路面電車の終点から少し歩くと函館公園があり、そこに市立函館博物館というのが
あることを発見しました。あまりにもマイナーで地味だから、観光客にもほとんど
注目されない存在なのでせう。
函館公園はこのように雪に覆われていました。もとは芝生の広場なのかしら?
ひと気はほとんどなく、博物館にやってまいりました。メインの建物はこの奥です。
これは展示の一部で古い建物。
掘り出された中世の古銭が置いてありました。当時なら大金持ち(^益^)b
むかしの街の様子です。松山の路面電車もそうですが、古いやつはカワイイねェ。
函館は海に囲まれているため、強い風が吹くから、火事が起こるとあっという間に
燃え広がり、大惨事になってしまうという歴史があることを知りました。
函館というよりは、「昭和博物館」という感じですよね~。
戦時中の物も陳列されていました。手前の灰皿、「日独伊三国同盟」の記念品ですよ。
「ヒットラー、ムッソリーニ、ヒロヒトの世界三大ファシスト」と海外では言われたことが
あります。ヒロヒトさんだけが長生きして平和な余生を満喫しましたね。あの人は
そんなに悪い人には見えませんでしたし、どれだけ戦争責任があったのかはわかり
ません。ただわからないままに封印したのはいかがなものかと思いますが。
「戦争はもう二度とやらんぞ」という憲法を作って、戦後から70年ほども武力衝突
していない先進国は、近代では日本だけです。この「世界記録」をずっと更新して
ほしいものですね。そのためにも、この平和にどっぷりつかった国が、かつてはおっそ
ろしい独裁国家で、ヒットラーと組んでいたという事実を忘れるべきではないでしょう。
函館戦争の記録も残っています。新撰組ですね。あの人たち、みんな若かったんです
よねー。五稜郭で死んだ土方歳三は35歳でした。こういう人たちって、必ず最後は
降伏せずに死ぬのが潔い(?)と思っているようです。特攻もそうですが、なんか
おかしな(といっては失礼なのでしょうが)美学だと思うのですが…。生きていろいろ
頑張ってほしいと思うのです。また逆に生きて害をまき散らす人もいますけどね^^;
時代は過去にすっとんでマンモーの角です。ここらにはいたんだねー!
アイヌの生活様式。ああ、これは北方民族博物館にもあったやつだ~。
このときの入館者は私一人ではなく、西洋人のご夫婦もおりました。熱心に見ている
様子でしたよ。ところで函館には中国人観光客がた~~くさんいます。函館山なんて
中国ではないか、と思うくらい。朝市では私が通ると「おっ。珍しく日本人!」なんて
冗談を言われるほどです。しかしこういう博物館のようなものには全然来ませんねェ。
チェングォが来たときには、こういう歴史関係を熱心に見ていましたけれど。。。