もう二度と乗らないぞ!と思ったアエロフロートなのに、また乗ってしまいました(*´д`*)
それはすでにソ連崩壊後で、友人と英国に行ったときのことです。ロンドンからミラノに行って帰国するという変則的な移動で、フライトの利便性と、やはり他の追随を許さぬ破格の値段であったことから、懲りたはずの飛行機にまた乗ってしまったのです_| ̄|〇
今度はロンドンに夜11時過ぎの到着でもホテルを確保しておき、モスクワの悪夢は避けるつもりでした。帰国時のミラノからも、アエロフロートの支店に電話を入れ、「必ず乗るからね」とリコンファームをしておいたのです(これをしないと勝手にキャンセルされることがあるという唯一の航空会社だ)。
ミラノの空港では、ゲートのドアが開く30分前には例によって列など作らず、他の乗客と半月状になって密集し、急いで席に座りシートベルトを締めた。そこでホッとしたのだが、これで帰れると思ったのが甘かった。モスクワに到着して成田行きに乗り換えようとしたときに、チケットが渡されなかったのである。
その数は20名あまり。さすがにみな動揺する。チケットを渡された幸運な乗客は、トラブルを横目にそそくさと乗り込んでゆく。あぶれた我々はカウンターの職員に詰め寄ったが、「わからない」の一点張りだった。答えは簡単で、「オーバー・ブッキング」である。全く埒もあかないやりとりのあいだに成田行きの飛行機は飛び立ち、我々は呆然とした。
「明日は会社なんだ」と困り果てた人が日本に電話をかけようとしたが、つながらない様子であった。「日本人○×名、行方不明」である。2時間ほどして、日本人だけがホテルに連れて行かれた。他国の人々は、あの薄暗い空港で過ごしたのだろう。まさかあの廃墟のようなホテルに再び泊まるとは思わなかった。友人にはひと通り雰囲気を伝えておいた。他の人々、特に若い女性たちは、どこへ連れて行かれいつ帰れるのか、一様に不安を隠せない雰囲気であった。
今度は夏だったので、北国の夜はいつまでも明るく、あの恐るべき食堂も外から明かりがさしており、不気味さは減っていた。自由経済が導入された後であったためかどうかは知らないが、ディナーには粗末ではあるが、スープと肉を煮た料理が出されたのである!ロシアよ、進化したではないかね!!!
翌朝を迎えた。何時の便に乗れるのか、いやその日に日本行きのフライトに乗れるのかどうかも知らされていなかった。朝から何度かのぞきに行ったが、フロントにはあいかわらず人がいない。日本人の若い女性二人が、不安そうにフロントの脇にある粗末な椅子にずっと座っていた。我々はいつかドアにノックがあるだろうと、部屋で待機していた。
そしてどれくらい待ったことであろう、ついに「解放」を告げるノックがあり、我々は空港へ向ったのであった。本当に!もう二度と乗らないぞ!
* * *
モスクワの空港では気になるレストランがあった。日本語で「富士」と書いてあるのだ。ここにはもう二度と来ないであろうと思い、帰りのチケットを手にした余裕から入ることにした。もちろんほとんどがレトルト・パックかインスタント食品であるが、なかでも“Japanese Coffee”という品が目についた。日本にコーヒーはできないぞ?w(゜゜)w
迷わずそれを注文する。出てくると、見かけは普通のコーヒーがカップに入っている。飲んでみると、それはあのなつかしい「缶コーヒー」であった…。
たしかに、あの甘く変な香りのする「コーヒー」は、日本にしかない。国内にいては気がつかない。あれはまぎれもなく「日本のコーヒー」なのだ。
2回目の「監獄宿泊」は夏でしたから、3月の雪に覆われていた季節よりはだいぶ明るい感じでした^^
これが「富士」です。ガランとしたモスクワの空港で、なんか怪しげでしょう~? ^^;