがて季節は春のきざしが見えてきた。その頃、思わぬことに、この地に住む原住民がひとり姿を現した。毛皮をまとい、その背丈は普通の人の2倍もあるという巨人であった。のちにパタゴニア人(足の大きい人)と呼ばれる人種である。この男は人なつこく、陽気に近づいてきてすぐに船乗りたちと親しくなった。鏡を見せると自分の姿に驚き、ネズミを差し出すと生きたまま丸ごと食べてしまったという。マゼランは「めずらしいものは標本として必ず持ち帰る」という委託を受けていた。恐ろしく暗い犯罪が行なわれた。この大男に鈴を与えると、彼は大変喜んだ。次に見せたのは手かせ足かせである。がちゃがちゃと鳴る装身具をつけて彼は有頂天になり、次の瞬間に囚われの身となったことに気がついたのである。

 そして春の到来と共に、生け捕りにした大男を乗せ、ふたたび船団はまだ見ぬ海峡を求めて出帆したのである。